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条件その1(鳴澤視点)
その男は、入社してからずっと鐘斗の担当になる事を希望し、やっと入社5年目で、担当する事になったと、初対面で鐘斗の手を握り号泣した。
鳴澤鐘斗の担当に成るには、条件が3つ。
早い時は、1ヶ月もしないで担当が変わる事があったが、前任者は、昨年の春に結婚を期に家業を継ぐ為、円満退職をしたのだ。
「一年か・・・?」
担当と言っても、彼と有ったのは引継の挨拶と、前回の締め切りの時の二回。
今日を入れても三回。
ハムサンドを、口に運び、シャキシャキと新鮮なレタスが音を立てる。
まぁ・・・もった方か?
決して、厳しい条件ではないと思うのだがなぁ・・・。
今度は、ツナマヨに手が伸びるが、その隣のたまごサンドを手に取り口へ運んだ。
ほんのり甘味の有る卵焼き。
ケチャップを少し付け、味を変えようとスプーンに手を伸ばしたタイミングで、書斎の扉がノックされた。
コンコン コン
「・・・まだ、食事中だったんですか?」
返事を待たずに中に入ってきた男が、簡易テーブルの上を見て一瞬眉を顰める。
ツカツカと、扉から数歩で鐘斗の側にその男は立った。
「あ、また!! こんなに、ケチャップ付けるなって言っただろ!?」
「・・・狗澤煩い・・・。別にこれぐらい、良いだろ? 元はトマトだ。」
黄色く見えていた部分は、既に赤く。サンドイッチは、綺麗に紅白になっていた。
盛大に溜息を着いた狗澤は、簡易テーブルの横に用意されたワゴンから手際よくスープを用意した。
「ほら、これも一緒に食べてください。」
「・・・、ありがとう。」
「仕事終わったんですか?」
その問に、さっきまで作業をしていた机を指差すと、書きかけの原稿用紙が風に揺れていた。
「・・・、後でお茶を用意しますね。」
そう言いながら、狗澤は開いていた窓を閉めていた。
狗澤を背に、鐘斗は気にする事なく、のこしてあったサンドイッチに手を伸ばす。
「茶より、菓子が良い。」
「はいはい。ちゃんと、お茶請けも買ってありますよ。 あれ? これは先日のとは別の話ですか?」
「そう、それは次の話。」
「・・・珍しいですね。先生が前のを渡す前に書き始めるなんて・・・」
そう言って、狗澤は何か思い当たのか言葉を続ける事は無かった。
「さてと・・・、僕はその続きでもやるかな。」
「かしこまりました。では、お時間になりましたらお呼びいたします。」
簡易テーブルの上に有った食器達と共に、狗澤は部屋を後にする。
次にこの部屋に彼が来る時は「来客」と共にだろう。
ボーンボーンと、狗澤が出て行った先から柱時計の音がする。
約束の時間が来るまでの間、鳴澤鐘斗は万年筆を動かし続けた。
そうだ・・・、これが出来たら狗澤を連れて旅行へ行くのも良いな。
ふと、閃いた考えに釣られる様に、軽やかにペン先が紙を滑りだす。
ふふんふん♪
興が乗ってきたのか鼻歌交じりで、指揮するかの様にペンが動き最後に「完」の跳ねをシュッとしたところで、書斎の扉がノックされた。
コンコン コン
「お見えになりました。」
「そう。今、行く。」
先を歩く狗澤の後頭部を眺めながら、鐘斗は後を着いて行く。
部屋の前で、こちらを見て手を振りながら小太りの男が声を掛けてくる。
「あ! 先生、今日も相変わらずお元気そうで良かったです!」
「そうかい? 君も、また一回り成長したようだね・・・。」
思わず、その圧に負けて、狗澤の後へ一歩隠れてしまったが、気が付かなかったか、小太りの男は
嬉しそうな顔で、手を振り出した。
「え!そ、そんな! そんな事無いですよ!!私なんて、まだまだですよ。」
