隠れんぼしようよ

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隠れんぼしようよ

 保育園の時、サクラ組の園児は全部で十二人。先生は半分にして六人一組の班にした。  私を含めた女の子三人と男の子三人。  六人はとても仲良しで、折り紙や工作、パパやママが見にくるお遊戯会も運動会も、いつも同じグループで一緒に頑張った。  そんな私達には、当時ハマってた遊びがある。昼休み、給食を無理やり詰め込んでから、園庭に走って隠れんぼをして遊んだ。  ジャンケンで鬼を決めたら、鬼だけ残してみんなで散らばる。鬼が両手で目隠しをして十を数えてから「もう、いいかい?」と大声で聞く。私がどこに隠れようかと迷っていると、いつも「こっちこっち」と手招きをして上手な隠れ場所を教えてくれた男の子がいた。  秋山芳樹(あきやまよしき)君だ。当時、六人の中ではあだ名で呼ぶのが流行っていて、芳樹君は(ヨッキー)と呼ばれて、私、真鍋響子(まなべきょうこ)は(キョン)と呼ばれていた。 「もう、いいよ」と誰かの声。  ヨッキーは、いつも私を自分の背中に隠した。そして見つかると、私に「隠れてて」と言い残して鬼の元に走って行く。おかげで私は、いつも一番最後まで鬼に見つかることはなかった。みんなから「強いね」と褒められたのだ。ヨッキーは、とても優しい男の子だと感じた。  私が今も隠れんぼが好きな原点は、ここにある。  小学生になってクラスは違ったけれど、両親が共働きだった私とヨッキーは、小学校の裏に建つ児童館で一緒になった。児童館は十八時まで。学校が終わってから親が迎えに来るまでの三時間みんなで遊んだ。  児童館にて室内で遊ぶ子はあまりいない。雨の日以外は、みんな校庭の中庭に集まる。運動会など行われる校庭は広すぎるから、ちょっと小さい中庭が隠れんぼにちょうど良いのだ。相変わらず隠れるのがヘタな私を、ヨッキーはいつも背中に置いて隠れてくれた。  小学生高学年になると、女子は女子同士でグループを作り、男子グループとは口も聞かなくなった。たまにヨッキーと話すと、周囲から、からかわれる。それが嫌で私とヨッキーは離れていった。家で留守番ができるようになり児童館に行かなくなったのも原因の一つだと思う。  中学になって、私とヨッキーは同じクラスになった。だけど同性は同姓同士が続いて話すこともなく中学二年になった。  私とヨッキーは一年生から部活が一緒で、テニス部で汗を流していた。コートは二面あって、隣のコートでは男子が練習している。ヨッキーがコートに立つと、ついつい気になって彼を盗み見てしまう。ボールを追いかけて、コートを全力で走るヨッキーは、身長は小さかったけど素早くて凄くカッコ良かった。  ある日の部活帰り、友人と別れ一人になった私にヨッキーは声をかけてきた。すぐに浮かんだのは(部活仲間に見つかるとヤバい)という考えだ。彼も同じようで、人目を気にして二人で近くの神社に隠れた。大木が生い茂る名も知らない古びた神社には誰もいない。ただ蝉の鳴き声が降るようだった。  ヨッキーは第一声「久しぶり」と片手を上げる。私も「久しぶり」と手を上げた。同じクラスでも遠い存在。それから二人は、今までの空白を埋めるかのように喋りまくった。ヨッキーは保育園から変わらない。優しい男の子のままだった。この日を機に、私達は皆に内緒で神社で待ち合わせて会うようになった。  お互い、隠れんぼ好きは変わらない。放課後、部活に向かう途中の廊下で、先に肩を叩いて追い抜いて行った方が鬼になる。だいたいヨッキーが私の肩を叩いて走って行った。 「もう、いいかい?」  必死に隠れ場所を探して身を潜め、私は「もう、いいよ」と返す。彼が両手の目隠しをとって自分を探してる。