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05《ロイ/ハー/クリス/フレ》
クリスN:ホテルマネージャーのハーヴィー・エドワーズが、セキュリティー部門統括であるロイク・ヴァシュレの部屋に入り浸っているという噂は、それはもう光の速さでクルーたちの知るところとなった。
いくら街ひとつを移植したような船と言われようと、閉鎖空間であることに変わりはない。ハーヴィーとロイクの噂は、娯楽の種として格好の餌食にされたという訳だ。
しかもあろうことか、セキュリティー部門にはとある通例があるという。
『セキュリティー部門の統括は、スタッフをひとりペットにできる』
そんな馬鹿げた噂話をハーヴィーが耳にしたのは、つい一時間ほど前の事だった。引継ぎにやってきた同僚のニヤニヤと締りのない顔を思い出せば、柄にもなく殴り飛ばしたくなるのも頷ける。
ハーヴィー、部屋のドアを勢いよく閉める。
ロイ:「どうしたのかな? 君にしては珍しく荒れているようだけど」
ハー:「っ、帰っていたのか」
ロイ:「まぁ、またすぐに出なければいけないけどね」
ハー:「わざわざ抜け出してくることもないだろう…」
ロイ:「僕がしたいからしているだけだよ。それに、君と飲むお茶は美味しいからね。……どうぞ」
ハー:「あ、ああ。ありがとう」
ロイ:「ところで、今日はどうしてそんなに荒れているんだい?」
ハー:「別に荒れてなど…」
ロイ:「君が手荒にドアを閉めるのなんて、僕は初めてみたけれど(軽い笑い声)」
ハー:「っ、妙な噂を聞いただけだ」
ロイ:「噂? 僕の?」
ハー:「あなたのではないが…」
ロイ:「けど僕が絡んでる?」
ハー:「……まあ」
ハーヴィー、紅茶を飲む。
ハー:「美味い…」
ロイ:「それは良かった。……それで? どんな噂を君は聞いてきたのかな?」
ハー:「……セキュリティー部門には通例があると…聞いて…」
ロイ:「ああ、なるほどね。もしかしてハーヴィーは、僕のペットだと言われてしまった?」
ハー:「笑い事ではない。だいたいそんな馬鹿げた制度をいったい誰が作ったんだ!?」
ロイ:「誰が作ったかは知らないけれど、別に馬鹿げた制度という訳じゃないよ。まぁ、君の態度を見れば、正しく伝わってはいないんだろうけどね」
ハー:「正しく?」
ロイ:「噂には色々と不要なものがついてしまうのが世の常だからね」
ハー:「では、ペットというのは?」
ロイ:「歴代の統括の中には愛玩動物代わりとして部下を扱っていた人もいたみたいだからね。けど、本来はただ自由に補佐役を選べるというだけの話だよ」
ハー:「そんな馬鹿な話が実際あったのか?」
ロイ:「さあね。そもそもセキュリティーの中での話で、ホテルマネージャーの君を僕の補佐役に出来るはずがないだろう? まぁ、だからこそ変に噂が広まってしまったという可能性は否定できないけどね」
ハー:「迷惑極まりない話だな」
ロイ:「まあ、その迷惑な噂は、僕がしっかり否定しておくとするよ」
ロイク、言いながら立ち上がる。
ハー:「行くのか」
ロイ:「そろそろ時間だからね。行って来るよ。おやすみ、ハーヴィー」
部屋を出ていくロイク。ドアが閉まる。
ハーN:閉まったドアをぼんやりと見つめ、ロイクが口づけを残していった額へとそっと触れた。肌が、少しだけ熱い気がした。
ロイクの居ないロイクの部屋は、幾分か寂しい気がする。備え付けの家具を除けば、置かれているのはベッドとテーブルセットだけ。備え付けの執務机の上にさえ、メモ帳のひとつも置かれてはいない。好きに使って良いと言われたクロゼットには、申し訳程度にダークスーツが十着程度下がっているだけだ。
だからといって生活に不自由を感じるかと言われれば、そうでもないのだが。
当初、ロイクに無理やり同室での生活を強要されたハーヴィーではあるが、数日もすれば環境には慣れた。
フレN:デスクに向かったハーヴィーは、ふと思い立って筆をとりあげた。宛先は、生まれた家ではなく、育った教会だ。寄港地や船の写真を同封すれば子供たちは無邪気に喜んでくれる。
ハー:「そういえば、しばらく手紙も書いていなかったな……。皆元気だろうか」
