あなたのいちばん

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「弥次郎様は狸ばかり狩るのですね」  ちょうど弥次郎の狩ってきた狸の毛皮を剥ぎながら、おたきが弥次郎に話しかける。 「しかも、わざわざ肉まで食べますよね。肉を食べれない爺様はともかく、私にはそれと別に鳥の肉を用意してまで。  狸の肉など獣臭くて食べられたものではないと聞きますが……。  妻としては折角料理するのですから、旦那には美味しいものを食べて頂きたいです」  弥次郎がおたきをちらりと見て、答える。 「おたきの頼みであっても、これは止められない。すまないな」  少しの沈黙。  おたきは正直少し驚いていた。弥次郎はおたきの頼みを断ったことがない。今回が初めてだ。しかも即答。拘りの少ない人だと思っていたので、断られるとは思っていなかった。  しばし考えてから、おたきが再び口を開く。 「納得するためにも、理由を聞かせていただけますか」  弥次郎は少し渋る様子ではあったが、毛皮を剥ぎ終えた小刀を床に置き、ひと呼吸してから話し始めた。 「俺の婆さんが狸に殺されたって話はしたよな?  しかも、ただ殺されただけじゃない。狸は婆さんの肉を鍋にして、それを爺さんに騙して食わせやがった。爺さんはそれ以来、鍋の肉が食えなくなっちまった。  んで、爺さんは兎に頼んでその狸を殺してもらったんだ。狸は泥舟に乗せられて、池の真ん中で溺れ死んだ。  そのはずだったんだ。  俺はここの家に引っ越してくる途中、池で溺れる狸を見つけた。  何も知らなかった俺は、溺れる狸を助け、持っていた食料を与えた。  爺さんから事情を聞いて、すぐに戻ったけど、狸はもういなかった。手遅れだったよ。  仇討ちの最後を俺が邪魔しちまった。婆さんを殺し、爺さんに食わせた憎き狸を俺が助けちまった。  それから、見かけた狸は全部殺すようにしてるんだ。いつか、あいつを見つけた時に俺の手で仕留めれるようにな。  そして、その肉も食うようにしてる。『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』だ。あの不味さが俺の憎しみを忘れさせずにいてくれる」  ゆっくりと話終えると、弥次郎は小さくなっていた囲炉裏の火に炭を足した。囲炉裏の火が勢いを戻す。  燻ってはまた新たに燃え上がる。その火の様子は弥次郎の抱く憎しみのようであった。  話を聞いたおたきは黙り続けている。  そんなおたきを見て、弥次郎はふっと一息吐くと立ち上がった。 「夕飯の前にこんな話をして悪かったな。  今日はもう疲れてしまったから寝させてもらう。俺の分の夕飯は用意しなくて大丈夫だ」  弥次郎はそう言うと襖を閉め、奥の部屋に寝に行った。  外から、がちゃがちゃと農具を片付ける音がする。爺さんが畑仕事を終えたようだ。  囲炉裏の前には、ぽつんとおたきがひとり、取り残された。  おたきが顔を下に向けると、囲炉裏の火が目元に僅かに溜まった涙を照らし出した。 「私の願いよりも、『臥薪嘗胆』ですか……」  その呟きは小さく、戸を開けた爺さんの「ただいま」の声にかき消され、誰にも届かない。  日は既に落ちて戸の外は暗く、何も見えなかった。
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