鬼の館

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 桃河町には、知らない人はいない程有名な洋館がある。蔦が洋館を絡めており、白一色のはずの洋館は蔦の緑と、古びた証の茶色を持っていた。構えの門は錆びが目立ち、何十年も放置されている外観であった。  近隣に住む者は気味悪がっているが、それはただ外観を見てのことではない。  この洋館には鬼がいると噂になっているのだ。  人食い鬼が住んでいる、特に子どもが好物で、一度入ると二度と帰れないと囁かれている。  そんな洋館に一人の男子中学生が立ち向かおうとしていた。  満月が輝く深夜、三人の友達が止めようとするも振り払われてしまう。 「やめとこうぜ元太」 「鬼がいるって噂じゃんか」 「戻って来れねえかもよ」  必死に止める三人に耳を貸す気はなく、「あー、あー、聞こえねえ」と両耳を塞ぐ。 「そんなん嘘に決まってんだろ。度胸試しで来たのに、お前等話にならねえ」 「だってこんなところ無理だって」 「うるせえ!見てろ!」 「ちょ、元太」  元太、と後ろから何度も呼ぶ声がするがお構いなしに門を開けて扉へ向かう。  門がすんなり開いたことに驚いたが、開かずとも乗り越えるつもりだった。 「おい、やめろって」 「どうせ鍵なんて開いてねえよ」 「帰ろうぜ」  元太を心配する声は出すが、門の向こうへ行く勇気はない。  三人は固まって元太を見守ることしかできない。  昼間と違い、夜になると洋館が禍々しい何かに包まれているような気がする。  元太がどうしてあんなにも平気な顔で敷地内へ入れたのか、三人は不思議でたまらなかった。 「お前らは来なくていいから、そこで待ってろ」  元太はそう言って扉に手をかける。鍵はかかっておらず、取っ手を引くと問題なく開いた。 「げ、元太ぁ」 「本当に行くのかよ」 「帰りてえよ」  友人たちの弱々しい声に反応することなく、三人の視界から元太が消えた。 「ここで待つのか…」 「帰りたい」 「帰っちゃ駄目かな」  元太を待つことすらしたくないが、もしかしたら元太が戻ってこないかもしれない。  三人は元太を思い、その場から駆け出したくなるのを我慢した。  一方、元太は洋館に入ると懐中電灯で中を照らす。  ドラマや映画で金持ちの家として使われるような内観で、昼間に訪れたら一層立派に見えるだろうなと感心しながら足を進めた。  元太の家はアパートで、両親と妹の四人で暮らしている。あの家は広くないが狭くもない。どちらかというと狭い方だが、元太にとってそれ程狭いと感じたことはない。けれど、この洋館の中に入ると、こんな広い家に住めたらなと思ってしまう。  度胸試しで来たのだが、そんなこと忘れたように洋館の中を見て回る。  家具が豪華で、よく照らして見るとカーテンの柄も元太の家にはないオシャレな洋風だった。 「すげぇ」  電気をつけてよく見たい。そう思ったが度胸試しで来たことを思い出して懐中電灯の明かりだけを頼りにする。  一階には部屋がたくさんあり、どの部屋も入ってみたが誰もいない。当然だ。鬼なんて存在しないのだから、人が住んでいないこの洋館は誰もいないに決まっている。  度胸試しといっても、所詮は無人の家。  大したことないな。これならお化け屋敷にでも行く方がマシだ。  元太は階段を上がりながら溜息を吐いた。  あの洋館に行ってきたぞ、と明日登校したらクラスメイトに自慢しようと思ったが、馬鹿らしくなってきた。  綺麗な家にお邪魔しただけだ。  皆が怖がっているあの鬼が出る古びた洋館は、ただの綺麗な洋館でした。そう言うのも白ける。折角来たのに残念だが、この話をしたところで誰も驚いてはくれないだろう。  本気で鬼が住んでいると思っている輩には驚かれるだろうが、実際、誰も洋館にいないのだから「なぁんだ」の一言で終わってしまう。  あーあ。さっさと他の部屋を見て帰ろう。  そう思ったが、ふと違和感を覚えた。  あれ、さっき自分は何を思っただろう。何か引っ掛かる。  そうだ、洋館の見た目と実際に入った感じが違うのだ。ちぐはぐしている。  洋館は古びている。これは外から見た感想。しかし、元太は洋館に入って綺麗だと思った。  まるで誰かが掃除をしているかのよう。  元太は顔が青くなった。  いや、でも、掃除をしているようだからといって、住んでいるとは限らない。  例えば持ち主や家政婦が定期的に訪れているのかもしれない。  元太の心臓が少しずつ大きく動き始める。  胸元の服を片手で掴み、小さく深呼吸した。  大丈夫だ。鬼なんて存在するはずがない。大人の言うことを聞かない子どもを怖がらせるために作った話なのだから。  自分を落ち着かせ、再び歩を進める。  元太はキィ、と音を立てながら扉を開けて階段の近くにある部屋に入った。 「…女の子の部屋?」  つい声に出してしまう程、この部屋の至るところから女の子を感じた。  