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宇佐美は午前中クラスの方の当番で、反対に斗真くんは午後からクラスの演劇があるらしい。
今は斗真くんと二人で売り子をしている。
真中先輩は俺たちのことをパンダ1号と3号と呼んだ。だからたぶん2号は宇佐美だ。
それにしても今日は昨日にも増して人が多い。
俺は真中先輩に言いつけられて、店前に看板を持って立たされていた。だからすごく人目が気になる。
「あの人一年なの?見たことないけど」
「A組の瓶井って人だってよ」
「A組って宇佐美くんのクラスの?」
「えっ?瓶井くんってあの眼鏡で根暗そうな?!嘘でしょ?!」
遠巻きの声も聞こえてくる。
それにさっきから何度も道を聞かれたり何を売っているのかを尋ねられたりした。
なんでわざわざ俺に道を聞くのかもわからなかったし、何を売っているのかなんて手に持ってる看板を見ればわかるはずだ。揶揄われているのかもしれないと思うとどんどん気持ちが沈んでいった。視線が上げられなくなって、足元に顔を向けていたら、斗真くんが優しく肩を叩いた。
「碧くん、具合悪そうだよ?平気?」
俺は言葉に出さずに首を振った。
平気じゃなかった。息が吸いづらくて、意識が遠のきそうだ。
斗真くんは周りにいた家庭科部の女の子に後をお願いすると、俺の手を引いてその場から離れた。
校舎裏の人気のないところで、外階段に腰を下ろして、俺はようやく息が吸えるようになった。
斗真くんは少しだけその場から離れると、温かいお茶のペットボトルを持って戻ってきた。手渡されたそれを、なかなか飲まない俺の手から一度取り戻すと、わざわざ蓋を開けてくれた。
一口飲んで喉に流すと、胸の辺りが温かくなった。
「ごめんね、斗真くん。少し休めば平気だから」
斗真くんはそう言った俺の隣に腰を下ろして、無理しないでと背中に手を添えてくれた。
「準備とかの疲れが出たんじゃないかな?あんまり無理しないで、今日は休んでなよ」
俺はその言葉に首を振った。
「違う……疲れてるとかじゃなくて……その……」
「うん?」
斗真くんは優しく穏やかな表情で、俺の顔を覗き込んだ。それですら怖かった。見ないでほしくて、俺は視線を泳がせた。
「あの……さ……変な話なんだけど……」
「うん、大丈夫だよ。話して」
手を握られて心臓が跳ねた。確かめるように斗真くんの顔を見たら、何故かあからんで視線を逸らされてしまった。だけど握られた手は温かいし、斗真くんはずっと優しく背中を撫でてくれている。
少しずつ張り詰めていた気持ちが和らいでいった。
「俺、顔隠すものがないと、ダメで。なんか怖くて」
「え、でも、撮影の時は平気だったよね?」
「うん……あれは、なんか俺としてじゃないから、その場限りだから、割と平気で。学校とかで、瓶井碧だって認識されてる状態だと、なんかダメで……」
「そっか」
「……変だよね、ごめん」
「変じゃないよ、変だなんて思わない。でも……」
俺の言葉に斗真くんは首を振った。その後で少し躊躇い言葉を続けた。
「なんで、そんな風になったの?何か理由があるの?」
「えっ?」
理由を聞かれて驚いた。
そんなの、俺を見ればわかるだろうと思うからだ。
「だって、俺って……あんまり、見てて気分のいい見た目じゃないでしょ?」
「……ん?」
「え?」
「……どういうこと?」
斗真くんは本当にわからないというように首を傾げている。
「いや、だって…俺、ブサイクだし……そのせいで昔いじめられてたし……だから、顔見せない方がいいって言われて……」
思わず斗真くんの手を離して、自分の前髪を引っ張った。
斗真くんはきっと見た目が理由で虐められたことなんてない。見た目を気にして、背中を丸める人間のことが理解できないかもしれない。
「誰が言ったの?……顔、見せない方がいいって」
眉間に皺を寄せながら斗真くんが言った。見たことない表情だった。
「言ったのは誰?親?……お姉さん、じゃないよね。誰か周りの友達……?」