私は、ヨッキーが自分を探す姿を隠れて覗き見るのが好きだった。  中二の三学期、ヨッキーが両親の仕事の都合で転校することになった。  神社での最後の隠れんぼ。  私は鬼になり必死にヨッキーを探した。だけど隠れるのが上手な彼は中々見つからない。間もなく樹齢を重ねた大木の向こうから「さよなら!」と声が聞こえて、ヨッキーはそのまま姿を消した。  私がヨッキーをどう思っていたのか、なぜ一人で残された神社で泣いたのか、あの時の自分には分からなかった。分からないまま時は過ぎ、やがて高校生になった。  高校生になっても、私はテニス部に入部した。そこで甘い衝撃が訪れる。スパーンッとラケットにボールがあたる音。隣のクレーコートを走る練習着の長身な男子。ヨッキーだった。私と彼は偶然にも同じ高校に入学していたのだ。  ヨッキーが私に気づいた時、彼は照れ臭そうに頭を掻きながら「久しぶり」と手を上げた。私も「久しぶり」と返す。  向かい合って身長を比べてみると、中学の時は自分と同じ位だった顔の位置が十センチほど高い。多分一メートル七十五センチはあると思う。 「身長、伸びたね」と私が言うと「キョンのパッツンな前髪とブタ鼻は変わらないね」と返してくる。(鼻の穴が上向きなのは気にしてることだ!)暫く会わない内にヨッキーは生意気になっていた。  間もなくして、誰に隠れる訳でもないけど、私達は神社で会うようになった。高校生にもなって隠れんぼは子供っぽいだろけど、やっぱり隠れんぼをして遊んでしまう。  だけど前と違ったのは、互いに自分の気持ちがハッキリと明確だったことだ。隠れんぼが終わると、大木の前で私達はキスをした。高校一年生の秋、ヨッキーが私の初めての彼氏になったのだ。  隠れんぼはそれからも続いたけど、それだけではなく休日になると二人はデートを重ねた。映画を観たり遊園地に遊びに行ったり本当に楽しかった。  でも高三の夏、私達は塾と受験勉強を理由に距離を置くことになる。そして、そのままどちらともなく疎遠になった。淡い初恋の終わり、今度は涙を流すことはなかった。  受験を見事に突破した私は地元の栃木県を離れ、東京の大学に進学。親の仕送りを受けて一人暮らしをするようになった。    洋服にアクセサリー、欲しいモノは都会に溢れている。仕送りだけでは足らず、私は時給の高い居酒屋でバイトすることになった。  バイト初日、私は以外な人に再会した。ヨッキーだ。彼は私が働く居酒屋で既にバイトしていた。  ヨッキーは私に気づくと「久しぶり」と、きまずそうに軽い会釈をした。私も「久しぶり」と会釈を返す。  彼は髪色を染めて、ワックスでそこらじゅうを跳ねさせた肩上までの長髪。訳の分からない髪型をしている。左耳にピアスが光っていた。 「ずいぶんチャラくなったね」と私が言うと「キョンこそ髪がクネクネして化粧するようになったね」と返す。「パッツン前髪、好きだったのになぁ」ヨッキーは残念そうに呟く。ハサミで横にまっすぐ切った前髪は高校で卒業したのだ。  それからはバイトの先輩として、私は彼から仕事内容を学んだ。  ヨッキーは高校時代から頭が良くて、国立大学に進学していた。同じ東京にいるなんて、そして、こんな広い都会で再び出会えるなんて【運命】としか言いようがない。私と彼は、どちらが告白するでもなく自然と復縁した。    お互い一人暮らしだった為、どちらかの部屋で会うことが多くなる。私とヨッキーは初めて肉体関係を結んだ。同時に互いの部屋の合鍵も交換した。会うのは二人一緒にバイトが休みの夜になる。今日はどちらの部屋で会うか二人で決めて、部屋に着いたら最初に隠れんぼが始まる。ジャンケンで負けた方が鬼だ。今度のフィールドは、どちらの部屋でも六畳一間なので、秒で隠れんぼは終わってしまう。だけど、それでも楽しかった。幸せな時間は一年続く。  