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22
トルグは、カーラが使っている部屋にもう一つ寝台を置いた。
もともと寝るだけの部屋だったから、狭くなってもカーラに不満はなさそうだった。それどころか、新しい相棒に興味津々のようだ。
「ぼくより年下の子ははじめてだよ」
目をかがやかせてカーラは言った。
「ああ、そうだね」
カーラはアイン・オソで最年少だったのだ。
「弟って、どんな感じなんだろう。兄ちゃんばっかりだったから、わからない」
「わたしも末っ子だったよ、カーラ」
トルグは微笑んだ。
「弟が欲しいといつも思っていた」
夏の終わり、フォーヴァはミトルに連れられてやって来た。
さらさらした黒い髪と薄い灰色の瞳、手足の細いひょろりとした少年だった。
家に入ると、ミトルの脇に身動きもせず立っている。
「よろしく、フォーヴァ」
トルグは屈み込んでフォーヴァを見つめた。
フォーヴァはゆっくりトルグを見返した。その透明に近い目は、何を映しているかわからなかった。表情がいっさい変わらない。
はじめて会った時のカーラは歳より大人びて見えたが、フォーヴァにはそれを超した老人のような諦観がある。
「おいでよ」
紹介がすむと、カーラが待ちきれないようにフォーヴァの手を取った。
「ぼくたちの部屋はこっちだよ」
フォーヴァはカーラに引っ張られるまま、扉の向こうに行ってしまった。
「あんな子だ」
ため息まじりにミトルは言った。
「言われたことは理解しているが、反応が薄い。一人でなんでもできるが、自分からは決して行動を起こさない。生きていること自体に興味がなさそうに思えてくる」
トルグは考え込んだ。
「〈力〉はたいしたものですね」
「そうだ。あれだけのものを、ちゃんと押さえ込んでいる。普通の子供なら使いたくなってしまうだろうに」
「ロイダが抑制させてきたのでしょうか」
「感情までもいっしょに? だとしたら頂けない育て方だ」
トルグはうなずいた。
フォーヴァの仮面のような顔に、表情を与えてやりたいと思う。
向こうからはカーラの声ばかりが聞こえてきた。ここでの暮らし方を教えているようだ。
「カーラが良い影響を与えてくれればいいのですが」
「まったくだ」
ミトルは肩をすくめた。
「フォーヴァは魔法使いになるより先に、人間になる必要がある。やっかいごとばかり押しつけて申し訳ないな、トルグ」
三人での生活が始まった。
朝寝坊のカーラとは違い、フォーヴァはトルグと同じように夜明けとともに起きた。
「おはよう、フォーヴァ」
フォーヴァはトルグにこくりとうなずく。
「ちゃんと返事をしてごらん。朝の空気が声といっしょに身体に入るよ。いい気持ちになるよ」
フォーヴァは抑揚のない声で、つぶやくように、
「おはよう」
「うん」
トルグは微笑んだ。
「井戸で顔を洗っておいで。朝ご飯を作ろう」
フォーヴァは言われた通りにすると、台所の隅に立った。動かず、じっとしている。
「その板の上で、チーズを切ってくれるかな、フォーヴァ。麦粥に入れるから溶けやすいようにね」
フォーヴァはうなずきかけ、声を出した。
「はい」
トルグは、思わずフォーヴァの頭を撫でた。
「いい子だ」
カーラももぞもぞと起きてきた。
「おはよう、みんな。フォーヴァは早起きだね」
フォーヴァはチーズの塊を切りながら目も上げず、
「おはよう。うん」
カーラはチーズを見て目を丸くした。
「すごいや、トルグ。フォーヴァはチーズを全部同じ薄さに切っているよ」
トルグが見ると、透けるほどに薄いチーズが幾枚も積み重なっている。なるほど、これならすぐ溶けるだろう。
トルグは笑を浮かべた。
フォーヴァは愛しいほど素直で、几帳面だ。
「そのくらいでいいかな、フォーヴァ。あとは蜂蜜を入れるんだ」
日々は続いた。
トルグはフォーヴァにもよけいな〈力〉は使わないことを約束させたが、フォーヴァは最初から自分の〈力〉には無関心だった。
カーラは、なにくれとなくフォーヴァの面倒をみてやっていた。フォーヴァは小さな子供のようにカーラに従っている。
しかし、だんだんとカーラも根を上げてきたようだ。
「トルグ、フォーヴァは家でも外でも何も話さないよ」
「話しかければ応えるよ」
「鸚鵡返しか気のない返事だけ。ぼくのことが嫌いなのかな」
「そんなことはない。いつもきみの側にいるだろう」
「でも、顔を見ても何を考えているかわからない。楽しいのか、つまらないのか。怒っているのか、悲しいのか。フォーヴァがいっしょだと、誰も近づいて来ないんだ」
確かに予備舎の生徒たちは、フォーヴァを奇妙な子と思っているようで、遠巻きにしているばかりだった。働く大人たちも、時おりひそひそとフォーヴァのことをささやき交わしている。
気に病んでいるのはカーラばかりで、フォーヴァは淡々としたものだった。
「みんなが何と言おうと、ぼくはフォーヴァが大事だよ。でも、フォーヴァはぼくやトルグのことをどう思っているんだろう」
「わたしたちと同じじゃないのかな、カーラ。ただ、気持ちを表せないだけなんだ」
カーラは頬をふくらませた。
「損な性分だよね」
