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 翌朝、母に電話をかけると、予想に反して朗らかな声が返ってきた。 「久しぶりだねぇ、元気にしてるの?」 「まぁ、元気だよ。母さんも元気?」 「元気よ、肩は痛いけど」 「肩?」 「この前洗濯物してる時に急に来たのよ。今は上を向けないの」  知らない間に増えている体の不調に、半年の時の流れを感じた。 「聞いてる?俊夫」 「あぁ、うん。聞いてるよ。病院には行ったの?」 「すぐ行ったよ。いずれ治るそうだけどどうだか。医者は嘘つきだからね」  そこでまた沈黙ができてしまった。 「どうかしたの、俊夫?」  俊夫は意を決して息を吸った。電話の目的は、次の言葉を伝えるためだった。 「母さん、ポン太死んじゃった」  電話越しの母が、一つ大きく呼吸をした気がした。  ♢  ポンタは、俊夫が小学生の頃から買っているマルチーズで、世話はずっと俊夫がしてきた。就職が決まって実家を出る際、どうしても離れることができず、ペット可の物件を探して一緒に住むことを選んだ。  ポン太は昨年秋から体調を崩し、散歩に出ることも難しくなっていた。俊夫は年末年始には毎回、ポンタを連れて実家へ帰省していたが、前回は移動の負担をなくすため、年明けに電話を掛けるのみとした。その電話で、父は俊夫に言った。 「俊夫、お前結婚はどうするんだ。彼女とかいないのか?」  テレビのマラソンを見ながら話しているためか、言葉に身が入っていないように感じる。ランナーの辛さなど想像もせず、時々無責任に悪態をついている。 「いるけど」 「なら早く落ち着いてしまえよ。楽だぞ」  何が楽なのだろうか、と俊夫は思った。  段々と弱っていく愛犬が、頑張っても役に立てない仕事が、顔を曇らせてしまっている彼女が、結婚の二文字だけで俊夫を許してくれるのだろうか。 「今、仕事が忙しくて。ポン太のこともあるし」 「みんな忙しいんだよ。同じことを死ぬまで言うことになるぞ」  父は、俊夫の苦しみも想像しない。 「うるせえな」  気づけば、その言葉は俊夫の口から滑り出ていた。 「あ?」  父は一言低い声を発し、その後舌打ちして、電話の相手は母に変わった。母は電話の内容を傍で聞いていたらしく、宥めるように言った。 「俊夫、大変なら無理せず相談しなさい。ポン太はうちで預かってあげてもいいのよ」  その言葉が決定打だった。暗闇の中を歩く俊夫にとって、ポン太は唯一の光だった。手放すことはできないし、母も、ポン太が今、実家への移動に耐えられる状況でないことを分かっていない。俊夫はそこで、無言のまま電話を切った。  それを最後に、俊夫は両親に連絡をしていなかった。母からは何度か連絡が来ていたが、返事をしてなるものか、と思っていた。  ♢ 「そう。いつ?」 「4月くらい」  母はゆっくり間をおいて喋る。 「長いこと生きてくれたものね。俊夫がちゃんと世話をしたおかげで。でも、すぐ言って欲しかったわ。お母さんにとっても家族なんだから」 「うん。ごめん」 「仕事は?まだ忙しいの?」 「ううん、というか、辞めちゃった。ポン太が死んでから何もできなくなって」 「あんたね、それも早く言いなさいよ」  母が、呆れたように笑う。その反応だけで、俊夫の気持ちも少し軽くなった気がした。 「今はどうしてるの?」 「そのまま、貯金で生活してる」 「そう、大変だったね。一度、こっちに帰ってきなさいよ。お父さん、この前の電話の後、珍しく反省してたんだから。軽いこと言っちゃったなって。お母さんもあんたがそんなに悩んでるなんて分かってなかったわ。ごめんね」  ポン太の病状も、自分の大変さも、ちゃんと伝えていなかったのは俊夫だ。 「こっちこそごめん、ちゃんと言ってなくて。近いうちに帰るよ」  そして帰省する日程を軽く相談した後、電話を終えた。  俊夫の思いつく自分の悪行は、あと一つになった。
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