終わりは突然に訪れた。ヨッキーが浮気したのだ。いえ、浮気ではなく本気だったようで、彼は「別れて欲しい」と私に土下座した。自分に気持ちのない男に未練タラタラとすがるようなことはプライドが許さない。私は笑顔で「幸せになってね」と告げてヨッキーの部屋を後にした。  涙を必死にこらえて帰宅する。そのままベッドにダイブすると大きな嗚咽と共に私は泣いた。もう二度と恋などしない!彼に会いたくない!大学二年の夏、私は居酒屋のバイトを辞めてコンビニで働くようになった。  どんなに辛いことがあっても、時間という魔法は心の傷を癒やしてくれる。  大学卒業後、私は中小企業だが出版社に入社した。実家の両親は地元に戻れとうるさかったが私はそれを拒否して東京に残った。  仕事内容は、話題になりそうな飲食店を雑誌のページに記事にして紹介すること。ある日、私は美味しいとネットで騒がれているレストランを取材した。店のオーナーと互いに名刺を交換して挨拶を交わす。  店内は、平日の昼間もあってか程よい混み具合だ。私は店内の写真を撮ろうとファインダーを覗き込む。  そこで時が止まった。  窓際の客席に紺色のスーツを着たヨッキーがいたのだ。学生時代は、栗色で長かった髪が黒い短髪に変わっている。でも顔は変わらない、確かにヨッキーだ。  胸に切なくて苦い過去が蘇る。私は彼に気づかない振りをしてシャッターを何枚も切った。そして取材を無事に終えて店の扉を開く。  瞬間、驚愕した。そこにヨッキーが立っていたのだ。彼は開口一番「久しぶり」と笑顔で手を上げる。私は「久しぶり」と、ぶっきらぼうに返して、その場を去ろうとした。  「待って!」ヨッキーが私の二の腕を掴んで引き止める。(今さら)と腕を払おうと振り向く。その刹那、私は大きく両目を見開いた。  ヨッキーが泣いていたのだ。  彼は泣きながら言った。「別れてから、ずっと後悔していた」と、前の彼女とはとっくに別れたそうだ。「また会えるなんて運命」だと彼は言う。  運命……。私も心のどこかで感じた二文字だ。その心は、まだヨッキーへの愛を忘れてはいなかった。 「今度こそ絶対に別れたりしない。キョンを幸せにする」そのヨッキーの言葉が決定打になり、私達は再度、寄りを戻して付き合い始めた。  今度は結婚を意識して同棲を始めた。ヨッキーは大学を卒業した後、大手薬品会社に勤務していた。  六畳二間、それが二人の愛の巣だ。  やっぱり隠れんぼは始まる。ルールは同じ、帰宅して二人揃ったらジャンケンで鬼を決める。だいたい私が勝って隠れる方になる。だけど狭い部屋の中、すぐに見つかってしまうのも一緒。  やがて二十七歳を過ぎた頃、私はヨッキーからプロポーズされた。でも私はその求婚に対して、すぐに返事が出来なかった。なぜなら上司に勧められて断れない見合いをしていたからだ。相手の男性は、I T企業を経営する金持ち。心は激しく揺れた。結果、私はヨッキーに別れを告げて、見合い相手との結婚を選んだ。「さよなら」を言った日、彼は沈黙したまま俯いていた。……ただ、それだけだった。  主人は優しい人だった。でも私にだけではなく誰に対しても優しい人。その優しさで何人も恋人を作った。それでも私は耐えた。二人のかけがえのない大切な娘と息子の為だ。浮気にさえ目を瞑れば、裕福で幸せな家族絵が描ける。  私は主人に愛されてはいない。また、愛してもいない。  日々、心は擦り切れていった。これは(バツ)だ。あの日ヨッキーより主人を選んだ、いえ、愛より金を選んだバチがあたったのだ。  やがて子供達も立派な社会人になり、息子は主人の会社の社長に就任し、主人は引退した。  老後は穏やかな生活だった。そんな日々の中、主人が病気で他界した。主人が他界すると息子と娘の間で相続争いが起きた。