秋も深まってきた夜、子供たちが寝室に入った後だった。
トルグは居間で本を読んでいた。
寝室で、どさりと重い音がした。何かを叩きつけたような音だ。
トルグは驚いて倚子から立ち上がった。と同時に、フォーヴァが寝室から飛び出して来た。
「トルグ」
かすれた声で言い、トルグの腕をぐいと引っ張る。
トルグはフォーヴァに手を引かれたまま寝室に入った。
寝台と寝台の間の狭い床に、カーラが仰向けに倒れていた。目を見開き、歯を食いしばったままの表情は凍りついていた。
トルグはカーラを抱え上げ、ぎょっとした。
心臓が止まっている。
寝台に横たえ、その胸に手をあてがった。〈力〉でゆっくりと心臓を揺り動かす。
ややあって、カーラの心臓は自分の動きを取り戻した。カーラは大きくあえぎ、目を閉じた。
トルグはふうとひと息ついた。
カーラは意識を失ったままだ。
「ぼくが悪い」
フォーヴァの顔は、カーラと同じくらい青ざめていた。
「ぼくのせいだ」
「どうして?」
フォーヴァは黙り込んだ。その場に立ったまま、身を硬くする。
トルグはフォーヴァを引き寄せた。肩を手を回し、寝台の上に並んで座った。フォーヴァの身体が小刻みに震えていた。表情は変わらないものの、彼がここまで感情を表したのははじめてだった。
「〈力〉を放ったのか」
フォーヴァは、こくりとうなずいた。
「カーラ、大丈夫?」
「じきにもとに戻るよ」
「起きたらあやまる」
「そうしなさい」
「トルグにもあやまる。ぼくは〈力〉を使った。ごめんなさい」
「うん」
フォーヴァが一方的にしたとは考えられなかった。カーラがフォーヴァにそうさせたのか。フォーヴァは語ろうとせず、カーラはぐったりと横たわったままだ。カーラの回復を待つしかなかった。
フォーヴァは身動きもせず、じっとカーラを見つめている。カーラの浅かった呼吸は、しだいに普通の寝息になっていた。顔もうっすらと赤みさしてきたようだ。
外では、虫たちがしきりにすだいていた。夜は更けていく。
「きみはもう寝なさい。カーラはわたしが見ているよ」
フォーヴァはかぶりを振り、ますます身体をこわばらせた。
トルグはフォーヴァの頭に手を触れ、そっと〈力〉を使った。フォーヴァはかくりと首を垂れ、トルグにもたれかかった。
カーラが気づいたのは夜明け近くだった。目を開けて、きょとんとあたりを見まわした。
「トルグ」
「具合はどうだい? カーラ」
「なんともないよ。フォーヴァは?」
蝋燭の明かりの中で、トルグの膝枕で眠るフォーヴァを見つけ、カーラは安心したようにため息をついた。
「何があったんだ? カーラ」
「ぼくが悪いんだ」
「フォーヴァも自分のせいだと言っていた」
「違う。ぼくがフォーヴァの心に入り込んだんだ」
「予備舎に入るまでは、よけいな〈力〉を使ってはいけないと言っていたはずだ。きみにも、フォーヴァにも」
「ごめんなさい」
カーラは顔をゆがめた。
「やっちゃいけないことだとは思ったけど、フォーヴァが何を考えているか知りたかった」
「フォーヴァに拒まれたのか?」
「それも違う。フォーヴァの心には、何もなかった。それでもぼくは、もっと入り込もうとした。奥が深すぎて、暗い深い穴の中に吸い込まれていくようだった。ぼくはどこまでも落ちて、落ちて」
カーラはぞくりと身を震わせた。
「フォーヴァがはじき飛ばしてくれなかったら、ここに帰って来られなかったと思う。フォーヴァが守ってくれたんだ」
フォーヴァがトルグの言いつけを守り通し、〈力〉を使っていなかったら、カーラの精神はフォーヴァの中に呑み込まれたまま、空の肉体しか残らなかったわけなのか。
「フォーヴァは必死でわたしをここに連れてきた」
トルグはフォーヴァの柔らかい髪の毛を無意識に撫でていた。
「フォーヴァにも感情はあるよ。きみのことを、本当に心配していた。あんなフォーヴァを見たのは、はじめてだ」
「そう」
「きみを助けるためにわたしの言いつけにそむいて〈力〉を使ったんだ。心の中に、何もないわけじゃない」
「うん。たぶん心の底のもっともっと奥にフォーヴァの思いはあるんだ。誰も踏み込んじゃいけないところに」
カーラは、天井を見つめてため息をついた。
「ぼくが馬鹿なことをした」
「急ぎすぎただけだよ、カーラ。時間がたてば、もっとわかりあえるようになる。きみがフォーヴァを大事に思っているのと同じくらいに、フォーヴァにとってきみは大切な存在だ」
「ほんとうに?」
カーラは寝返りをうってフォーヴァを見た。
「ああ。本当の友達というのは、言葉がなくとも心が通じ合うものだろう。きみたちは、そうなれるよ」
「だったらいいけど」
カーラはつぶやいた。
「トルグには、そんな友達がいた?」
トルグは、眉を上げた。
鈍い痛みを心に感じた。
リイシャは、自分を友達とみなしてくれていただろうか。
トルグにあったのは、一方的な憧れだった。リイシャを追い求めながら、彼女のことは何もわからなかった。最後まで、わからないままだった。
いま。彼女はどうしているのか。
「いいや」
トルグは言った。
「だから、きみたちが羨ましいよ」
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