店の名は焼き魚

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 変な名前の店だ、と思った覚えがある。もともとはもっと平凡な名前だったが、客へのインパクトを考えて変えたものらしい。  その店はとても居心地が良かった。常連ばかりではあるが、馴れ合いはせず、みんな一人で静かに飲んでいる。  いつ来ても空いていて、客同士に適度な距離が保てるのも良い。気に入った私は毎日のように通いつめた。 「作家さんか、記者さんなのですか」    ある日、マスターが話しかけてきた。客は今日、私ひとり。他の客に聞かれることはない。   「いつも、原稿用紙に向かわれているので」 「普段はパソコンなんですけど、何となくこのお店では、原稿用紙で書きたくなって。この歳で恥ずかしいのですが、小説を書いてます。趣味ですけどね」 「何歳でも恥ずかしいって事はないと思いますよ。私はゼロから何かを生み出すっていうことが苦手なので、絵を描いたり、文章書いたりできる人は、いつも凄いなって思ってます」  良かったらですが、作品をこの店のお客さんに、読んでもらいませんか。  そういえば、店の壁には何枚かの絵が飾られていた。 「この絵も、よく来られるお客さんが描いたものなんですよ」  コースターだったり、皿だったり。お客が創った色んなものが、この店を形作っていたことを知って、私もその末席に加わらせてもらう事にした。  原稿用紙を綴った小冊子の巻末に、短い感想が書き込まれている。誰にも見せないで黙々と書いていた小説に反響があることが与えた効果は存外に大きかった。それまで短編しか書けなかった私が、ある程度長い作品を書き上げる事が出来たほどに。  しかし、楽しい時間は長く続かなかった。  作品を楽しみにしている、と言ってくれていた人が、突然店に来なくなった。何があったのかはわからない。その人自身も絵を描く人だった。  その人の感想が冊子に綴られなくなって、私は気づいてしまった。いつの間にか、小説への反応を求めるために、この店に来るようになってしまっている。  何となく、それは違う、と思った。  そう思ってから、店への足は遠のいた。一週間に一度が二週間になり、小説を綴った冊子を店に持っていく事もなくなった。  しかし、たまに訪れると、居心地の良い空間は変わらずそこにあるのだ。ただふらりと立ち寄って、一人で酒を飲む。それで良い、と思っていた。  ずいぶん久しぶりになってしまったな。  いつものように店へたどり着くと、閉じられたドアに閉店の知らせが貼られていた。今後は姉妹店のご愛顧を、と書かれている。  確かに、あの客足での経営は難しかったろうと思う。行かなくなった私が悪いのだ。  しかし、客の少ないこの店だったからこそ、私は自分の小説を公開しようと思った。心のまま、何にも迎合せず書いた作品を、ここならば誰かが読んでくれるかもしれない、と思ったのだ。  店は閉店した。でも、原稿用紙に残った感想も、小説を書いていくきっかけを貰った感謝も、私の心からは消えない。あの店のまったりとした、他に代えがたい雰囲気はきっと、訪れたお客の記憶にいつまでも残り続けるだろう。とりあえず、焼き魚という単語を聞く度に、思い出すくらいには。  拙作は2024年3月末にサービス終了となるfavcalcさまに捧げます。    
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