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「散歩行こう、俊夫。もう日が高くなっちゃってる」  電話の後、天使は待ちわびた様子で言った。 「ごめんごめん、行こう」  俊夫もすぐさま着替えを済ませる。ついでに、クローゼットから古いテニスボールを引っ張り出した。  ♢  昨日の公園からさらに向こうにある、大きな池を中心に作られた公園を目指した。休日にはよく散歩コースに選んでいた公園で、ポン太のお気に入りの場所でもあった。  歩きながら天使も目的地に気づいたらしく、 「今日は時間がある日なんだね」 と弾んだ声を出した。 ♢  池に着いた時、既に木の陰は随分と短くなり、太陽の光はチリチリと頬に痛いほどだった。人はまばらだ。  会話もなく池を半周ほどした後、隣接されている広場に入った。木の葉も、芝生も、楽しかった夏の思い出に浸るように、まだ緑色を残している。 「キャッチボールしようぜ、天使様」 「僕はボールにも触れないんだってば」 「いいからさ。雰囲気だけでも」  俊夫がボールを投げ、天使が滑ってボールの元へ行き、結局は俊夫も歩いてそれに追いつく。そんな風にして、広場を回った。  天使がボールに追いついてから、俊夫を振り返る。その仕草で、それまで考えていたことが本当だと、俊夫は確信した。  何度目かにボールを投げようとしたとき、天使がこちらに笑顔を向けていることに気づいた。 「良かった、俊夫はもう大丈夫だね」  力の抜けたような笑い方に、俊夫は終わりが近づいていることを感じ取った。 「なぁ天使様」 「なに?」 「お前、ポン太なんだよな?」  天使は俊夫を見たまま頷いた。 「当たり。久しぶりだね、俊夫」  黒い瞳は、優しく俊夫を見つめている。  胸をぎゅうっと掴まれたようになりながら、俊夫は何とか言葉を絞り出した。 「久しぶり、ポン太。会いに来てくれたんだな」 「見えなかっただけで、ずっと近くにいたんだよ」 「幽霊ってことだよな」 「うん。俊夫が心配でずっと空に行けなかったんだ。美奈ともお別れして、仕事も辞めて、誰とも喋らなくなっちゃってさ。あんまり見てられないから、俊夫に見えるように、神様に力を貰ったんだ」 「どうして人間の姿なんだ?」 「俊夫とお話するためだよ」  目のあたりがむず痒くなり、俊夫は自分が泣いていることに気づいた。 「なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ」 「言うつもりだったよ。それで、もっとずっと長く一緒にいて俊夫を元気にしようと思ってた。でも、最初に貰った力を沢山使っちゃって」 「最初?」 「俊夫の足を引っかけたんだ。上から落ちてきてるのが見えたから」  夜道での一件を思い出す。 「ポン太が助けてくれたんだな」 「そのままでも当たらなかったかもしれないけどね。とにかく、俊夫に見える時間がすごく少なくなった。だから天罰ってことにして、無理にでも俊夫に前を向いて貰いたかったんだ」  俊夫はポン太の頭に手を伸ばし、撫でようとした。やはり感触はなかったが、ポン太は気持ちよさそうに目を細めた。 「ポン太、ごめん。俺がもっとちゃんと看病してやれれば、もっと長生きできたかもしれない。やっぱり、俺は天罰を受けるべきなんだ」 「ううん、僕は幸せだったよ」  ポン太はもう一度しっかり俊夫を見た。 「俊夫の悪行は、俊夫が幸せになろうとしてなかったことなんだ。ゆっくりでも前に歩いて欲しい。約束してくれる?」 「うん、ありがとう、ポン太」  ポンタは鼻をならして笑った。 「よかった。やっと、僕は空に行けるね」  気づけば、ポン太の体に、芝生の色が透けていた。 「じゃあね、俊夫。元気で」 「うん、ポン太も。いつか会いに行くから」  待ってるよ、と最後にポン太の声が聞こえた気がして、そこには何も無くなった。  俊夫は何もない空間をしばらく見つめた後、振り返り、家路への一歩を大きく踏み出した。手の中で、テニスボールはまだ静かな熱を持っていた。
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