騙し騙され、恋してる。

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「それ、佐武朗が悪いやろ」  くっ、と湯気立つ湯呑を傾け、大山田の友である古池(こいけ)が眉尻を下げた。  章子を追い駆けたくても、逃げた方向が分からない。だけどこのまま何も無かったかのように日常には戻れない。悩んだ大山田は、古池に相談したのであった。 「やって美人さんやったから……」 「でも男やって分かって逃げたんやろ?」 「おん……」 「しかも知ってるか? 王子の狐って神様の使いって言われてるらしいで」  それには大山田、ぐっ、と言葉に詰まる。それもそうだ。だとしたら神の使いを騙した挙句、置いて逃げたのだから。  大山田の表情が怒られた童のようになった。 「謝った方がええやろか?」 「そりゃそっちの方がええけど……どこにいてるか知ってんの?」 「知らへん……」  古池の襷も滑り落ちると噂の撫で肩に負けず劣らず大山田の肩が下がる。一口も飲んでいない湯呑を手で弄びつつ、大山田は僅かに唇を尖らせた。  しかしその心の内は決まっており……  翌日、いなり寿司の包みを手に歩く大山田の姿があった。このいなり寿司は大山田が童の時から好きなもので、大切な時に出されてきた。彼にとって最上級の手土産である。  片寄らないよう手にしつつ足を向けたのは、狐が章子へと変化するのを見た場所。足を止めぐるりと見回すも、狐はおろか猫の子一匹見当たらない。 「章子ちゃん」  ぽつ、と口にするも、風の音に流される。 「……章子ちゃん!」  声を張り上げる。すると、がさり、と草むらが揺れた。弾かれたように振り返る大山田、その視線の先に黄金色の狐。 「章子、ちゃん」  ごくり唾を一飲み、大山田は一歩踏み出す。しかし狐は草むらの中に消えた。 「あっ、ちょお……」 「何の用やねん」  暫くして現れたのは、先日とは打って変わって男物の着物を身に着けた章子だった。腕を組み、目を鋭く細めて見てくる。 「章……子ちゃ」 「(あきら)や」  溜息を吐き、目にかかる前髪を払う章子……もとい章。そんな章に対し、大山田は勢い良く頭を下げると同時、手にしたいなり寿司の包みを差し出した。 「ごめんなさいっ!!」 「……それで?」 「それで……これ、お詫びの品です!」  降ってくる声が氷のように冷たく、大山田は顔が上げられない。「章子ちゃん」の面影を感じる顔が歪んでいるのを見たくないのかもしれない。 「お詫び……なあ。相変わらずここの好きなんやな」  言葉の後半、笑みが混じった。反射的に顔を上げた先、呆れたような微笑。 「どういう意味……」 「気付いてんのかと思ってたのに」  章の言葉の意味が分からない大山田、こてん、と小首を傾げる。それを見て、ますます章は笑みを深くした。 「あそぼう、さぶちゃん」  そう言ってにっこり無邪気に笑うは、一緒に遊んだ章のもの。 「章は、章子ちゃんなん……?」  ゆっくり頷く章の茶髪が揺れる。 「あの時から狐やったん?」 「当たり前や。化ける練習してて、女の子として接してたけどな」 「何で急におらへんよなってん」 「そんなん……」  章は大山田から僅かに顔を逸らした。何故かその頬は赤い。章は口を開く代わりに包みを受け取った。そうしてそれを開け、一つ摘まみ上げる。ぱくり、白い歯が半分ほど齧った。 「うまっ。……そんなん、さぶちゃんのこと好きになったからに決まってるやん」 「は? ……え?」 「念願の再会で、しかも『章子ちゃん』って呼んでくれて……ああ、運命ってこういう事なんかなって思ったのに……」  長い睫毛が伏せられる。微かに揺れるそれに、大山田の鼓動は速くなった。  そうして気付けば抱き締めていた。  章の手から食べかけのいなり寿司が落ちる。 「さ、佐武朗?」 「俺、二目惚れしてた」 「は?」 「狐から人へと変化するん見て、あまりの美女なんで惚れてもうてた」 「一目惚れの時は?」 「一緒に遊んでくれてた章子ちゃん。んで、美人さんが章子ちゃんに段々見えてきて……」 「そりゃ同一人物やからな。……でも男やと分かって逃げたやん」  とんっ、と章が大山田を突き放す。見詰めてくる瞳に悲しみの色が滲んでいた。大山田の胸が罪悪感に痛む。 「それはびっくりして……。それに、昔の章子ちゃんも今の章子ちゃんも女の人やと思てたから……」  小さくなっていく声、しかしその両手はきつく拳を握っていた。覚悟を決めた目で章を見る。 「もう、逃げへん。章……」  一歩、章に近付く。 「俺、章子ちゃん……いや、章のこと、好きや」  大山田の言葉を受け、章の瞳が真剣なものになった。 「それは、ほんま?」 「ほんまや」  今度はいきなり抱き締める事はせず、ただ静かに手を差し出す。章はそんな大山田の心を覗こうとするように目を見詰めたまま、そっ、とその手に手を重ねた。 「騙してないやろな?」 「狐みたいに上手に騙されへんわ」  お互い、ふっ、と微笑む。 「取り敢えず、一緒にいなり寿司食うか」 「三日夜餅みたいやな」 「何? いきなりお嫁さんにしてくれんの?」  こつん、と額が合わされ、章が上目気味に見詰めてきた。大山田は熱くなる頬を誤魔化すかのように、「それは章次第やし」とぶっきらぼうに答える。 「……なあ、大切にしてや?」 「するし」 「……もう騙されへんからな」  ちゅっ、と肉厚の唇が重ねられた。  騙し騙され始まった恋が、種族を越えて実ったお話。おあとがよろしいようで。
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