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彼は、腕にゴールドのロレックスをはめていた。脇の棚に外国たばことカルティエのライターが置いてあった。昔はどこでもたばこが吸えたと先輩に聞いたことがあった。
「景気よさそうですね?」
「ああ? ああ、この時計かい? 結婚記念日に買ってもらったんだ。いいよ、ロレックスは。丈夫で壊れないし、正確だし」
「いや、わたしには高すぎます」
「へえ。あんた何する人?」
「大学の研究室でポスドクです」
「何だい? それは?」
「博士号を取った後、大学で有期契約で採用される研究者のことです」
「ふうん。聞いたこともないなあ」
この世界ではわたしの言うことはことごとく通らなかった。
「ふうん。平成の世ねえ。……どんな時代なの?」
隣のベッドの男が尋ねて来た。多分、よっぽど入院生活が暇だったのだろう。こんな与太話にでも食いついてくるのだ。もう、一日が四十八時間に感じられるくらい長くなっていたのかも知れない。
「とにかく、災害が多いんです。火山が噴火したり、阪神・淡路大震災が起こったり、東日本大震災が起こったり……」
「嘘だよ。それは。関西で大地震なんて起こるわけないじゃないか。よっぽどおかしいよ。この人の言うことは。笑い話にもならねえ」
一言で切り捨てられた。
気づけば、六人部屋のわたしを除く五人が腹を抱えて笑っていた。しかも、わたしを指さしていた。この分だと、平成の世の次に令和が来ることも信じられないだろう。
でも、そんなことはどうでもよかった。このままでは、わたしは完全に認知症の老人のような扱いを受け続ける。早く退院して、元の時代に戻るには、普通の人のように振る舞わなければならなかった。
そして、三ヶ月。
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