迷宮美術館の最後の一枚

4/6
前へ
/6ページ
次へ
「……まったく助かったぜ」  三つ目の角を曲がった女は、ガランと顔の前に掲げていた額を投げ捨てた。  絵は、床に落ちると、粉々に砕けてしまった。なぜかそれは、灰色の石版に変貌していた。  先程、女が二つ目を曲がる前に壁から外してきたものだ。蛇の髪を持つ怪物の前を通るとき盾に使ったところ、こうして石になってしまったのである。  女は芸術品への敬意など毛ほども見せずに、ドレスの胸元をあおいだ。 「見ただけで石になっちまう怪物か。あいつの無駄話も聞いとくもんだな」  女は、嫌なことを思い出したかのように、顔をしかめた。  記憶を振り払うごとく顔を上げ、周囲を眺める。廊下の端には、手かせを嵌められた小鬼が列をなして佇んでいたが、無害とみた女は一瞥しただけで視線を外した。  かわりに、壁の絵にふと目を留める。  陰鬱さは共通しているものの、絵画のテーマは多種多様。だが連作なのか、女の腰のあたり一列は、似た画題の絵が並んでいる。  どの絵の中にも、人が閉じ込められていた──そう思わせる演出で、必死にこちらに出てこようとする人物の姿が描かれていた。画面にびたりと顔を押しつける者の鼻柱は歪んでおり、頭蓋が軋まんばかりの圧を感じさせる。こちらとそちらの境をめくろうと、画面を引っ掻く者の爪は剥がれて血が滲み、その一部は画面を汚していた。  彼らの必死さは哀れを誘うとともに、なぜだか生理的な嫌悪感をも呼び起こす。女はここへやってきてはじめて、ぶるりと身震いした。 『その画家はね……人間を画面の中に閉じ込めた作品を描いた後、発狂してしまったそうだよ』  どこからか聞こえた声に、女ははっと顔を上げる。  声の主を探すように、女は視線をさ迷わせた。先程までのふてぶてしい態度は影を潜め、まるで寄る辺ない幼子の風情だった。  しかし、その廊下に、声の主らしき人影はないのだった。  誰もいないことがわかると、女は忌々しそうに舌打ちした。  今の自分の様子を恥じるように、大股で、最後の角へと向かい……下を見て足を止める。  床の影は、今度はごく普通の、人の形をしていた──
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加