そんな男をスルーして、狗澤が扉を開けソファーの方へと用意していたワゴンを運び入れる。
「そんな所に立ってないで、早く座ると良い。」
「あ!はい! そうだ、先生今日はロールケーキをお持ちしたんですよ!」
「へぇ。それは、有難い。」
カチャカチャと、目の前に置かれた渦巻がきっと彼の土産だろう。
「ココのケーキ、有名で美味しいんですよ~。」
「そうなのかい? それなら、君も遠慮せずに食べると良い。」
ティーカップと共に、小太りの彼の前にも少し厚く切られた渦巻が置かれた。
チラリと狗澤の顔を見れば、何も言わずに軽く頭を下げて部屋から出て行った。
「そ、それじゃ!先生、原稿を読ませて貰っても宜しいですか!!」
「ああ、構わないよ。 僕はこのケーキを頂いているから。」
フォークで一口サイズに切りながら、目の前の小太りな男を鐘斗は観察していた。
文字を目で追っているのだろう。
上へ下へと良く動く。
前に、そんなに目を動かして疲れないのかと聞いた事があったのを思い出す。
「私、こう見えて視力良いんですよ!!唯一の自慢です。暗い所でも本を読む事も出来るんですよ!」
小さな子が親に得意げになって自慢している様な顔で、小太りの男は鐘斗を見たていた。
その時の男の目は、ありふれた濃い茶色だったが、キラキラと輝いている様にも見えた。
今は、その目で鐘斗が手渡した原稿を必死に追っている。
ああ、そうか・・・。
だから、彼なのか。
温かな紅茶を啜りながら、鐘斗は窓の外へと視線を向けると、
柔らかな茜色の光の中を、烏が巣へと帰っていくのが見えた。
「・・・そろそろ、時間だが、持ち帰って読んでも構わな・・・」
「ちょ、あと少し!! 先生、しっ!」
鐘斗の言葉を遮り、原稿を最後まで読みきったかと思うと、原稿を胸に抱き顔を上げた。
「っつ・・・。せ、先生・・・! 続きは!? この話の続き!!」
「それで御終い。 僕の作風は君が一番、知って居るじゃないか?」
「そうですけどぉ~!!」
手にしていた原稿を、とんとんと揃え封筒に仕舞いながら、少し小太りの男はすっかりと冷めきったカップへ手を伸ばした。
「気に入らないのなら、書き直そうか?」
「えッ・・・!? そ、そんな!! 駄目ですよ!!先生の話は、これで良いんですから!!」
「けれど、君は何か言いたそうな顔をしているじゃないか?」
カチャリとカップが置かれる。
小太りの男は、酸素の足りない金魚の様に口をパクパクさせたかと思うと
子猫の様な声で、目の前に座る男に聞いていた。
「・・・この話は、最後はハッピーエンドですか・・・?」
「ほぅ・・・。」
その言葉の意味を、この彼が知らない訳が無いのに。
彼自身が、口から出してしまった言葉の重さを理解しているとは思えないが・・・。
コンコン
「鐘斗様、次のお客様がお見えですが・・・」
「ああ。もう彼は、お帰りになるから、案内してくれ。」
そう返事を返せば、ゆっくりと扉が開く。
「!! せ、先生・・・。」
扉の方へとゆっくりと迎えば、後を追う様に小太りの男も立ち上がった。
「せ、先生!!わ、私はただ・・・先生!!」
「さぁ、お帰りはあちらです。お気をつけてお帰り下さい。くれぐれも、客人に失礼ない様にお願いしますね。」
「・・・あ・・はい。原稿、しかと承りました。・・・お世話になりました。」
小太りの男は、軽く頭をさげ、部屋を出ると、タイミング良く廊下に置かれていた柱時計がボーンボーンと鳴り響いた。
だから、時間だと伝えたのに。
時計の音が鳴りやむ前に、鐘斗は扉を閉めた。
逢魔時
ココから先は、何処へ繋がる事やら・・・。
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