飾っている人形やぬいぐるみ。桜色のベッド、花柄のカーテン、ハート型の時計。  なんだか入ってはいけない部屋に入ってしまったようで、元太は部屋を出ようと扉を押すが、開かない。 「え?」  部屋へはどう入ってきただろう。扉を引いただろうか、押しただろうか。  女の子の部屋から出ようと扉を押したり引いたり試してみるが、どうしても開かない。  古い洋館だからこういうこともある。  その後も扉を開けようと奮闘するが、開く気配はない。  元太は徐々に不安になる。  もしかして出られないのではないか。  怒った鬼が元太を帰さないようにしているのではないか。  鬼は本当に存在するのか。  鬼を意識すると元太は焦り始めた。  ガチャガチャと扉を壊す勢いで開けようと試みるが、どうしても開かない。 「ふざけんなよ!」  元太は扉に体当たりをし、開けるのではなく壊すことを考えた。  それでも扉は開かない。  そうだ。外には三人がいる。窓を開けて声をかけてみよう。  懐中電灯で部屋を照らすが、部屋に窓はなかった。 「嘘だろ」  窓のない部屋があるのか。  窓はない、扉は開かない。元太はじわじわと恐怖を感じていた。  どうしよう。どうしよう。早くここから出ないと。  噂で流れている「一度入ると二度と戻れない」という言葉を思い出し、汗が額を伝った。 「誰か!誰か!」  拳で扉を叩くが、当然の如く何の反応もない。  それでも静寂を掻き消したくて、扉を叩き続ける。  そのうち手が赤くなり、じんじんと痛みが走ったので叩くことをやめた。  心臓の鼓動は高まり、呼吸が荒くなる。  どうしよう、どうしようとそればかり頭の中で反芻する。  扉の前で棒立ちになっていると、「ねぇ」と声がした。 「うわああ!」  知らない声に驚いて振り向くが、誰もいない。  人がいないのに声がするはずはない。  その場に蹲り、周囲を見渡す。  誰もいない。気のせいか。  正面を向くと、女の子の顔があった。 「うわああああ!」  懐中電灯は光を放ったまま床に転がっており、目の前にいる人の顔はよく見えないが女の子であるというのは分かる。  長い黒髪が幽霊のようで、元太は床に尻をつけたまま後退りをした。 「君、人間?」  その質問が人間ではない。 「ねぇ、答えてよ」  女の子は元太に近寄り、数センチの距離で見つめる。  元太は歯をかちかち鳴らしながら恐怖に耐え、首を上下に振った。  女の子の髪が元太の頬を滑る。その髪の毛が絡みついてきそうで元太は硬直した。 「お願いがあるの」  女の子がどんな表情をしているのか元太には分からない。  ただ声色はとても澄んでいて、悪いものは感じなかった。  それが唯一の救いとなり、元太の硬直は解かれた。 「一緒に玄関まで付いてきてくれる?」  元太は断ることができず、頷いた。  父親が今の元太を見たならば「男なんだから泣くな」と叱るだろう。  しかし瞳から静かに流れる水は自分で制御できるものではない。  これは涙ではない。水だ。 「ほら、行こう」  元太は女の子に手を引かれて立ち上がる。  泣き叫び、その手を振りほどきたかったがそんなことをすればどんな仕返しをされるか分からない。  死人のように冷たい手を我慢し、懐中電灯を持って部屋を出た。扉はすぐに開いた。 「君、名前は?」  隣を歩く女の子の顔を、怖くて見ることができない。前を向いて、必死に両足を動かす。 「げ、げ、げ、んた」 「げげげんた?変な名前」 「げ、ん、た」 「元太。そう、いい名前だね」  どこが良い名前なのか分からないが、女の子は特に元太を害するわけでもなく、ただ普通の女の子のように話をしている。  もしかして、そんなに怖い存在でもないのか。  元太はきゅっと結んでいた唇を解く。 「あの、名前、は?」 「私?」 「う、うん」 「鬼」 「え!?」 「嘘」 「えっ」 「ふふ」  揶揄われている。  そう気づくと青くなっていた顔が途端に真っ赤になった。 「五花」 「いつか…?」 「そう」 「お願いって、何?」  揶揄われたことで恐怖心よりも羞恥心が勝った。  話題を変えるべく、五花の言ったお願いについて詳細を求めると丁度玄関に着いた。  五花は扉の上を指す。 「あれを剥がしてくれないかな?」  あれ、と指すものを懐中電灯で照らす。 「あ、あれ?」 「そう、あれ」  あれとは、長方形の紙に「禁」と書かれたもの。どう見ても御札にしか見えない。何かを封印する時に使うような御札だ。  何故そんなものを剥がさなくてはならないのか。 「あれを剥がしてくれたら、外に逃がしてあげる」 「に、逃がす…?」 「うん」  逃がす、という言葉が引っかかる。 「もし剥がしてくれないなら、逃がさない」 「は、剥がすよ!」  逃がさない、と言った瞬間空気が冷たく変わったのを察知し、元太は剥がすことを決意した。  リビングに椅子があったはずだ。  元太はその椅子を玄関に持って来て、靴を脱いで椅子の上に立った。 