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「悔しいなぁ。私の方が長生きして、笑顔であなたを見送るって、決めてたのに」
「……こっちこそ、君が召される最期の瞬間までそばに居ようと誓ったんだ。プロポーズに負けたあの日からずっと、この勝負だけは譲らないって決めてた。俺の勝ちだ」
「うん。私の負けだね……ごめんね、見送る側に、させて」
そう言って、60年近く二人で過ごしてきた部屋のベッドの上、君は弱々しく笑った。
俺も笑顔で返したつもりだが、上手くできていたかは分からない。
最期の場所として病室ではなく勝負の歴史が詰まった自宅を選んだのは、実に君らしい選択だなぁと思う。
安らかに微笑む君の口元からは黒い空洞が覗いている。
チャームポイントだった八重歯は擦り減り無くなってしまったけれど、俺にとっては昔と何一つ変わらない。
天文学的に可愛い笑顔。ずっと隣で咲いて欲しいと願った、俺の大好きな笑顔だ。
この笑顔を、君が居るこの家の景色を、網膜が爛れるほどに焼き付けたい。
決して忘れないように。隣に君がいないこれからの日々を、俺がなんとか乗り越えるために。
「私から、勝利報酬をあげるのはこれが、初めてだね」
「あ、あぁ。そういえば、そうだね」
君の声で我に帰る。今にも消えてしまいそうな、小さな声だった。
「何でもあげるよ? 今の私に、できることなら、だけど」
「……じゃあ、一つだけ教えて欲しい」
「な、に?」
「俺は君を、ちゃんと幸せにできただろうか?」
「……」
「返事を聞かせて欲しい。できれば、良い方だと嬉しいんだが」
しかし君が口を開くことは二度となかった。
なんだよ。報酬も払わずに逝ったのかよ。ちゃんと返事聞かせてくれよ。
もう一度でいいから、見せてくれよ。君の無邪気な笑顔を……
一人で暮らすには広すぎる部屋に、静かな啜り泣きの声だけが響く。
1勝725敗。それが俺たちの最終戦績だった。
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