矢継ぎ早に尋ねられて、俺は言い淀んでいた。
宇佐美だ。言ったのは宇佐美。だけど、斗真くんがすごく怒っているように見えた。宇佐美の名前を出していいものか、俺は躊躇った。
「碧くん、変だよ」
「えっ」
変だと言われて、心臓が跳ねた。また俯いて背中を丸めると、斗真くんは「ごめん、違う」と言って俺の頬に手を添えて顔を上げさせた。
「ね、碧くん。俺、碧くんはぜんぜんブサイクなんかじゃないし、それに仮にそうだったとしても隠す必要なんてないよ」
これは知ってる。社交辞令……いや、違うな。斗真くんの場合は優しさだ。
「斗真くんみたいな優しい人ばっかりじゃないんだよ」
俺が頬に触れていた斗真くんの手を退けようと触れると反対にその手を掴まれた。
斗真くんはまだ少し、怒ったような顔をしている。怖いとは思わなかったけど、やっぱり意外な表情だ。そして、怒った顔もかっこいい。羨ましい。
「もうさ、それ逆に腹立つよ。謙遜してるの?なんなの?……本気で言ってるんだとしたら、碧くんはその人の言葉に呪われてるよ!」
「……えっ、の、のろっ…」
「俺は碧くんの顔好き!……もちろん、か、顔だけじゃないけど……だから、碧くんがそんな風に言って落ち込んでるの、すごく嫌だ!」
斗真くんは言い終わった後、顔を真っ赤にして目を逸らした。
掴んでいた俺の手をゆっくり離すと、何やら落ち着かない様子で、自分の膝を小さく叩いている。
「あ、ありがとう……斗真くん……」
「う、うん……」
俺まで恥ずかしくなって、しばらく二人して押し黙ってしまった。
その後で、最初に口を開いたのは斗真くんだった。
「あの、だからさ。隠せだなんていう人の言葉じゃなくて、俺の言葉信じてくれないかな?」
斗真くんはもう一度手を伸ばし、膝に置かれた俺の手に重ねた。
優しく毒のない斗真くんの顔が、必死に訴えかけるように俺を見ている。
「あ、あの……俺……」
そこで言葉を詰まらせて、それ以上出てこなかった。
斗真くんは暫く言葉を待ってくれたけど、それでも俺の口からは何も出てこない。
察したのか斗真くんは小さく微笑むように息を漏らすと、自分のブレザーのポケットに手を入れた。ガサガサと何やら取り出して、それを俺に手渡してきた。
「これ、あげる」
そう言って手渡されたのは使い捨てのマスクだった。
俺はそれを見て急に目の前が照らされたような気分になった。何故この発想がなかったのかと自分の頭の硬さが笑えてくるほどだ。
「ありがとう」
俺は受け取り、外装のビニールを剥がすと、早速それを自分の顔に当てがった。
その状態で、顔を上げると口を塞がれているのにさっきよりもさらに呼吸が楽になる。
可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「碧くん?」
斗真くんはどうしたのかと不思議顔だ。
「ご、ごめん。なんか…ふふっ…なんで、思いつかなかったんだろうって、可笑しくなってきちゃって」
俺につられたのか、斗真くんも笑った。
「本当だよ、顔隠すなら一番スタンダードじゃん」
「ね、ほんと」
ひとしきり笑ったら、かなり気持ちも楽になった。
マスクで顔を隠したまま、俺は立ち上がった。
「もう大丈夫。もどろ、斗真くん」
そう声をかけて、座ったままの斗真くんに手を差し出した。斗真くんは俺の手を掴むとゆっくり立ち上がった。
その流れで、斗真くんの腕が包むように俺の背中に回った。初めて会ったあの日の記憶が浮かんだのは、斗真くんからあの時と同じ花のようないい匂いがするからだ。
「……斗真くん?」
少しの間、何も言わずに抱きしめられて、俺はそっと斗真くんの背中に手を置いた。
それと同時に斗真くんは息をはいて「よしっ」と肩を震わせて俺の体から離れていった。
「もどろ!売るぞ、スウィートポテト!」
「……う、うん!」
そうして、パンダ1号と3号は売り場に戻ったのだった。
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