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1. 響子
それは35年前の夏のこと。
当時、東京の大学生だった洋平は、友人の和也と2人で、卒業旅行と称し、北海道に向かっていた。
上野から、今は無き寝台特急『ゆうづる号』で青森駅。そこから、これまた今は無き青函連絡船。
「今年が最後だからな。じっくり味わおうぜ」
和也が言っていたのは、連絡船のことだ。
明け方の5時頃に青森駅に着くと、多くの乗客は、連絡船へと歩いていく。
「本当に、誰も喋んないんだな」
ホームから船へと直結する桟橋を歩きながら、和也が目を丸くする。
それが面白くて、洋平は、つい吹き出してしまいながら、有名な「津軽海峡冬景色」の歌詞を思い浮べていた。
♪北へ帰る人の群は 誰も無口で
確かに、聞こえてくるのは、朝からハイテンションの和也の声と、乗り換え案内のアナウンスだけだった。
乗船し、二人が入ったのは、一番安い船室。カーペットが敷き詰められただけの大部屋で、他の乗客と函館までの時間を共にする格好だ。
「さてと、俺はもうひと眠りするわ」
壁際に荷物を置くと、和也がいきなり鞄を枕にして横たわってしまった。
「おい、寝るんかい。じっくり味わうんじゃないのか?」
笑う洋平に、
「雑魚寝をじっくり味わうんだよ」
和也はニヤリと笑い、目を瞑った。
他にも、さっそく体を横たえる客たちも多くい。確かに、まだ朝の5時だから、そんなものかも知れない。
(しょうがないな。一人でブラブラするか)
セカンドバッグ片手に、外のデッキに出てみた。
ちょうど汽笛が鳴り、ドラの音が響く。
「蛍の光」のメロディーが流れる中、ゆっくりと桟橋を離れていく。
岸壁には、無言で手を振る人々の姿。10人ほどか。人の少なさが、寂しさを募らせる。それでも……
(あの人の数だけの、別れがあるんだ)
洋平の知っている人は誰もいないのに、次第に遠く、小さくなっていく姿を見送っていると、目頭が熱くなってくる。
センチメンタルなところのある洋平は、こんな旅が好きだ。
青森港の人たちが見えなくなると、誰もいなくなったデッキを反対側へと歩いていった。
見渡す限り、真っ青な大海原が気持ちいい。
「……?」
洋平の視界の中に、柵にもたれかかって海を見降ろすようにしている一人の若い女性の姿が入った。
(気持ちが悪いのかな……)
沖へ出て、多少揺れているので、さっそく船酔いでもしたのかと思った洋平は、
「大丈夫ですか?」
と声をかけた。
幸いまだ酔ってはいないが、洋平も乗り物酔いしやすい質で、薬を持ってきていた。
「……!」
びくっと反応し、体を起こした彼女が、洋平を見て、はっとした表情になる。
「薬、よかったら飲みますか?」
そう言いながら、セカンドバッグから酔い止めの錠剤を取り出そうとすると、
「あ、いえ、違うんです」
やっと聞こえるぐらいの声で彼女が言った。
余計なことを言ってしまったと思った洋平は、
「ごめんなさい。僕の早とちりでしたね」
頭を掻いて、苦笑した。
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