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15
教師になったのは、アイン・オソに残りたいから。
アイン・オソに残るのは、ここにまだリイシャがいるかもしれないからだった。
いや、確かにリイシャはいる。
一瞬だったとはいえ、トルグはリイシャの存在を感じ取った。
魔法使いになったら、デュレンの助手になりたいとリイシャは言っていた。今も彼の側にいるわけか。
だが、なぜ教授たちの中に?
何が起きているのだろう。
疑問は渦巻くばかりだ。
心を伸ばしてみてもリイシャは気配を絶ったままで、鬱々と思い悩む夜が続いた。
しかし、昼間は、自分のことを考える暇がないほど忙しい。
トルグの当面の仕事は、予備舎の教師たちの助手だった。教材の作成やら、実験の準備、名簿の作成、やらねばならない雑事は数多い。トルグはほとんどの時間を予備舎で過ごした。
それでも、生徒たちと触れ合うことは楽しかった。アイン・オソに来たばかりの生徒の、希望に充ちたきらきらとした瞳に昔の自分を思い出した。日々を重ねて、自分の能力の限界に突き当たった生徒がいれば、なんとか励まし力になってやりたかった。
トルグは分け隔てなく彼らに接し、生徒たちもさほど歳の違わぬトルグを慕ってくれているような気がする。
「トルグ」
その朝、エチューダの野太い声が階下で響いた。
トルグの住まいは居住区の入り口、人の出入りが多い道路側の二階にある。外階段を下りかけたところにエチューダが通りかかったのだ。彼の顔を見るのは、魔法使い認可の報告をして以来だ。
「元気にやっているようだな」
「ええ、エチューダ先生」
「会ったら声をかけようと思っていた」
エチューダは、トルグが近づくのを待って一緒に歩き出した。
「魔法使いになったのに、魔法以外のことで忙しい。つまらないだろう」
「そんなことは」
トルグは首を振った。
「今の仕事は気に入っています」
「ならばいいが、〈力〉を錆びつかせてもいかん」
エチューダはトルグの肩をぽんと叩いた。
「月に一度、集会がある。デュレン教授の教え子が集まって、魔法の技術を研究するんだ。
来てみないか」
トルグは、はっと立ち止まった。
「でも、ぼくはデュレン教授の教え子ではないし」
「わたしの学生だった」
エチューダは磊落に笑った。
「同じようなものだろう」
ありがたい申し出だった。デュレンに従う魔法使いの中に入れば、リイシャの手がかりもつかめるかもしれない。
「それなら」
喜びを押し殺してトルグは言った。
「行きたいです。いつ?」
「ちょうど今晩だ。連れて行こう」
深まる秋の夜は、しんと澄みわたっていた。
ひやりとする空気はすでに冬のものだ。星々は紫紺の空いっぱいにまたたき、黒くそびえる塔の頂上近くに、触れれば折れそうなほどの細い三日月がかかっている。
エチューダはトルグを〈塔〉に導いた。居住区のどこかに集まるのだろうと思っていたトルグはいささか驚いた。私的な集まりではなくて、アイン・オソ主催であるかのようだ。デュレンが深くかかわっているのは間違いない。
〈塔〉には、試験の時に一度入っている。しかし直接塔に向かう入り口だったので、本当の内部に入るのは初めてだ。
建物は六角形だ。塔への入り口の反対側に正面扉はあった。飾り気のない厚い扉をくぐると、奥行きのある玄関広間。左右に石階段が伸びていたが、壁に穿った蝋燭台の明かりだけではその先を見ることはできなかった。エチューダはすたすたと広間を突っ切って、両階段の間にある扉を開けた。
内は円形の広い部屋だった。中央に大きなテーブルといくつかの倚子。壁のぐるりに棚と引き出しがはめ込まれていて、大小の本や、さまざまな器具が整然と並んでいる。
玄関広間よりずっと明るいのは、蝋燭ではなくランプ台を置いているせいだ。ランプの火屋は何かの魔法がほどこされているのだろう。やわらかな光が増幅し、室内を照らしている。
ここは、塔の真下なのだ。トルグは気がついた。この天井のずっと上に、試験を受けた部屋がある。壮大な幻に充ちた部屋が。
四人の魔法使いがすでにいて、エチューダに挨拶した。
その中の一人は、予備舎の教師をしているミトルだった。何度か仕事を手伝ったことがある。栗色の長い髪を束ねて頭の後ろに結い上げた、物腰ゆったりとした美青年だ。はじめて会った時、その低い声を聞くまでは女性だと思ったものだった。
ミトルは四人の中で一番若く、ほかの三人はエチューダと同年配の上級教師。顔を見たことはあるものの、直接言葉を交わしたことはない。
魔法使いたちはそろってトルグに微笑みかけた。彼らは自分が来ることを承知していたのだと、トルグは悟った。
「来てくれて嬉しいよ、トルグ」
ミトルが言った。
「後輩ができるのはいいものだ」
