地元に帰る

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 「久しぶり!」  と声をかけられて振り返ると、男の人がこちらを見て手を振っていたのだけれど、私にはその人に見覚えがなかった。昔の知り合いだろうか。その人は私に近寄りながら、こっちに帰ってきたの?と聞いた。私は頷いて、うん、仕事の都合で、と答えて、それから、自分が見覚えのない人にそんな自然に答えたことに、自分でも少し驚いた。そうか、それならまたゆっくり話そう、と言ってその人は去っていき、私はその後姿を見送りながら、誰だっただろう、と考える。  私は、久しぶりにこの地元に帰ってきたところなのだ。ここに戻ってくるのは、20年ぶりくらいだった。その間ずっと帰らず疎遠にしていた。都会の方でもそれなりに人間関係があって、そちらで頭がいっぱいで、地元でのことはあまり覚えていない。だからさっきの人のことも、あまり覚えていないだけで、きっと知り合いなのだろう、と思った。そう、20年も経っているのだ。知っている誰かがイメチェンでもして、分からなかっただけかもしれない。  そう思いながら、私は自分の暮らしていたマンションの一室に戻った。この部屋も、20年ぶりくらいだ。その間ずっと空き屋だった。人に貸したり、あるいは売ることも考えたのだけれど、手続きなどが面倒で放置しているうちに20年が経ってしまっていた。とはいえ、家族がたまにこの部屋に来てくれていたらしく、部屋はきれいなままだった。  ただ、何か違和感があった。久しぶりだから、というだけでなく、懐かしい感じはしなくもないのだけれど、なんだかここが自分の部屋ではないような、そんな不思議な感覚だ。でも写真立てに飾ってある写真に写っているのは間違いなく自分だった。  荷物を整理しながら私はぼんやりとこれからのことを考える。ずっと仕事で頭がいっぱいの生活だった。けれど、ちょっとした失敗でクビになってしまった。何とか別の仕事を探そうとしたけれど、難しくて、そうしてここに戻ってきたのだ。そんなだから、これからのことなんて考えていない。しばらくはここでゆっくりしよう、とも思っているけれど、どうなるのだろうという不安もある。ここで仕事を探すことも考えているけれど、でも今は、どうしたいのか、自分でもよく分からない。考えるほど、気持ちが重くなってくる。  いつの間にか眠っていたらしく、気が付くと朝になっていた。まだ気持ちが重い。気分転換に、散歩がてら買い物に行くことにした。おいしいものでも食べれば気分も晴れるかもしれない。  久しぶりに歩く地元の道と景色は、なんだかとても新鮮だった。こんな景色は初めて見た、と思うくらいだった。歩いていると、自分の悩みが小さなものに思えてきて、少し気持ちが楽になった。都会で生きていくのが無理でも、ここでなら生きていけそうな気がする。そんな明るい気持ちが続いたのは、けれど最初のうちだけだった。  最初のきっかけは、また声をかけられたことだ。久しぶり、と全く知らない人から声をかけられたのだ。誰なのか分からないまま私はお久しぶりですと頭を下げて、思い出そうとしたのだけれど、やはり思い出せなかった。何かがおかしい、と思い始め、そしてそう思い始めると、この景色にも本当は見覚えがないのではないかというような気がし始めた。20年ぶりだから、ここだって工事か何かで景観が変わったのかもしれない、と自分を納得させようとしたけれど、それでも人のことを思い出せないのは確かだし、そういえば、マンションの部屋だって、何か違う気はしていたのだ。そもそも買い物を兼ねて外に出たはずなのに、お店がどこにあるのかもよく分からない。  不安になりながら歩いていると、また、久しぶり、と声をかけられた。挨拶を返しながら、20年ぶりだからとはいえ、こんなに声を掛けられるものだろうか、と思う。そもそも私は昔から人付き合いの苦手な人間だった。年の離れた人との人付き合いはもちろん、同年代の人との付き合いだってほとんどなかった。それなのに、なんだか20年前はここでは人気者だったかのように、声を掛けられる。私の記憶の方が間違えていて、実は私はそういう人付き合いのいい人間だったのだろうか。  そんなはずはない。そんな記憶はない。何か、記憶が混同している気がする。自分のものと、自分のものではない誰かの記憶が、私の中でごっちゃになっているように感じる。私は都会で仕事で失敗して地元に戻ってきた、それは確かなことだ。でも、ここでの自分は、別の誰かのように感じる。ここにいたのは、別の誰かなのではないか。自分でもどういうことなのかよく分からないけれど、そんなことを考えてしまう。  気が付くと私は買い物を終えてマンションに戻っていた。買い物をしているときの記憶がない。不安で頭がいっぱいで、無意識のうちに買い物をしていたのかもしれない。ということは、それができるほど、私はここのことを知っているということだろうか。でも、そんな気がしない。やはり何かがおかしい。  声が聞こえてそちらを見ると、いつの間にかテレビがついていた。ニュースをやっている。それを見て私は驚き、そしてくぎ付けになった。見覚えのある景色が映っていたからだ。それは都会の、私が暮らしていたところの近くの、横断歩道だった。そこで起こった交通事故のニュースをしていたのだ。そして、驚いた理由はそれだけではない。そこには、私が映っていたのだ。
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