「届く?」 「多分…」  紙の下方に手が届き、爪でかりかりと紙を引っ掻いて指で紙を掴んだが、元太の身長を考慮すると完全に剥がすことは難しい。 「剥がせそう?」 「ちょっと、難しいかも…。上の方に届かない」 「そう」  もっと高い椅子を持ってくるしかないが、高い椅子なんてあっただろうか。  そう考えていると、元太の体が浮いた。 「え!?」 「これでどう?」  元太の横腹は両手で掴まれ、元太は浮かされた。  しかし、五花の身長は元太と同じくらいだったはずだ。並んで歩いた時、声は元太の隣からした。上から声はしなかった。  いや、気のせいだ。きっと五花も椅子に立っているのだ。そうに違いない。そう思いたい。  腹部に感じる大きな手がとても固くて、到底人間とは思えないような爪が食い込んでいるのも、きっと気のせいだ。 「どう?」 「だ、だ、だ、大丈夫、かな」  毛穴という毛穴から汗が垂れ流れているようだ。  とにかく御札を剥がさなければ逃がしてくれない。逃がしてくれないとどうなるかなんて考えたくもない。  元太は震える指で御札を触り、ちまちまと捲る。  まさか剥がした瞬間殺されるのではないだろうな。  まさか五花は鬼なのではないだろうな。  余計な疑問が生まれる度に頭の中から必死に掻き消す。 「お、後少しで剥がれそうだね」  ぺりぺりと音を立て完全に剥がれると、元太の足は椅子に乗った。  腹部にあった大きな手はなくなり元太はゆっくりと椅子から降りた。 「よかった。ありがとう。困ってたんだよ」 「い、いいえ…」 「じゃあ、気をつけて帰るんだよ」 「え、あ、はい…」  元太は一度も五花の顔を見ることなく扉に手をかけた。  しかし、元太は度胸試しでここに来たのである。  せめて五花の顔を見て帰りたい。  恐怖はあるが、同時に好奇心もあった。  洋館の外に出て、扉が閉まる瞬間元太はちらっと振り返り五花に懐中電灯を向けた。  そこには、右半分が人間の女の子で左半分が人間とはかけ離れた怪物の顔があった。  鬼だ。  立派な角が二本生えていたのを目で捉えると、扉は閉まった。 「ぎいいいやああああ!」  元太は失神し、その場に倒れ込んだ。  外で待機していた三人が慌てて元太を担ぎ、家に送り届けた。  元太が目覚めると太陽は登っており、時計の短針は一を指していた。 「あの時の元太凄かったぜ。大声出した後、倒れたんだもんな」 「ぎいやああ、って、お化けでも見たような反応でさ」 「もう度胸試しなんてするなよ」  三人は一週間経っても元太の醜態が忘れられないらしく、こうして学校でも笑うのだ。  その度に元太は怒りやら恥ずかしさやらがこみ上げ、「もうその話はいいだろ!」と怒鳴りつける。  にやにやと面白そうに笑う三人を睨みつけ、机の上に伏せる。  武勇伝を語るどころか醜態を晒しただけになってしまった。学年では「度胸試しで洋館に行ったけど怖くて倒れた奴」と噂され、悲しいことになった。 「もう二度とあんなとこには行かねえ!」 「それがいいよ」 「俺たちは最初から行くなって止めてたのによ」 「元太が言うこと聞かないからだぜ」  容赦ない追撃をされた。 「あ、そういえば、聞いたか?今日転校生が来るらしいぞ」 「は?転校生?」 「それ俺も聞いた。女の子らしい」  ホームルームまであと五分ある。  もしその話が本当なら担任が見慣れない女子生徒を連れて教室に入ってくるのだろう。 「ほら、席に着けー」  担任がジャージ姿で教室に入ると、立っていたクラスメイトは席に座る。  全員が席に着くと、担任の後に続いて制服を着た女子生徒が教室に足を踏み入れた。 「...え?」  思わず声が出てしまったのも無理はない。  あの顔は知っている。  洋館を出る時に見た、人間と鬼が融合された顔。右側が人間で、左側が鬼。その右側の顔が、確かあんな顔だった。 「転校生だ。自己紹介しなさい」  担任の先生に促された女子生徒は元太と目が合うと微笑んだ。  まさか。 「鬼島五花です。よろしくお願いします」  クラスメイトは拍手をし、五花を迎えた。  五花。聞き覚えのある名前。  紛れもない、あの洋館で出会った女の子。  五花は元太から視線を外さず、口角を上げて笑った。  鬼だ。鬼が転校してきた。鬼が笑いかけた。鬼に居場所がバレた。 「きゃー!先生、元太くんが白目になって動かなくなりました!」  元太の意識は遠のき、数時間後、目覚めたら保健室のベッドの上だった。そして隣には、椅子に座って本を読んでいる五花がいた。  きっとこれも気のせいだ。夢なのだ。  元太は再び目を閉じ、現実に戻ろうと意気込むも五花の「あ、起きた?」の声で絶叫した。  人間に化けた鬼がすぐ傍にいる。  元太の恐怖心は頂点に達し、その場で意識を失った振りをするほかなかった。
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