透く雪

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透く雪

 ボウルに注いだ豆乳がぺちゃぺちゃと音を立てながら減っていく。  そっと手を伸ばせば、ふさふさとした感触がした。ごつごつとした背骨も感じられたので多分今撫でているのは背中だ。 「美味しい?小雪」  ぶんぶんと空気が震えた。きっと思い切り尻尾を振っているのだろう。  その様子を想像しながらわたしはふふっと笑みを零した。 *  わたしには、生まれつき霊感があって、人ではないモノが視えた。  ある雪の日のことだった。薄汚れた子犬が道端で倒れていた。その子犬が霊だということはすぐにわかった。わたし以外には視えていなかったから。  小さい体でふるふると震えている。頼りなくて弱々しくて。わたしは放っておけなかった。  子犬を拾って来て、まず汚れた体をタオルで拭いた。  子犬が何を食べるか調べた。牛乳を飲んでいるイメージがあったけど、牛乳だとお腹を壊す子もいるらしい。だから豆乳を買って来た。  お椀に牛乳を注ぐ。くんくんと子犬がにおいを嗅いだ。 「お願い、飲んで」  その願いが通じたのか、子犬はぺちゃぺちゃと豆乳を飲み始めた。  それが嬉しくて頭を撫でようとしたらビクッと警戒したので首元を撫でた。子犬は気持ちよさそうに目を細めた。  子犬に「小雪」と名付けた。小雪は次第に元気になっていった。 「小雪、行こうか」  小雪は察したのか尻尾が勢いよく振られた。出入り口の前に立って早く早くとそわそわしている。  小雪を連れて散歩するのが日課になった。公園を走り回るその姿はわたしにしか視えていない。転げ回る小雪に笑いそうになったが、何もないところで一人笑っている怪しい人にはなりたくはなかったので笑いを堪えるのに苦労した。  小雪はわたしの生活の一部となった。 *  そんなある日のこと。目が覚めて起き上がる。いつも通りの場所に、小雪の姿はなかった。 「小雪?」  何処を見ても小雪がいない。  ーーまさか外に出て行っちゃった!?  小雪が勝手に外に出て行くなんてことこれまでなかった。でも、もしかしたら、と思って慌てて足にサンダルを引っ掛けた時、わん、と元気な声が聞こえて来た。 「小雪?何処?」  けれど、辺りを見回しても小雪の姿はなくて。  小雪の声はする。でも、そこに小雪はいない。  ふと、足にふさふさの感触がした。  突然のことに、体がびくっと震える。でも、それは身に覚えのある感触だった。 「……小雪?そこに、いるの?」  何もない空間から、聞き慣れた声が響いた。  わたしはその時察したのだ。  小雪が視えなくなってしまったことを。  突然のことに戸惑って、わたしは力なく座り込んだ。小さくうずくまる。  知らないうちに頬を涙が伝った。ぽたりぽたりと雫がこぼれ落ちる。 「小雪、小雪……」  何度も何度も名前を呼ぶ。  慰めるように、涙をぺろりと舐められた。  ふと目を覚ます。いつの間にか寝てしまっていたらしい。体を起こせば、ブランケットがずり落ちた。 「ブランケットかけてくれたの?ありがとう」  お礼を言えば元気な声がした。きっと今頃ぶんぶんと尻尾を振っているのだろう。  不意にボウルを引き摺る音が聞こえた。はっとしてそちらを見遣る。  まるで催促するかのようにずるずるとボウルが近づいてくる。  くすりとわたしは小さく笑った。 「豆乳が欲しいの?」  肯定するように一つ声が聞こえた。手を伸ばせば、少し濡れた鼻先を押し付けられた。  わたしは立ち上がった。豆乳を手に取って、ボウルに注いでいく。 「待て……よし!」  豆乳がどんどん減って行く。見る間に綺麗さっぱりとなくなった。  ――ああ、小雪は何一つ変わっていなんだ。  豆乳が大好きで散歩が好き。  声も聞こえる。その体躯を感じることもできる。  わたしの知っている小雪はそこにいる。  姿が視えなくなってしまっただけ。  わたしの大好きな小雪は、視えなくても確かにいるのだ。
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