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三、お狐さま
月明かりの中、男二人が駕籠を担いでいる。男たちが歩を進めるたび駕籠の覆いがめくれて、真っ白な着物の端が見え隠れしている。
「嫁入りなんて口ばっかりじゃねぇか。花嫁行列はなし。なんで娘にさるぐつわする? どうして両手両足縛るんだ?」
「わかんねぇな」とぼやく男に、後ろを担ぐ男が押さえた声で「馬鹿か、お前は」と突っ込んだ。
「憐れっぽく泣かれでもしたら、かわいそうになるだろうが。逃してやりたくなるだろうが。けどな。この娘をお狐さまに届ければ、その礼に、領主さまが村に米をたんとくださるっていうんだぞ」
「米? 娘が米に化けるのか?」
「そうだ。ここらの冬は長いからな。米がもらえれば助かる」
「でもなぁ。お狐さまに娘をやると何で領主さまが礼をくれるんだ?」
「しらねぇよ!」
などと男たちが話している間に、先の方に壊れた鳥居が見えてきた。すると前を行く男の顔に風が吹きつけてきた。
「ちっ、夏っていうのにやけに冷たいな」
「気味が悪いぜ」
神社の境内に駕籠を下ろした男達が去る。しばらくしてガタガタと揺れた駕籠から芋虫のように転がり出たのは、白無垢姿で両手両足を縛られたさよだった。がむしゃらに頭を振り口を動かして、さるぐつわを外した。
「痛た……、あいつら乱暴に下ろすから腰が痛くなったじゃないのよ」
「不便そうじゃ。外してやろうか」
独り言のつもりでいたら返ってきた言葉に驚く。声のした方を仰ぐと、狩衣姿の男が小夜を見おろしていた。ひとめで人間でないとわかったのは、彼の全身が淡い光で包まれていたから。それに、頭に二つ、ぴょこんと狐の耳が飛び出ている。それがひどく魅力的に見えた。
「お狐さま?」
「そうだが」
驚いたのかお狐さまの返事が少しうわずった。さよは(可愛い!)と、心の中でもだえた。
「嫁に来ました。さよっていいます」
芋虫状態のまま挨拶すると、お狐さまは訝しげに美しい眉を寄せる。
「よめ? 何じゃそれは」
お狐様は人ではないから、嫁という言葉は分かりにくいのだろうか。
「えぇっと、お狐さまの場合で言えば、番う相手と言えばいいんでしょうか」
「つ、つが……?!」
お狐様の耳がピクピクっと痙攣する。見れば顔は首の辺りまで真っ赤だ。いいなぁとさよは思う。
(お狐さまは肌が白いな)
さよは、急に恥ずかしくなって体を縮こませた。花嫁だからと白無垢を着せられた時は嬉しかったけれど、今は花嫁衣装の白い生地が、畑仕事で真っ黒に焼けた肌を際立たせている気がする。
「バッ……バカなことを言うな。誰が人間などと、つっ……同衾などするか!」
「ど? 何ですか?」
「とにかくもう夜も更けている。しばらく留守にしていたので荒れているが、お堂で寝ていくがいい」
と、お狐さまは咳払いした。
「ここ、久しぶりだなぁ」
オンボロになった社を見て、つぶやくと、「小娘ここで遊んだことがあるのか?」と狐が聞いた。
「小さい頃お祭りでね」
「祭りか。私は時々団子売りに化けて屋台を出していたぞ。団子は好きか?」
「お狐さまが団子を焼いてたんですか?」
さよは、(まさか、あの時私が食べた団子も?)と目を丸くする。狐は(ふふん)と自慢げに鼻をうごめかした。
このお狐さまは、本当に、はるちゃんが言うような化け物なんだろうか? 人をとって喰う怖い神様には思えない。
「それなら、縄を解いください」
「あ、あぁ……」
お狐さまが小夜の縄を解こうとしゃがんだ時、フッと空気が動いた。誰かが境内に入ってきたのだ。それも数人。
「嫌な気配だ。小娘、寝たふりをしろ」
と、お狐さまが暗がりに身を隠すのと、
「居たぞ」
と、静まり返る境内に声が響いたのは同時だった。
ふわりと体が持ち上げられ……この硬い感触は荷車か何かだろうか……に寝かされた。ゴトゴトという音と共に荷台の上の自分が揺れる。
(今度はどこに連れて行かれるの?)
行先のわからない心細さで胸が痛くなった。お狐さまの言いつけを守って目を閉じていたら本当に眠ってしまった。
どれくらい寝たのか。目が開くと見たこともない綺麗な天井が見え、さよは跳ね起きた。布団は白くふかふかで、床には畳が敷いてある。畳なんて初めて見た!
「目が覚めたか、娘。どこか痛むところはないか」
と、声をかけてきたのは布団の横にあぐらをかいた男だった。
「だ、だれ?」
ギョッとして聞くと、男は落ち着き払って答えた。
「私はこの辺り一帯を治めている者だ」
「ご領主さま?」
「そうだ」
「あの、私どうしてここに?」
と、聞くと領主は、
「しばらくここに居なさい」
と言った。
「え、はい。あのでも……」
「お前も本当に狐の嫁になりたかったわけではなかろう。今戻っても差し出されたお前も、お前を犠牲にしようとした村の者も気まず居はずだ」
さよは、自分は本当に狐の嫁になるつもりだったと言おうとして、でも言うのをやめた。さっきから後領主さまは私に何も言わせてくれない。きっと私が喋ることなんて興味がないのだ。
「……私には娘がいてね。体が弱く部屋に篭もりきりなのだ。母を早くに亡くした寂しい子でね。君と同じくらいの歳だから、話し相手になってほしい。食事や着る物は用意する。いいかな?」
「はい」
うなずいて、さよはふと部屋の外が気になった。領主が「どうした?」と聞く。
「静か、ですね」
領主さまのお屋敷なら大勢の人が働いてさぞ賑やかだろうに、廊下を歩く足音も使用人たちの話し声も聞こえない。
「実は娘は目を病んでから物音に敏感になってね。特に大きな音が苦手だ。だから使用人を減らして、なるべくうるさくしないように気をつけている」
「目が見えないんですか」
と聞いたが、領主は答えず手を差し出した。引っ張られて立ち上がる。
「娘のところへ案内しよう」
ほら、やっぱりこの人は私の言うことを聞く気がない。
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