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天使は、居酒屋の出口の扉の脇で、背を店に向けて立っていた。
「お疲れ様、俊夫」
「どこいたんだよ」
「僕はここに入っちゃだめって書いてたから。それよりも、言いたいことは言えた?」
天使入店禁止、なんてルールは居酒屋にないはずだ。
「うん、まぁ、どうにもならなかったけど」
「今更何無かったことにはできないよ。でも俊夫は初めて向き合った。それが大事」
「これで天罰は無くなってくれるのかな」
「まだまだ全然。美奈のことは俊夫の悪行の一つに過ぎないんだから」
「他に何があるんだよ。パチンコとか?」
「それは問題ないよ。俊夫の稼いだお金なんだから俊夫の自由にすればいい。それよりも、俊夫のお母さんやお父さんにずっと連絡を取っていないことの方がずっと悪いんじゃないかな」
「確かにそうだけど、親と連絡を取ってない人なんてどこにでもいるだろ」
そこで天使はうんざりした顔をした。
「細かいよ、俊夫。それよりも僕はおなかがすいた。パンとか冷凍食品とかじゃなくて、何かあったかいものが食べたい」
「さっきだってお前、全然食べてなかったじゃん。ていうか、もの食べられるの?」
「ほんとに食べることはできなくても、見た目とかにおいとかで食べた気になれるんだよ。そうだ、ハヤシライスが食べたい。ぐつぐつするやつ」
天使の注文を受け、客もまばらな閉店間際のスーパーで材料を買い、久しぶりにキッチンに向き合った。
薄切りにした玉ねぎとニンニクを一緒に飴色になるまで炒め、片栗粉を加えてさらに炒め、ワインを加える。その後、水分を飛ばすため、8分ほど中火で煮る。
玉ねぎ、片栗粉、ワインが一体になってぐつぐつ音を立てるその工程が、俊夫は好きだった。美奈も「魔女のお鍋みたい」と楽しそうだった。もう一匹、足元ではしゃいでいたのはポン太だった。
「すごいすごい、こんな紫色になってたんだ」
今日は天使がはしゃいでいた。鍋を覗き込むには難しい背の高さではあるはずだが、足の裏が俊夫の膝くらいの高さまで浮いていた。なんでもありだ。
ハヤシライスを作り終えたとき、もう夜も遅い時間になっていた。
「いただきます」
天使の分も少な目にお皿に盛ってみたが、やはりそれには手を付けずに微笑みながら俊夫が食べる様を見ているだけだった。
「美味しい?俊夫」
「匂いで味が分かるんじゃないのか?」
「俊夫が美味しいかどうかが重要なんだよ」
「なんだそれ。まぁ、美味しいよ、料理なんて久しぶりにした」
「よかった。買ってくるよりも、俊夫が台所で作った方が美味しいよ、絶対」
「それは分からないだろ。買っても美味しいものは美味しいし」
「でも、作った時の俊夫の方がいい顔してる。僕も見てて楽しい」
「そうかな」
そう言いつつも俊夫は、自分の中の充足感を認めていた。それは、自分の手からハヤシライスが生まれたからでもあり、美奈に向き合えたからでもあり、またもう一つの理由がある。
多分、この天使は。
言ってしまえば、夢の中にいるように不思議なこの時間も終わってしまう気がして、スプーンで自分の口を塞いだのだった。
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