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4.エピローグ
駅前の花屋へと戻ると、ちょうど男性が店へ入っていくところだった。
女性は、店の方を気にしつつ、料金を払い終えると、紙袋を手に店へと駆けて行く。
私は、女性の後ろ姿を見送ると、そのまま車を路肩に停めた。ドアポケットに入れてある日報を取り出し、これまでの移動記録を簡易的に書き留める。
記入が終わり、ふと顔を上げると、先程のエプロンの女性と客らしき男性が店先へと出て来ていた。
女性は仕切りに男性客に頭を下げている。それに笑顔で返す男性の手には、あの店の紙袋が握られている。店員の平身低頭ぶりに、もしかして、あの紙袋の中身は、先程取り違えた品物だったりするだろうかと、勝手な邪推をする。
そんな邪推をしている間に、男性は、女性店員に軽く頭を下げると、そのまま、坂の上を目指し、軽い足取りで走り出した。
男性の後ろ姿を見ながら、かっちりとしたコートが走りにくそうだなと、どうでも良いことをぼんやりと思う。
あの彼は、これから花を携え、何処へ向かうのか。小さくなっていく後ろ姿に、昔見た映画のワンシーンが重なった。
坂の上の式場へ躊躇うことなく足を踏み入れた彼は、間もなく、晴れの舞台を迎えようとしている花嫁の控え室へと向かい、花束を掲げながら、後悔と一世一代の愛の告白を告げる。
決して、彼には花嫁を連れ去るつもりなどなかっただろう。ただ、隠しきれなくなった想いを昇華したかったに過ぎない。しかし、その想いに触れた花嫁は、堪えきれなくなり、彼の手を取り、控え室から飛び出した。
2人は、そのまま後ろを振り返ることも無く、坂を駆け下り、これから先に待ち構える苦難と未来に向かって、手を取り走り出した。
そして、坂の下に停まっていた一台のタクシーに乗り込むと、どこか遠くの地を目指し、走り去るのだった。
もう随分と小さくなった男性の背中に、そんな勝手な妄想を重ねていることに気がつき、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
流石にそんなドラマチックな事は、現実にはそうそう起こり得ないし、仮に、そんな事になれば、大騒動だ。そんな出来事はドラマという虚構の世界だからこそ、多くの人の胸を打つのである。
ここで、いくら待っていても、花嫁と彼は私のタクシーを停めることはないだろう。
私は、軽く頭を振ると、妄想から自身の意識を切り離す。
周囲をミラー越しに確認し、ゆっくりと車を発進させた。
さてと、次に見かける人には、どんな話が見え隠れするのだろうか……
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