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私は頭を振り、小さく息を吐くと、気を取り直して、運転席へと乗り込んだ。
「どちらまで行きましょうか?」
後部座席へと振り返り、そう声をかけると、ご婦人は、行先の書かれたメモを渡してきた。
「これから、孫の結婚式でね。結婚式場までお願いしたいの。でも、式場の名前がよく分からなくて。そこへ行って下さる?」
メモへ目を落とすと、式場の名前と案内図が印刷されていた。ここからだと少し距離があるが、最近新しくできた結婚式場で、人気があるのか、これまでにも何度か乗客を乗せたことがあった。
式場の最寄り駅は、もう少し先だが、そこはあまり、大きな駅ではなく、タクシーを捕まえるには、少々不便な場所なので、タクシーを利用しようと思えば、多少遠くても、こちらの駅から乗車した方が良いのだろう。
「かしこまりました」
目的地はわかっていたが、念のためカーナビをセットしてから、メモをご婦人へと返す。それから、シートベルトをカチリと嵌めると、ミラーで安全確認をしてから、私はゆっくりと車を発進させた。
最徐行で駅のロータリーを抜け、大通りに出ると私は前を向いたまま、バックミラー越しにご婦人へと声をかける。
「お孫さん、ご結婚なんですね。おめでとうございます」
「ふふ。ありがとう。もう、急に式場が決まったとかで、連絡が来たから、困っちゃったわ。私にも都合があるのに……」
乗客の中には、無駄に話しかけられるのを嫌う人もいるので、普段は、極力話しかけないようにしているのだが、慶事と聞いたからには、お祝いの言葉くらいと思い、声をかければ、思いがけず、しばらくご婦人の愚痴を聞くことになった。
「……それでね、何とか予定を調節して、こうして来たわけなの。でも、朝早くから動いたから、少し疲れてしまったわ。しばらく、眠ってもいいかしら?」
「ああ。はい。お休みください。あと20分程かと思いますが、到着しましたら、お声をかけさせていただきますので」
ミラー越しにご婦人が目を閉じたのを確認して、私は、ゆったりとした気持ちでハンドルを握り直すと、軽く車窓へ視線を流しつつ、車を走らせる。
窓の向こう側では、何気ない風景がゆったりと流れていく。
ベビーカーを押す人や、友達同士で楽しそうに話しながら歩く人、その間をすり抜けるようにして自転車が走り抜けて行ったり、慌ただしそうに懸命に走っている人がいる。
そういえば、あの女子高生の膝の怪我は大丈夫だっただろうか。
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