じきに二人の上級教師がやって来て、集まる者は揃ったようだ。壮年の魔法使いたちに囲まれて、トルグは自分が場違いな所にいるような気がした。ミトルの気持ちがよくわかる。
エチューダが鍵つきの引き出しから、大きな白木の箱を取り出した。高さのない幅広の箱で、蓋がついていた。
エチューダは箱をテーブルの中央に置き、おもむろに蓋を開けた。中は紫色の布張りで、十個ほどの水晶玉が並んでいた。
エチューダは水晶玉を一個取って、トルグに見せた。掌の上で、子供のこぶし大のそれをころころと転がした。完全な透明ではなく、内部の方に白いくすみがある。
「これは?」
「〈力〉」
「〈力〉?」
「我々の〈力〉はそのつど発せられ、消えてしまう。〈力〉の発動量にも限界がある。それを備蓄するのさ」
「できるのですか? そんなことが」
「試している段階だ。時がたつにつれ〈力〉は濁り、衰える。〈力〉を純粋なまま保たなくては」
トルグは水晶玉と魔法使いたちを見比べた。彼らは何をしようとしているのだろう。〈力〉を蓄えるなんて、必要以上の魔法ではないのか。アイン・オソの掟に背いている。
「トルグが不思議そうな顔をしていますよ」
ミトルが言った。
「確か、この子の最初の教師はランフェルだったね、エチューダ」
灰色の髭を長く垂らした魔法使いが言った。
「抑圧された指導を受けていたわけだ」
「最後はわたしの学生だったよ、バドラス。ランフェルから解放されたと思っていたが」
エチューダはトルグの肩に手を置いた。
「だいたい、ランフェルがいたら君は魔法使いになれたかどうか」
トルグは、眉を上げた。
「どういうことです」
「以前、言っただろう。ヴェズは凡庸な魔法使いばかりになったと。ランフェルのような考えを持った教授が大半だったからだ。彼らは塔の上の試験で、〈力〉ある学生を炙り出し、排除してきた」
「排除──」
「有能な魔法使いになるはずだった者は、その場で〈力〉を奪われ、不合格者にされた」
「そんな」
トルグは息を呑んだ。
「真実だ。それがアイン・オソだった。塔は抜きん出た魔法使いを生み出さないために、建てられたそもそもの時から機能してきた、四百年も」
「でも」
信じられず、トルグは大きく首を振った。
「ラウド先生は、最初から強い〈力〉を持っていました。予備舎の時に、空間ひとつ創り出すほどの」
「彼は特例だ。彼が創ったものは、彼でなければ封じられなかったから、アイン・オソに残された」
「〈力〉ある学生が、これまで認可されなかったのなら」
トルグは必死で否定した
「今いる教授たちの力も昔より劣っているはずです」
「ああ」
エチューダは、からからと笑った。
「それをわれわれに言うかね?」
トルグははっと口をつぐんだ。エチューダたちはデュレンが教授になる以前に認可された魔法使いだ。現在の教授たち同様、〈力〉が劣化した世代?
「たしかにアイン・オソは、自らの手で〈力〉ある魔法使いを切り捨ててきた」
エチューダは気にした風もなく言った。
「だが、魔法使いになってからでも〈力〉が成長し続ける者はいるんだよ。そんな者たちがアイン・オソのあり方に疑問を持つのも無理なかろう」
「これからは、違ってくる」
バドラスが言った。
「〈力〉ある魔法使いが認められはじめた。アイン・オソに残るわれわれも、彼らに侮られないような〈力〉が必要となる。君のような」
「ばくは、人形を助けただけです」
「気がつかなかったか? 塔では、教授たちが君の〈力〉を押さえつけていた。君は彼らの〈力〉を振り払ったのだよ」
「そうだ」
エチューダはうなずいた。
「たいていの者は教授たちの〈力〉に屈し、子供を助けられない。自分の力を思い知り、謙虚に魔法使いとしての道を歩み始める」
トルグは困惑して立ち尽くした。確かにあの時、何かが自分の邪魔をしていた。それが何か、考えることもできないほど夢中だったが。
様々なことが頭をよぎった。
ランフェルの死は、やはりデュレンたちがもたらしたものだったのか。ランフェルが生きて教授になっていたら、自分は本当に魔法使いになれなかったのだろうか。ハルトやファロム、ウゲンはどうだったのだろう。
ふわりとリイシャの面影が浮かぶ。
リイシャ。
リイシャはトルグより〈力〉を持っていた。彼女も魔法使いになったとトルグは確信している。そのリイシャは、なぜか教授たちの中にいた。
トルグは目を閉じ、精神を鎮めようとした。
アイン・オソに何が起きているのか知りたかった。リイシャがかかわっているなら、なおさらのこと。
そう、今はエチューダたちに従うしかない。
エチューダが水晶玉をひとつ取って、トルグに手渡した。
「やってみるかね」
トルグはうなずいた。
水晶玉は、まだくすみがなく透明で、部屋の明かりを受けて冷たく光った。
トルグは水晶玉を両手に包み込んだ。
胸元に引き寄せ、〈力〉を込めた。
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