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「たける」  四月も終わり掛けたある日、小学校から帰る途中だった。  他に人通りもない通学路を歩いていた(たける)を待ち構えていたかのように、声を掛けて来た少女。  真っ白なひらひらしたワンピース、腰まである長い黒髪、細い手足。  身長は健と変わらない。おそらくは年頃も。 「ひさしぶりね、たける。ねぇ、わたしのことおぼえてる?」 「わかんない。だれ?」  健は何も考えずにあっさり訊き返した。  少女の「久しぶり」という言葉は、初対面の相手に向けられるものではあり得ない。  つまり相手が自分を知っている、しかも「会ったことがある」らしいことに、疑問を抱くこともなく。 「みゆき。……わすれちゃったの? ずっと二人でいたじゃない、すぐそばで」  名乗った彼女の少し寂しそうな様子にも、健はなんとも返しようがなかった。  顔には少しだけ見覚えがあるような気はする。しかし、名も含めてやはり知らない相手だ。  健の「人間関係」は、まだそこまで広くはない。  幼稚園時代も、今通っている小学校にも、こんな子はいない。……やはり覚えがなかった。 「ぼく、女と二人になんかならないし!」  彼女が一歩踏み出すのを合図のように、健は身を翻して駆け出す。その場からとにかく離れるために。  知らないもの、……恐怖を誘うなにかから逃れるために。  特に驚きは滲まない声で彼女が発したあの言葉、──「ひみつね!」を受け止めた背中で、不相応に大きいランドセルがカタカタと音を立てていたのも覚えている。 「ただいま! ママ」  インターホンに答えてドアを開けてくれた母の顔を見て、健はようやく安心した。  母に打ち明けなかったのはされたからではない。その時の健の頭にもう「あの言葉」はなかったのだ。 「おかえり、たけちゃん。おやつ食べる? 今日はクッキー焼いたのよ」  母の優しい声に大きく頷いてみせる。 「食べる! チョコもある?」 「ええ。……学校はもう慣れた?」 「うん、楽しいよ! お友達もできたし!」  健は今年、小学校に入学した。ピカピカの一年生。
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