二人はいがみ合い憎みあい、私が相続権を持つ財産にまで手を伸ばそうとする。  自分の財産は法により守られている。でも心はボロ雑巾のようにクタクタだった。私は家や株や預貯金を全て売り払い、逃げるように有料老人ホームに入所した。  入所してから暫く経った談話室で、私は懐かしい人に会った。ハゲに近い白髪になり、だいぶ老けてシワも増えたが面影が残っている。その人は間違いなくヨッキーだった。  介護士に尋ねると、ヨッキーは脱サラして会社を起こし成功を手にしていた。独身だった為、養子縁組した息子に会社を後継させての余生だった。  なんと余生を過ごす場所が一緒だなんて、二人は口を揃えて「久しぶり」と挨拶を交わし「これは運命」と、口にした。容姿の変わりはお互い様だと笑い合う。でもヨッキーは「キョンは変わらないよ」と嬉しいことを言ってくれた。  その後、私は彼に深く謝罪した。「そんな昔のことは忘れた」ヨッキーは、そう言って笑顔を見せる。その笑顔は、私を背中に隠し「隠れてて」と言って鬼の元へ走って行く前に残した、幼い少年の笑顔だった。  胸が、どうしようもなく熱くなる。  その後、二人は迷うことなく結婚を選ぶことになる。息子や娘は大反対したが、私の心は決まっていた。残り僅かな時間をヨッキーと共に過ごしたいと。  籍を入れてから、二人は夫婦用の広めの部屋に移った。広めといっても洋室が十畳、和室が六畳の二部屋だ。またまた隠れんぼが始まる。だいぶ衰えて、足も腰も痛かったが、私は介護ベッドの下に潜り隠れた。ゆっくり十まで数えたら部屋の扉が滑らかにスライドする。ヨッキーが私を探している。とてもドキドキした。  彼と過ごす毎日は、大切な宝箱を落とさぬよう、こぼさぬように、そっと積み重ねる日々だった。ヨッキーは、愛される意味と、愛する意味を、幸せとは何かを教えてくれた。  貴重な時間が経過して、やがてヨッキーは寝たきりになり隠れんぼができなくなった。日に日に寝ている時間が長くなり、昏睡になる。最後の瞬間、私はヨッキーの手を握り「隠れんぼしようよ」と言って半狂乱に泣いた。  それからの毎日は空っぽだった。ただ、扉がスライドする度に肩がビクリと動く。「久しぶり」ヨッキーがそう言って私の前に現れてくれるんじゃないか?その期待を諦めることが出来なかったからだ。  たまのレクレーションで、隠れんぼに誘われる時がある。けれど私は参加しなかった。なぜなら、隠れんぼはヨッキーがいてこそ楽しくて、彼がいたからこその遊びだったのだ。 ヨッキーがいない隠れんぼなど何の意味もない。    また彼と隠れんぼがしたい。もう、それしか願いは残されていない。    何度も出会い、何度も「久しぶり」を繰り返した。これが運命ならば、きっと奇跡だって起こるはずだ。  でも、いくら待ってもヨッキーが私の前に現れてくれることはない。運命が奇跡を呼び寄せることはなかった。  あれから十年の月日が経つ。私は九十三歳になった。  ピッピッピッと聞こえる微かな機械音。酸素マスクを口にあてられて、私は老衰という最期を迎えようとしている。自分を囲む複数人が身体を軽く揺すり声をかけてくるけれど、もう私には分からない、何を言っているのか聞こえない。  暗闇が天井からスーと静かに降りてきて、その中に蛍のような柔らかい丸い発光体が浮かんだ。光の中に誰かがいる。すぐに私には分かった。これは奇跡。ヨッキーだ。  少年姿の彼は「久しぶり」と言って片手を上げる。私も「久しぶり」と返したかったが涙が溢れて声にならない。  ヨッキーが私を迎えにきてくれたのだ。  私は最後の力を振り絞り、彼に向かって儚く細い声を放った。 「隠れんぼ……しよ……う……よ」  
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