孤毒

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 私がこっちに帰ってきたのは、母の体調が少し悪かったから。父は私が小さいときに不倫して蒸発、片親で私を育ててくれた。わがままを言って上京して、製菓の専門学校にも通わせてくれた母を失うかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなって帰ってきてしまった。 「お店は?」  病院のベッドに居座って、私が持ってきたタルトタタンを食べながら聞く。 「一ヶ月くらい休ませてもらった。事情を説明したらわかってくれたよ」 「大丈夫なの?」 「うん。正規雇用ではあるけど、一応まだ修行中の身だから、お店に大きな迷惑がかかるってわけじゃないの」  東京のパティスリーに内定をもらって約一年、いくつかスイーツを担当させてもらえるようにはなったけれど、主戦力というわけじゃない。今月は結婚式の予約もないし(結婚式シーズンはケーキの予約で繁忙期)、帰ってくるにはちょうどいいタイミングだった。 「お仕事楽しい?」 「うん」 「そ、ならいいの」  細くなった母を見て、寂寥が押し寄せる。女手一つ、上京と専門学校に通わせるのはそう簡単な話ではないだろう。実際、父がいなくなってから、母が家にいることは少なかった。時間があれば働いていた。 「昨日は莉奈ちゃんに会ってきたんでしょう」 「うん」 「どうだった?楽しかった?」 「……」  返事をしない代わりに、少しだけ首を傾けて顔を歪めた。「何その顔」と母が先を促すから、ため息をついた。  スマホには、莉奈からのメッセージがいくつか入っている。  昨日は楽しかった、話し足りないからまた会お  そんなありふれたメッセージに返信をする気力が、今は少しも湧いてこない。 「私の知ってる莉奈じゃなかった」 「あら、そう。仕方ないわね」 「え?」 「高校卒業してどれだけよ。人間なんて一年、下手すれば半年も経てば別人になれるわよ」 「それはお父さんの話?」 「そうねぇ…、そう、そうかもしれない」  父のほとんどを知らない私は、未だにこうして母にこんなカオをさせる父が憎くて仕方ない。母を裏切って罪を裁かれることもなく消えてしまった彼を、私はいつか殺してしまいたい。司法がなければズタズタにしてやるのに。 「美味しかったわ、ごちそうさま」 「ん。明日もまた来るけど、持ってきてほしいものある?」 「あら、気遣わなくていいのよ。せっかく久しぶりに帰ってきたんだから、好きなところに出かけなさい」 「好きなところって…。大して行くようなところもないじゃない」 「あなた晩酌はしないの?」 「たまにするけど」 「駅前の商店街の路地裏、あそこスナック街よ。飲みに行くのもいいんじゃない?」  気を遣っているのは母のほうだ。彼女は強がりな性格、故に久々に帰郷した娘相手に弱った姿を見せてしまったことに気が引けているのだろう。 「…着替えだけ持ってくる」
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