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二、花嫁になった娘
アハハ、と娘の笑い声が木々にあたってこだました。
「はるちゃんが別嬪だからって、悪いことしようとするからそんな目に遭うんだ」
二人の少女が黒い土に開く穴の底を見おろしている。
「悪かったよ。梯子をおろしてくれよぉ」
穴の中から男が哀れっぽい猫撫で声を出す。山向こうの隣村から歩いてきた古着の行商だ。男は一人歩いていたはるを見かけて、いたずら心を起こしたのだ。背負っていた売り物を適当に放り身軽になった男は、逃げるはるを、ヘラヘラと笑いながら追いかけた。春が目指していたさよの家は集落の一番奥、他の家とは離れた山中にある。そのためはるは助けを呼ぶことができなかった。さよが、山道ではなく畑から家まで一直線に斜面を下りてこなかったら危ないところだった! さよは、駆けてくる二人を目にするなり、男に向かって背負子を投げ付けた。男が怯んだ隙にはると手を繋いで走って逃げる。
「待て、小娘!」
止まるはずがない。逃げる先に、畑を荒らす猪を捕るための落とし穴がある。
こうして男はまんまと穴にはまったのだった。
「だめだ。私が見つけなかったら、お前は、はるちゃんのことを手篭めにしてただろ。村長をよんで、お灸を据えてもらわないと」
「クソガキが」
さよは、穴の中で悪態をつく男を放って、はると自分の粗末な一軒家に戻った。
飾り気のない板の間に向かい合わせで座ってから、はるが着ている着物が、いつもと違うのに気づく。
「はるちゃん、今日の着物とっても綺麗。晴れ着だよね? どうして?」
「元太に見せたくて。さやちゃんが先だけどね。どうかな」
「似合ってる! まるでお姫様」
と褒めると、はるは嬉しそうにはにかんですぐ俯いてしまった。
「どうしたの?」
「……私、嫁入りするの」
「元太のとこに?」
と聞くと、俯いたままはるは首を横にふる。
さよは、嫁入りと言う言葉に戸惑った。村の誰かに嫁ぐなら、一緒になるって言うんじゃない? だから思わず詰問する口調になった。
「誰に? いつ?」
「相手はお狐さま。それから……今夜」
「お狐さまって、あの廃れた社の? え、今夜?」
お狐さまの社とは、村境にある小さな神社のことだ。さよは、祖父の昔話を思い起こす。その昔他の村と水を巡って争いになった時、仲裁に入った人好きな優しい神様。でも今はすっかり廃れて手入れされない社殿はボロボロなはずだ。
「風の噂で聞いたんだ。前にお狐さまに嫁入りした隣村の子はそれきり何にも音沙汰がないって。きっと、お狐さまが食べたって!」
さよは、はるの話の内容というより彼女の真に迫った恐怖の表情にビクッとした。
「まさか! 便りがないのは無事に暮らしているからだよ」
「じゃあ、なんで私が嫁に行くの? 他の子が嫁入りしているのに。お狐さまってそんなにたくさん嫁が要るの?」
さよは「うーん」と唸った。神様のことなんてわかるわけない。それに、今は人が寄り付かないちょっと怖い場所になっているけれど、お狐さまの社は、数少ない思い出の場所だ。
「おじいちゃんが生きていた時、私が小さかった頃、あそこのお祭りに連れていってもらったことがあるよ」
さよは赤ん坊の頃に飢饉で両親を亡くした。思い出といえば祖父と過ごした日々しかない。
「そういえば昔は集まるってなるといつもあのお社だったよね」
とはるが言う。
「生まれて初めてお団子を食べたのがあそこのお祭りだったよ。美味しかったなぁ」
しみじみ思い出したら、団子のもちもちとした食感と、ねっとり甘い蜜の味が口の中によみがえった。そしたら自然と言葉が口をついて出た。
「はるちゃん。お嫁さん私がなるよ」
「えっ」
と、はるが目を見張る。
「はるちゃんは元太のこと昔からずーっと好きだったもんね。好きな人と一緒になるのがいいよ。私にはそういう人がいないし、一人きりだし」
さよは、はぁっとため息を吐いてこれと言って家財のない家の中を見回した。釜戸に使い古したせんべい布団。行李には着物が二枚。家といっても、祖父が切り出した木で建てた土間以外一間しかない粗末な小屋だ。
「これだけ狭いと一人で暮らすのが当たり前みたいな気になるんだ。でもやっぱりじいちゃんを思い出して寂しくなる。お狐さまの嫁になれば、これからはお狐さまが一緒にいてくれるってことだよね」
「そんなのだめだよ! 寂しいならうちの子になればいい。ずっと誘ってたじゃん」
「そんなのおばさんたちに悪いよ。はるちゃんがお狐さまに嫁いだら、なおさら」
二人はじっと見つめあった。さよが「ね?」となんでもないことのように微笑む。はるはワッと泣き出し着物が汚れるのも構わず、彼女に抱きついた。
「ごめん、ごめんね」
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