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家の中は薄暗くて微かに埃っぽい匂いがしたけど、綺麗に手入れされているみたいだった。
「すごい広い。お掃除が大変そうですね」
「人に頼んであるからね。一人じゃとても手が回らないよ」
同じようなドアがいくつもあって、迷ってしまいそうだ。だだっ広い居間に僕を案内すると、冬馬さんは一冊の本を手渡した。
『謎は風に聞いてくれ』シリーズと「安西冬馬」の名前が印刷されている。
「小学生が主人公だから漢字にはルビが振ってあるし、わかりやすい表現にしたつもりなんだ。お茶を淹れてくるね」
「ありがとうございます」
豪華なソファに座って、そっとページをめくった。
少年と愛犬が力を合わせて不思議な事件を解決する。そんなあらすじだった。
読書は嫌いじゃないけど、こんなに分厚い本を読むのは初めてだ。だけど、冒頭の文章を読み始めると、僕はたちまち本の世界へ引き込まれていった。
かちゃん、とテーブルにカップを置く音が聞こえて、はっとして顔を上げた。冬馬さんが笑顔で僕を見ている。
「気に入った? ずいぶん熱心に読んでたけど」
「はい。とっても」
「よかったらあげるよ。一日じゃ読みきれないだろ」
「えっ、いいんですか」
「サイン入りだよ」
冬馬さんは楽しそうにウインクした。
こんな仕草も絵になるなんて…
ありがたく本を貰うことにして、僕は紅茶に口をつけた。
「いい香り」
「たまには紅茶もいいね」
「すっかりお邪魔しちゃったけど、お仕事は大丈夫ですか?」
「正直言うと、ちょっとスランプでね。落ち込んでたんだ。でも、君と話が出来ていい気分転換になってるよ。自分の作ったキャラクターに会えたみたいだ」
僕みたいな子どもでも話し相手になるなら嬉しかった。アルはふかふかのラグが気に入ったみたいで、お腹を上にしてリラックスしきっていた。
「君は賢いね」
冬馬さんに優しくお腹を撫でられて、うっとりしている。
「アルは、困ってる人を元気づけるのが得意なんですよ。寂しいとか悲しいとか、すぐ気づいてくれて。僕がママに怒られた時とか」
「凄いな。それでさっきは、僕のところに来てくれたのかな」
僕は冬馬さんに小説や毎日のことを尋ねた。彼は達ちゃんの仕事の話を聞きたがった。僕はなるべく叔父の名誉を守ろうとしたけど、やっぱりウケるのは失敗した話の方だった。
「今度達ちゃんも一緒に来てもいいですか」
「ぜひ。聞いてみたいこともあるし、しばらくはのんびりするつもりだからさ。楽しみにしてるよ」
帰り際、玄関ホールで微かに人の声が聞こえたような気がした。話し声と言うよりは泣いてるような、呻いてるような。
風の音? いや…
ううぅ…
おぉぉ…
廊下の奥は光が当たらなくて真っ暗だった。
音はそちらから聞こえてくる。腕の中のアルも気になるのか、きゅうんと切なげな声を出した。
一人暮らしだって言ってたけど
誰かいるのかな
「何か聞こえませんか」
「ああ。風の音かな。古いから結構隙間だらけなんだよ。冬は寒くてかなわない」
「そうですか…」
笑顔の冬馬さんに本と紅茶のお礼を言って、僕は洋館を後にした。
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