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4 恩返し
話し終えた河西は、湯飲みを手に取り冷えた茶を口に含んだ。
慈海も同じように茶を飲みながら、彼にかける言葉を探した。
「それはまた――、ずいぶんと大変な目に合われましたな。お体の方は、もう大丈夫なのですか?」
「はい。病院で診てもらったところ、骨折のような大怪我はしていなくて、念のため一日だけ入院して帰宅しました。一か月経って、打ち身やねんざもすっかり良くなりました」
「それは、ようございました」
慈海は、うんうんとうなずきながら、二つの湯飲みへ熱い茶を注ぎなおした。
河西は、腕や膝をそっと撫でながら、遠い記憶でもたどるように少し感傷的な顔をしていたが、慈海の目線に気がつくと姿勢を改め膝に手を置いた。
「体は元気になりましたが、気持ちの方はそうはいきませんでした。日が経てば経つほど、わたしを救ってくれた獣のことが気になり、夜も眠れなくなりました。さんざん世話になっていながら、何の礼もせずに別れてしまったことが悔やまれてなりません」
「確かに獣とはいえ、その慈悲深さには胸を打たれます。来世では、今生での功徳が認められ、必ずや加護を授けられることでございましょう。あなたが、気に病むことはありませんよ」
「そうかもしれません。でも、わたしは――、あの獣に自分の手で恩返しがしたいのです」
「恩返し?」
河西は、昔話で、人に命を救われた生きものが恩を返すために人の元を訪れるように、自分も獣の元を訪ね、恩を返したいと言う。
「この寺でお暮らしの住職なら、もしかしたら、あの獣の正体をご存じなのではないか、獣の善意に報いる方法を教えてくださるのではないかと考え、こちらへ参ったのです。住職、どうか、わたしにお力をお貸しください!」
良い返事を聞くまでは、けっして頭を上げまいと心に決めているのか、慈海の前で深く叩頭した河西は、そのまま石像のように固まってしまった。
その様子を見た慈海もまた、湯飲みをもったまま動けなくなった。
確かに、心当たりがないわけではなかった。
寺に伝わる代々の住職の聞き書きには、夜道での不思議な体験がいくつも残されている。おそらく、峠の近くに住む年ふりた狐狸のたぐいの仕業だろう――とも書かれていた。
「このあたりは、『あわい』だからな」――、先代住職のそんな言葉も思い出された。
「頭をお上げください。お役に立つかどうかわかりませんが、わたしができる形でお手伝いいたしましょう。拙僧にも、それなりの法力はありますので」
ようやく顔を上げた河西に、慈海は照れくさそうにそう言って笑いかけた。
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