お父さんの試み

1/1
18人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

お父さんの試み

 塾が終わって、スーパーで買い物してから家へ帰ると、庭の物干し竿に干しておいた洗濯物が取り込まれていた。  部屋に電気もついている。  あれ?  お父さん、帰って来たのかな。  玄関のドアを開けると、お父さんの靴と女性物の靴が置いてある。  心臓がドクン、と鳴った。  お父さんが恋人を連れて来たのかも知れない。  どうしよう。  逃げちゃおうかな。  会いたくないな。  だって、私のお母さんはお母さんだけだもん。  玄関で立ちすくんでいると、リビングのドアが開いてお父さんが顔を出した。 「結菜、おかえり」 「う、うん」  お父さんの顔が見られない。  下を向いて、女性の靴をじっと見つめた。 「何してるんだ? そんなところで。結菜に会わせたい人を呼んでいるんだ、早くこっちに上がっておいで」  にこやかなお父さんの笑顔に、私の心は重暗く沈む。お父さん、残酷だよ。今日、私の誕生日って知らないでしょう?  恐る恐る、リビングへ入る。  ぎゅむ、っと突然抱きしめられた。  苦しいっ。  突然のことにビックリしたけど。  匂いで、分かった。 「お母さん!」  リビングにいたのは、お父さんの恋人ではなく、一年前に出ていったお母さんだった。  驚いたけれど、気づいたらお母さんにしがみついて泣いていた。 「ごめんね。お母さん、会社の海外事業開発にどうしても携わりたくて。このチャンスを逃したら、もう二度とない気がしてね。お父さんとも話し合って、別れる決心をしたのよ。仕事のために、結菜やお父さんを捨てるなんて、悪い母親ね。だけど、私にはもう、時間がないと思ってしまったの。」  日本の社会は男尊女卑。  役職者となる女性比率は少ない。  どんなにキャリアを積んでも「女性だから」という理由で、勝負の土俵に乗れないこともある。  お母さんは、チャンスを逃したくなかったのだと話した。  一年で海外事業を軌道に乗せ、日本に戻ってきたものの、お父さんや私に合わせる顔もなく、別のマンションで暮らしていたところ、お父さんから連絡があったのだそうだ。  お父さんの顔を見ると、照れくさそうに言った。 「だってオレ、そもそも離婚届、役所に出してないし」  そう言って引き出しから、離婚届と結婚指輪をお母さんの前に置いて頭を下げた。 「ハッキリ言ってオレ、甲斐性ありません。家事も驚くほどできないし、やれない。今だって生活の面倒は、結菜に任せきり。やり直して欲しいって言える立場じゃないのは、分かっているけれど、オレと結菜を幸せにしてもらえませんか?」  お父さんの言葉に、お母さんはムスッとした。 「やれない、じゃなくて、やらない、よね。言葉は正しく使ってください」  お母さんを見上げた私の頭を撫でて、お母さんが笑顔を向けた。 「結菜、お母さんのこと、許してくれる? お母さん、またここでお父さんや結菜と暮らしてもいいかしら?」 「お母さん、私もごめんなさい。あの日、家事がお母さんの仕事って言って」  私はお母さんに抱きついた。  お母さんがいなくなってから流さなかった涙を、思い切り流して、心に溜まったものを吐き出した。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!