6 河西紀彦の話②

1/1
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ

6 河西紀彦の話②

 ◇  その節は、ありがとうございました。  住職のお力で、わたしは望みどおり恩返しをすることができました。  今日は、お礼とご報告に参りました。  こちらを出た後、わたしはすぐに峠を目指しました。  いつの間にか、地面に両手をつき、四つ足の生きものとなって歩いていました。  夜目が利くようになったわたしは、月明かりだけを頼りに、先日転がり落ちたあたりまでたどり着くことができました。  そこに寝そべり夜が更けるのを待っていると、何かが近づいてくる気配がしました。  わたしを助けてくれた、あの獸が来てくれたのに違いありません。鋭敏になった耳や鼻が、足音や臭いでそれを教えてくれました。  わたしは、その獸に、独自の方法で呼びかけてみることにしました。 <あんたはひとりかい? よかったら、このあたりをあんないしてくれないか?> <はじめてみるかおだね。これからかりにいくこところだけど、ついてくるかい?> <ああ、いっしょにつれていってくれ>  獣は、驚くくらいすんなりとわたしを受け入れてくれました。  わたしは、獣と一緒に山や谷を巡りながら、小動物を捉えたり木の実をとったりして夜を過ごしました。夜明けが来ると、獣が案内してくれた小さな洞穴で、仲良く身を寄せ合いながら眠りました。  自然に溶け込み、必要な物だけを手に入れ、仲間とともに心安らかに眠る――、人であったときには得られなかった充足感を味わううちに、あっという間に四日がたちました。  五日目の夕方、洞穴で目覚めたわたしは、隣で眠る獣の背中を優しくなめてやりました。  恩返しにきたつもりが、わたしは生きる喜びを感じ、充実した時間を過ごすことができたのです。  あらためて獣に感謝しながら、洞穴を出ようとしたときです。 <いかないで! ずっとわたしのところにいて! おまえがだれなのか、わたしにはわかっているよ!>  少しだけ首を持ち上げた獣が、悲しげな眼差しでわたしを見つめていました。  愚かなことですが、実はわたしはその言葉を待っていたのです。  もう何もかも捨てて、獣と一緒にこの地で自由に生きてみたい――そう思い始めていました。わたしは、洞穴に戻り獣のそばに座りました。 <どこへもいかないよ。おまえがそういうのならずっとそばにいる。ただ、わたしには、はたさなくてはならないぎりがある。そのためには、いちどここをはなれるひつようがあるのだ> <だいじょうぶ。わたしがおしえるとおりにすれば、おまえはかならずぎりをはたせるはずだから>  それから五日あまり、獣は、わたしに特別な技を伝授し身につけさせてくれたのです。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!