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真っ白な長い髭を口の周りに蓄えた老人だった。長い髪を乱暴に後ろで括っている。
目の力が異常に強い、それは活力に溢れているのではなく、狂人的な強さによるものだと瞬時に理解できるほどの強烈な狂煌。
ボロボロになった駱駝色のサファリジャケットにカーキのパンツ。とちらも生地が分厚く、何十年も愛用しているような風合いを醸し出している。
そのいでたちは洋画の冒険活劇に出てくる主人公のようだった。よく見ると右腰の後ろからナイフの柄のようなものが覗いているが、本物だろうか?左腰には革の袋がベルトに括りつけられている。
足元は靴を脱いでおり、やはり厚手の靴下を履き、右足の親指の部分は穴が開いている。
「あんた、人んちで何やってんだ」
疑問符ではなく追及の響き。
「あっ…いや、その、鍵が…えと…」
男は不意に現れた老人に気圧され、しどろもどろになりながら状況説明を試みる。
「死にてーのか?」
脅しではなく質問。
起こりもなく急所を刺された男は、ただ口を開けて埃の混じった空気を肺に入れるしかなかった。
「図星だな」
老人の目の光が強くなる。一歩また一歩と男ににじり寄る。
目線は同じ高さだが老人の圧力は重く、男は射竦められてしまい身体が乾いていくのをただ感じるしかなかった。
「そうビビんな若いの。実のところ、俺もこの部屋に帰って来るのは四十年ぶり、いや五十年だったか、まっそんぐらい久しぶりだ」
そういうと老人は歯を剥き出しにして口角を上げたが、目尻は下がらず相変わらず鈍色の光を湛えている。
「まぁ聞け」
異臭が香るほどの距離まで近づくと、老人は話し始めた。
「あんたが死のうと”今のところ”俺には知ったことじゃないが、あんたは今、ほんとに死ぬほどの状況か?」
男は答えない。
答えられるはずもなかった。突然現れた老人の話を信じるなら、立派な不法侵入である、
実際に窓から飛び降りるほど精神的に追い詰められたとしても、今それを軽はずみに口に出せるほど男は豪胆ではなかった。
答えに詰まっていると、老人が身に纏っていた緊張を解き首を回しながら視線を部屋の中に配らせる。
「昔な、ここの場所が希望に満ちていた頃に俺は妻と二人でこの部屋を買ったんだよ。俺は二十八で妻は三つ下だった」
不意に脈絡のない話しが始まった。
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