06.真っ黒なコーヒーと真っ白なミルク

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06.真っ黒なコーヒーと真っ白なミルク

 由香里と訪れた先週と同じく、土曜夕方のカフェ・レインキャッチャー。カウンター席は半分ほど埋まっているけど、テーブル席は先週よりも比較的空いている。店の奥のテーブル席に座った美咲は、靴の入った箱をかたわらの座席の上に置く。 「いらっしゃいませ」  注文を取りに来たマスターに、美咲は先週の土曜日と同じコーヒーを注文した。マスターは美咲の来店を歓迎する微笑みを浮かべ、コーヒーを淹れるためにカウンターの内側へと戻っていく。  智仁と同じくらいに見える年齢で、もう自分の店を持ってる……。  カウンターの内側でマスターがコーヒーの準備を進める姿を眺めながら、美咲は自分がイラストレーターとしてまだ何もできていない現実に打ちひしがれたような、そんな気分を抱く。  考えてみれば、智仁との関係が始まったのはイラストレーター仲間と共催で開いた展示会の場。そこで自分のイラストを智仁に褒められた。このイラストレーターは将来、大化けするかもしれないと。そしてそのイラストを描いたのは自分だと名乗った。嬉しさで。  単純と言えば単純。けど、その時期は仕事だってうまくいかない時期だったし、片思いの相手に恋人がいたと判明したあとで、落ち込んでいた時期でもあった。イラストレーターとしての仕事もろくに来ないし。そんな弱っていた時期に出会ったのが智仁。  自分はなんてバカだったんだろう……。美咲は自分が情けなくてしかたない。今すぐ自分の中に湧き立つやり場のない感情を思い切り叫びたい。そんな衝動を美咲は店の片隅で静かに押し殺すばかり。 「お待たせいたしました。当店のオリジナルブレンドです」  マスターがコーヒーを美咲の目の前に置く。ソーサーの底がテーブルに触れた音が響いた。白い湯気に混じるのはコーヒーの香り。強めの香ばしさがあるけど、それでいてどこか優しげな香り。 「ごゆっくりお過ごしください」  そう告げたマスターは静かに去っていく。カップにミルクを入れ、スプーンでゆっくりとかき混ぜる美咲。複雑な渦巻き模様を作り出す真っ黒なコーヒーと真っ白なミルク。美咲の心の中で渦巻く、やり場のない感情や衝動のように。  そんなコーヒーに口をつけると、温かさが身体中に広がった。コーヒーの香ばしさは思ったよりも主張が控えめ。同時にミルクの甘さは美咲の心へと染み込み、さっきまで渦巻いていた衝動や感情を溶かしていくみたいに思えた。  美咲はひとり静かに、ひとすじの涙をこぼした。
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