騙し騙され、恋してる。

2/5
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 王子稲荷に参拝し、さて、用事も済んだ事やし帰って何しよかなと考えつつふらふら歩く男――大山田佐武朗(おおやまださぶろう)は、近くの草むらが揺れる音に足を止めた。草むらの背後には緑深き山がある。俺より先に前を歩いてた奴も、対向するように来てた奴もおらへん。ならば誰か――何かが山から下りてきたんか?  草の揺れ具合からして、熊のような大型動物ではない事は明らかであったので、大山田はこっそりと覗いてみる事にした。  枯れかかった草の中に黄金色の煌めき。そこには、しなやかな体躯をした一匹の狐がいた。大山田に気付いていない狐は、何故だか装飾美しい着物を口に銜えており、そのまま、ぐぐっ、と背を伸ばす。美しい流線を描く背。そこに生え揃っている黄金色の毛が揺らめいたかと思うと、それは、すうっ、と掻き消え、代わりに滑らかな肌が現れた。  あっ、と息を呑む大山田の前、ふさふさとした尻尾はふるいつきたくなるような瑞々しい尻に消え、ぴん、と三角に立っていた耳は、明るい茶髪をした髪を持つ頭に引っ込んだ。 「ぁ」  か細く震える声がすると同時、ぱさ、と口にしていた着物が落ちる。それを拾い上げる手は白く細い人間のそれ。  大山田が瞬きを忘れ魅入った先、黄金色の狐は栗色の髪をした人間へと変化していた。  ちらり、と見えた横顔は、すっ、と鼻筋が通っており、唇は赤々として肉厚、遊郭の太夫もかくやという美しさであった。  声も出せず見詰める先、狐はいそいそと着物――女物である――を身に纏い始める。あっという間に美女がそこにいた。 「はあ……今日は誰を化かそかな」  頬にかかる髪を払い、狐は、にっ、と笑う。  話は変わるのだがこの大山田佐武朗、同性に人気はあるのだが異性にはとんと無かった。人生で一回ぐらい、誰もが振り返るぐらいの美女と一緒に歩きたい! それが例え化け狐やったとしてもっ。そんな思いに突き動かされ、大山田は大胆にも狐に声を掛けた。 「あっ、章子(あきこ)ちゃん!」  因みに、「章子ちゃん」とは、大山田が幼い頃よく一緒に遊んだ女の子の名前である。いつの間にかいなくなった、笑顔が愛らしかった女の子。  びくん、と狐の肩が跳ねる。そうして恐る恐る振り返ってきた顔には、どこか驚きの色があった。しかし瞬き一回、狐は妖艶な笑みを浮かべる。 「あらまあ、どしたん?」 「久し振りやなあ、元気にしてた?」 「ああ……ええまあぼちぼちと。兄さんは?」  細い指で、髪を耳に掛ける仕草が色っぽい。大山田は草むらから上がってくる狐――章子に手を伸ばした。 「兄さんやなんて他人行儀な……。佐武朗って呼んでや」 「え? ……ああ、さぶちゃん……ぉん、久し振り」  掴んでくる手はどこか戸惑ったように揺れるも、指先が触れた瞬間、吹っ切れたかのように、がしり、と力強く大山田の手を取る。しかし睫毛は伏せられ、こちらを、ちら、とも見ようとしない。 「折角再会したんやからさ、ご飯でも食べながら話しよや」  そうして料理屋に向かう二人を、道行く人が振り返ってくる。その目は羨ましそうで、大山田は内心鼻高々であった。どや? 俺が連れてる女の人、めっちゃ美人さんやろ? 「章子ちゃん、今まで何してたん?」  もっと第三者に羨ましがられたくなり話し掛けれども、 「ん、別に何も……」  章子の答えはどこか歯切れが悪い。その様子はまるで会いたくない人に会ってしまった時のそれで。しかし大山田に化け狐の知り合いはおらず、ぎゅっ、と子供のようにその手を握って料理屋の敷居を跨いだ。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!