孤毒

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 生まれ育った故郷の繁華街。その路地裏に錆びたネオンと酒と埃の匂いが充満するスナック街があった。東京で飲酒可能年齢を迎えたものだから、地元にこんな場所があったことを今になって知る。  病院の独特の消毒液の匂いで満たっていた肺が、夜の匂いに支配される。一番手前にあったスナックに足を踏み入れれば、薄暗い店内でマッチョなマスターがこちらを見た。 「いらっしゃい」 「…どうも」 「カウンターでいい?」  返事をする代わりに、指された席へ黙ってついた。梅酒ロックを注文する。 「あんた一人?」  マスターが梅酒を開けながら聞くから、頷いた。真赤な口紅が、彼(彼女?)の存在感をより鮮明にさせている。 「こっちの人?見かけない顔ね」 「地元はこっちです。今は東京で」 「あら、帰省したのね。おかえり」 「た、ただいま、です」  出された梅酒は甘く、飲みやすい。一昨日こちらに帰ってきたのだが、家にいても母のいない実家はもの寂しくてソワソワしていた。ようやく気持ちが安らいだ感覚を味わう。  スナックには私以外にも数人のお客さんがいた。同年代と思しき男女の団体客と、年配の男性が数人、私とマスターを含めて9人だ。騒々しすぎず、静かすぎず心地いい。  梅酒を飲みきって、梅酒をおかわり。マスターは「悩み事?」と聞きながらグラスに新しい梅酒を注いでくれた。 「え?」 「浮かない顔してる。それがあんたのいつもの顔ってんならいいけど、入ってきたとき死にそうな顔色してたわよ」 「え、ホントですか」 「何よ。あたしでよければ聞くわよ」  同年代の団体客は向こうのテーブルでよろしくやってるし、年配の男性はおじさん同士で会話している。店内では私とマスターが孤立していた。  最初は「あー…」と話すのを渋ってしまったが、10分ほど頭の中で葛藤して目を閉じた。話そうという気になったのは酒のせいか、もしくはマスターの優しさがかつての莉奈に似ていたからだろうか。 「親友がいたんです。高校のときからの、たった一人の親友です。彼女が、居なくなってしまったというか」 「蒸発?」 「いえ、存在はしています。ただ、人が変わってしまっていて」 「グレてた?」 「そんな感じ。真面目だったはずなのに、今は風俗してヘビースモーカーでホスト狂いで…みたいな」 「やな三拍子ね」 「私、莉奈と…、彼女とどう接していいのか、わからなくなってしまって。…もう、会いたくないとすら」  ため息が梅酒に溶け込む気がして、慌てて止めた。美味しい酒を不幸の味にしたくはない。  マスターは組んだ腕をそのままに、しばらく私の言葉が無いと知ると、首を傾げた。 「あんたにとって友達って何?」 「…?」 「あたしにとって友達ってね、"いてもいなくてもいいもの"なのよ。だってそうでしょ?セックスは恋人としか出来ないけど、友達としか出来ないことってなくない?あ、この場合セフレとかナンセンスな話はナシね」 「……」 「他人を後生大事にしていても、どうせ死ぬときは独りよ」  仮に店内のBGMがPUFFYだったとしても、私はマスターの言うことを真面目に、愚直に受け止めていただろう。それくらい彼(彼女?)の言葉は、私の欲しかったそれだった。  莉奈と離れて、インスタで彼女が変わっていく様を見るのがほんの少し怖かった。私の大好きな人が私の知らない人へと変わっていく奇怪さ。嫉妬。違和感。それを先日、目の当たりにしたのだ。彼女に対してのこの嫌な思いは気持ちが悪い。  高校のときまでは同じ空間で同じように、同じことを見てきたのだ。それがほんの少し離れただけで変わってしまった。かつては彼女も処女だったろうに、何人と関係を持ったのだろう。綺麗だった髪も、何度染めたのだろう。  だが私に莉奈を縛る権利はない。それをわかっているが故に、私は彼女に対する接し方をどう改めればいいかわからずにいた。 「彼女と縁を切ったら、私はここに帰ってくる目的が無くなっちゃいます」 「ここに来ればいいじゃない」  少なからず母も私より先に死ぬ。そうすれば私は一人だ。  故郷に帰ってくる理由を、マッチョな彼女に預けて、私はグラスを傾けた。
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