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お父さんの試み
塾が終わって、スーパーで買い物してから家へ帰ると、庭の物干し竿に干しておいた洗濯物が取り込まれていた。
部屋に電気もついている。
あれ?
お父さん、帰って来たのかな。
玄関のドアを開けると、お父さんの靴と女性物の靴が置いてある。
心臓がドクン、と鳴った。
お父さんが恋人を連れて来たのかも知れない。
どうしよう。
逃げちゃおうかな。
会いたくないな。
だって、私のお母さんはお母さんだけだもん。
玄関で立ちすくんでいると、リビングのドアが開いてお父さんが顔を出した。
「結菜、おかえり」
「う、うん」
お父さんの顔が見られない。
下を向いて、女性の靴をじっと見つめた。
「何してるんだ? そんなところで。結菜に会わせたい人を呼んでいるんだ、早くこっちに上がっておいで」
にこやかなお父さんの笑顔に、私の心は重暗く沈む。お父さん、残酷だよ。今日、私の誕生日って知らないでしょう?
恐る恐る、リビングへ入る。
ぎゅむ、っと突然抱きしめられた。
苦しいっ。
突然のことにビックリしたけど。
匂いで、分かった。
「お母さん!」
リビングにいたのは、お父さんの恋人ではなく、一年前に出ていったお母さんだった。
驚いたけれど、気づいたらお母さんにしがみついて泣いていた。
「ごめんね。お母さん、会社の海外事業開発にどうしても携わりたくて。このチャンスを逃したら、もう二度とない気がしてね。お父さんとも話し合って、別れる決心をしたのよ。仕事のために、結菜やお父さんを捨てるなんて、悪い母親ね。だけど、私にはもう、時間がないと思ってしまったの。」
日本の社会は男尊女卑。
役職者となる女性比率は少ない。
どんなにキャリアを積んでも「女性だから」という理由で、勝負の土俵に乗れないこともある。
お母さんは、チャンスを逃したくなかったのだと話した。
一年で海外事業を軌道に乗せ、日本に戻ってきたものの、お父さんや私に合わせる顔もなく、別のマンションで暮らしていたところ、お父さんから連絡があったのだそうだ。
お父さんの顔を見ると、照れくさそうに言った。
「だってオレ、そもそも離婚届、役所に出してないし」
そう言って引き出しから、離婚届と結婚指輪をお母さんの前に置いて頭を下げた。
「ハッキリ言ってオレ、甲斐性ありません。家事も驚くほどできないし、やれない。今だって生活の面倒は、結菜に任せきり。やり直して欲しいって言える立場じゃないのは、分かっているけれど、オレと結菜を幸せにしてもらえませんか?」
お父さんの言葉に、お母さんはムスッとした。
「やれない、じゃなくて、やらない、よね。言葉は正しく使ってください」
お母さんを見上げた私の頭を撫でて、お母さんが笑顔を向けた。
「結菜、お母さんのこと、許してくれる? お母さん、またここでお父さんや結菜と暮らしてもいいかしら?」
「お母さん、私もごめんなさい。あの日、家事がお母さんの仕事って言って」
私はお母さんに抱きついた。
お母さんがいなくなってから流さなかった涙を、思い切り流して、心に溜まったものを吐き出した。
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