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8時40分。
緊急朝礼のために体育館に集まった生徒たちは、先輩の自殺を知らない人がほとんどだったようで、いざ、そのことが知らされると水を打ったようにシーンと静まりかえった。
それからややあって「信じられない」とか「どうして」という声が一斉に上がる。その地鳴りのようなどよめきを聞いていると、結花の脳裏に先輩のいろんな姿が浮かんでは消えていった。
屈託のない笑顔、爽やかな目、美しいランニングフォーム…。
そのすべてが、いまや儚い。
先輩はどうして自殺なんてしたのだろう。悩んでいたなら言ってくれたら良かったのに。そうしたら私、きっとなにか助けに…。
……なれただろうか?
わからない。
もしかしたら先輩はとっくになにかサインを出していて…。私が気づかなかっただけかも。そうだとしたら私は自分が情けない。好きだ好きだと言っておきながら、そんなの…馬鹿みたいだ。でも…。こうも思う。
──本当に自殺なのだろうか?
奈央と絵美の話では、先輩の死に方は妙だった。自分で自分の首を絞めるだなんて…そんなことできるの?
想像してみる。両手を首に持っていって…ギュッと絞めて……息が苦しくなってきて…目がチカチカしてきて…手に力が入らなくなって………。
無理だ。不可能だと思う。そんなふうに死ぬくらいなら、ふつうに首つりをした方が、ずっと楽だ。
でも……。
もし、ヒイミさまを見たせいだとしたら?
ヒイミさまの呪いが、先輩を死に追いやったのだとしたら?
呪いが本当かどうかはわからないし、噂は噂でしかないかもしれないけど…とても不安な気持ちになるのは、なぜだろう。
そこまで考えたとき、背筋がぞくりとした。
思わず身震いする。いつのまにか空気が冷え込んだ気がして、結花は自分の二の腕を強くつかんだ。
その瞬間、いっそう大きなどよめきが起きた。ハッとして周囲を見渡すと、奈央と絵美が顔を真っ赤にして震えている。
「どうしたの」
小声で聞いた。すると奈央が目に怒りをたたえて言う。
「先輩が亡くなった場所…仮屋町なんだって!」
「えっ?」
「だとしたら、ただの自殺じゃない。絶対、なにかあったのよ」
確信に満ちた声だった。
──仮屋町。
そこは、大きな川に挟まれて浮島のように見える、寂れた集落のことだ。学校がある町と結花の住む町の中間にある。
広さは数百メートル四方といったところ。本来なら町というほどの規模ではないかもしれない。なにしろ仮屋町には1丁目しかないのだ。仮屋町何番地で郵便が届く。かつては仮屋地区と言われていたらしいが、昭和になって「町」が付いた。島のようになっているので、川に架けられた大橋以外に対岸に渡る道はなく、まるで時間が止まったかのような孤独な雰囲気がどこか不気味だ。
そんな仮屋町ついて、以前、先輩と話したことがある。天気のよい日だった。
バスは燃えるような夕陽を浴びながら川を貫く大橋を渡っていた。その川を見ながら、誰に言うでもなくぽつりと先輩がこぼした。
「…もうすぐ仮屋町か」
眉をひそめ、人差し指で窓枠をトントンと叩く。その向こうから夕陽が差し込んできて、先輩の顔は濃い影に覆われた。そのせいか、暗く沈んだ表情に見える。私は何と返すべきか戸惑っていた。
すると先輩がフイッとこちらを向いて「結花はこの町のこと、どのくらい知ってる?」と聞いてきた。
唐突だったから驚きつつ、えーっと、と記憶をたぐり寄せてみたけれど、よく知らなかった。停留所があることくらいしか。そう答えると、先輩は「そうだよな」と呟いて、もの悲しげにこう続けた。
「この町は、特殊なんだ」
「特殊…?」
「うん。もうすぐわかる。見ててごらん。乗ってる人たちを」
バスはいよいよ橋を渡り終え、仮屋町に入ったところだった。商店の並ぶ大きめの通りを走る。さびついたガードレールと立ち枯れした街路樹が窓の外を流れていく。別になんてことのない風景だ。
でも、車内にいる誰もがあからさまに顔を背けて、窓の外を…この町を見ようとしなかった。そればかりではない。停留所で扉が開くと、みんなが鼻を押さえて息を潜めた。まるで空気を吸いたくないとでも言うように。さらに乗ってきた初老の女性がシルバーシートに座ると、周りの人たちが口々に「面人め」と毒づいて、不機嫌そうにその場から離れた。言われた方の女性も周囲に対し、敵意むき出しの表情で憮然としている。
異様な光景だった…。いままで気にしたことがなかったのは、いつも先輩のことしか見ていなかったからだろう。
「わかった?」
声をひそめて先輩が言う。私はこくりとうなずいた。
「この町と、町の人は差別されているんだ。みんなから避けられ、嫌われている」
「…どうしてなんですか」
「しょうもない理由だよ。本当にしょうもない…」
誰も喋らない中、ブザーが鳴ってバスが発車する。
すぐカーブにさしかかった。すると吊革に掴まっていた一人の男性が、バランスを崩して大きくよろめいた。その先には、仮屋町から乗ってきた女性。男性は踏ん張りがきかず、女性の足を踏んでしまった。
「ぎゃっ」
女性は蛙が潰れたような声を出して男性を恨めしそうに睨んだ。
男性は謝るかと思いきや、「あ、あ、あ、足が腐る!」と叫んだ。
そして急いで靴を脱ぎ、ポケットティッシュを取り出すと、靴と足を必死に拭き始めた。私は最初のうちは唖然としていたけれど、徐々に腹が立ってきた。
女性の足を踏んだくせに謝りもせず、そればかりか慌てて靴を拭うなんて!
なにか言ってやろうと口を開きかけた。その瞬間、先輩が私の肩にそっと手を置いて、首を横に振った。放っておいた方がいい、という意味なのはすぐにわかった。
でも……。
居心地が悪かった。
同じ空間にいることが恥ずかしかったし、なにもできない自分が悔しかった。
後日先輩は「あれは嫌がらせでやっているんじゃないんだ。本当に腐ると思っているんだよ」と教えてくれた。
町ごと差別されることがあるなんて、現場を目にしていなかったら、いくら先輩の言葉でも信じられなかったと思う。でも、確かにあるのだ。この現代にも、そういうことが。
朝礼が終わると、結花はすばやく視線を走らせ、里桜を探した。
本当なら今日は顔を合わせたくなかった。
でも先輩が亡くなった以上…それも仮屋町で亡くなった以上、そうも言っていられない。
どうしても確かめないといけないからだ。
里桜の姿を探すうち、結花の脳裏に初めて彼女と会った日のことが、まざまざと蘇ってきた。
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