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「なにしてる。席に戻れ」  だけどみんな、一歩も動かない。 「ほら、はやくしろ。授業が始まるぞ」  さっきよりも大きな声で言うと、奈央が泣きそうな表情で先生を見た。 「でも先生…。面人がいるのよ。同じ教室なんて、無理よ」  すると先生は奈央の肩に手を置いて、「そういうことか。お前たち、知ってしまったんだな」と慰めるように言った。 「気持ちはわかるよ。おれだって嫌だった。でも校長先生は県外の人だから、なにも知らずに奥山の転入を受け入れてしまったんだ。席を離すとかなにか対策を考えるから、少し我慢してくれ。別に仲良くしろとは言わない。な。みんなも、わかったな」  その言葉に、私は愕然(がくぜん)とした。  うそでしょ…? 先生がそんなこと言っていいの? 許されるの?  ちょうどそのときチャイムが鳴った。  みんなが苦虫を噛み潰したような顔をしながら、しぶしぶ席に戻っていく。  私にはみんなの気持ちが全然わからなかった。仮屋町に住んでいるというだけで、里桜と同じ教室にいたくないなんて。  でも里桜も里桜だ。こうなることはわかっていたように見える。それなのに転校してきたのは、なぜなのだろう。見慣れているはずの教室が、まったく別の場所のように感じた。  異世界にいる気分。  ──いや、ホントにそうかも。知らない間にパラレルワールドに来ちゃったのかも。  いっそ、そうだったらいいのに、と思う。いや、良くはないけど、そうだったらみんなの変わりようも理解できる気がして。もちろんそんなの、意味のない逃避だ。できることならこんなことはやめさせたい。でも……なにができる? 彼らは本気で信じているようなのだ。里桜は穢れている、と。  どうしたら、どうしたら……。  答えを出せぬまま悶々とし続け、1週間経ち、2週間経ち、なにもできずに時間だけが過ぎていった。  そして昨日。  里桜は先輩と楽しそうにおしゃべりをしていた。確かに先輩は、仮屋町のことを差別していなかった。この辺では珍しい人なのだろう。本当に素敵だと思う。だから二人がおしゃべりしていても、なんの不思議もない。一緒に帰るのもそう。私の気持ちの問題でしかない。  でも。  その先輩が亡くなって、しかもその場所が仮屋町だっていうなら話は別だ。里桜が先輩の死に、なにか関係しているなら……。  ――私は、彼女を許せない。  だから結花は、朝礼が終わると里桜を探した。同じクラスなのだから、すぐ近くにいるはずだった。しかし里桜は朝礼に参加していなかったようで、どこにも姿は見えない。教室に戻り、ホームルームが始まっても現れない。クラスメートに聞いても誰も見ていないという。  ――学校にすら来ていない?  可能性はある。  仮屋町に住んでいるのだから、先輩が亡くなったことはすでに知っているはずだ。  とすればショックを受けていてもおかしくないし、もし……二人の仲が思っているより親密な関係だったら、なおさらだろう。だとすると。  ――家に行ってみるしかない。  明日から夏休みだし、休みが明けるのを待っていたら遅すぎる。だけど、突然行っても会えるとは限らない。仲良くなったわけでもないのに。  そのとき、結花は中村先生に呼ばれた。 「伊勢崎。ちょっと話がある」 「はい、なんですか」  結花が近づくと、中村先生は大きな茶封筒を差し出して言った。 「…これ、奥山に届けてくれないか」 「え?」 「通知表とか、学校からのお知らせなんだがな。今日ほら、あいつ来てないから」  言いながらグッと押しつけてくる。 「先生が届けたいのは山々なんだが、あの町に近づくといろいろ、な。その点お前は県外からの通学だし、誰も文句は言わんだろう。だから、な。頼むよ」  こんなに堂々と差別意識を丸出しにするなんて。結花は内心かなりモヤモヤしていたが、このチャンスを棒に振る手はないと思った。 「わかりました。私が行きます」  結花はニコリと笑って茶封筒を受け取った。先生はホッとした様子で「悪いな、恩に着るよ」と両手を合わせて頭を下げる。  通知表を届けるとなれば、立派な理由だ。追い返されはしないだろう。  下校のチャイムが鳴り、生徒たちが一斉に廊下へ飛び出していく。  一目散に帰る者。しばしの別れを惜しむ者。夏休みの予定を打ち合わせる者。その人ごみをかき分けるようにして、結花は下駄箱へと急いだ。  靴を履いてエントランスを飛び出すと、ちょうど大粒の雨が空からこぼれ落ちてくるところだった。  あっという間に地面がぐちゃぐちゃになる。  跳ねた泥が結花の白いソックスをみるみる汚していった。
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