フレN:ハーヴィーには親が居ない。もの心ついた頃にはすでにハーヴィーは、同じような境遇の子供たちと一緒に教会で暮らしていたし、親戚と呼べる人間も、たとえいたとしても調べようとは思わなかった。
それでもハーヴィーにとって、教会での暮らしはそんなに悪くなかったように思う。けして裕福ではないが、食事も寝床も心配する必要がない。ただ、一緒に暮らす顔触れが変わる事はよくあった。
今でもハーヴィーは、たまの休みを利用して教会に顔を出すことがある。育ててくれた神父はすでに他界しているが、血の繋がらない兄弟たちがいつでも楽しげにハーヴィーを出迎えるのは変わらなかった。
長くなってしまった手紙を書きあげて、ハーヴィーがペンを置いたその時、背後でドアが開いた。
ロイ:「起きてたのかい?」
ハー:「手紙を書いていたんだが、思ったよりも時間が掛かってしまったようだ」
ロイ:「そう」
ハー:「食事は? ああ、テイクアウトしてきたのか」
ロイ:「先にシャワーを浴びて食べるよ」
ハー:「そうか」
ロイク、シャワールームに消える。
キッチンに立つハーヴィー。
シャワールームからロイク出てくる。
ロイ:「わざわざ用意してくれたんだね、ありがとう」
ハー:「晩酌のついでだ。あなたも飲むか?」
ロイ:「ハーヴィーお手製のサングリアだね。いただこうかな」
ハー:「私は炭酸水で割るが、どうする」
ロイ:「同じで良いよ」
ハーヴィー、グラスを置く。
ロイ:「美味しそうだね」
ハー:「口に合うといいが」
ロイ:「君が作ったものが、僕の口に合わないはずがないよ」
ロイク、グラスを煽る。
ロイ:「うん。やっぱり美味しい」
ハー:「……そうか」
ハーM:――いったいこの男は私に何をさせたいんだ。
ハー:「ロイク…、ひとつ聞いていいか」
ロイ:「君がその他人行儀な呼び方をやめてくれるなら聞いてあげても良いよ?」
ハー:「他人行儀と言われても…ただのファーストネームだろう…」
ロイ:「僕はみんなみたいにロイって呼ばれたい」
ハー:「……ロイ…」
ロイ:「なにかな?」
ハー:「その…、いつまでこんな事を続けるつもりでいるんだ…?」
ロイ:「僕との生活は嫌?」
ハー:「嫌…というか、不自然だろう」
ロイ:「不自然? なにが?」
ハー:「私にも自室はある」
ロイ:「君の言い方からすると、それって僕との生活が嫌という訳ではないんだよね? だったら別にいいじゃないか。外野は好きにさせておきなよ」
ハー:「違うんだ、…ロイ。私が聞きたいのは…」
ロイ:「言いにくいものを無理に聞くつもりはないけれど、思いつめるような事はなにもないんだよハーヴィー。僕は君に興味があった。だから時間を共有しやすい環境を作った。やり方は少し強引だったかもしれないけれど、それは君が素直に僕の言う事を聞かなかったから。と言えば、君の疑問は解決するかい?」
ハー:「……どうして…」
ロイ:「君はとても素直で分かり易いからね。それに、とても優しい」
ハー:「っ…ロイ…離せ」
ロイ:「こうでもしないと、君は僕と会ってはくれない。そうだろう?」
ハー:「それは……」
ロイ:「毎回君を脅して連れてくるのも楽しそうだけれど、それじゃあ僕は嫌われる一方じゃないか。まぁでも、こうしてたまには触れさせてくれると僕は嬉しいけれど」
ハー:「っ……」
ロイ:「やっぱり、君はとても素直だね」
ハー:「……悪かったな」
ロイ:「本音を言えば、今すぐにでも君を押し倒してしまいたい」
ハー:「ッ馬鹿な真似は…! っ…ロイ、離してくれ…」
ロイ:「良いけど、代わりに今夜は僕の腕の中で寝てくれる?」
ハー:「それはどういう…意味だ」
ロイ:「いつものように君をただ抱き締めて眠りたいだけだよ。それ以上は手を出さないと約束してもいい」
ハー:「どうして今日に限ってわざわざ言うんだ…! いつも好き勝手しているくせに」
ロイ:「だって、いつもは君が先に寝てしまっているから好きに出来るけれど、今夜は起きてるじゃないか」
ハー:「わかったから手を離せ。私はシャワーを浴びてくる!」
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