夜会

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夜会

 「少し席を外すが、夜会を楽しんでくれ。」 そう簡単にダミアンに耳元で囁かれて、私はチャールズ様とサロンへ立ち去る大柄ながらバランスの良い後ろ姿を見送った。なるほど、これから私一人貴族の生贄になれと言う事なのかしら。ほら、早速有象無象が近づいて来たわ。 こんな時に社交を疎かにして来たツケが回ってくるなんて。誰を見ても一体どの様な方なのかまるで分からない。私は扇で口元を隠して小さな声で、けれどもはっきりと話した。  「…領地に引き込んで居ましたので、社交には疎くて失礼をしては申し訳ありませんわ。」 そのひと言がなぜか貴族達の心を揺さぶった様で、次々とダンスパートナーに名乗りを上げて来た。私は実際どれほどダンスの申し出を受けて良いものか分からないまま、数人の名前をダンスリストに書いて貰うと、そそくさと女性用の談話室、いわゆるサロンへと逃げ込んだ。 ここはお手洗いへの道筋にあり、化粧直しや、疲れた身体を休めるための場所だった。隣の詰め所には連れて来た侍女達が楽しそうに話しに花を咲かせている。流石に夜会は始まったばかりで、貴族令嬢が二人程こちらを一瞥しただけだった。私は小さくため息を吐いて、大きな鏡の前で立ち止まった。  馬子にも衣装…。確かにダミアンの言う通りだった。しかも今回はダミアンの指示でヴォクシー侯爵家で身支度をして来た。普通エスコート役の相手の屋敷で身支度をするなど、事情に疎い私でさえ稀な事だと感じるのだけど、ダミアンは顔を寄せると私に囁いた。 『私の隣に立つ虫除けには、完璧になって貰わないと役に立たないだろう?』 それから侍女達に聞こえる様に言い放った。 「私クレアには、夜会で一番美しい令嬢で居て欲しいのだ。さぁ、皆腕の見せ所だ。」  侍女達の興奮した顔つきから、普段ダミアンが令嬢に対して、そんなあげ足を取られる様な事を言わないのだと気がついた。私はあまり無駄な事を言わない様に、侍女達の言うがままに身支度を手伝って貰った。 「まぁお美しいお肌ですこと。普段はお化粧などなさらないのかしら。今時はお化粧のせいで若い方でもお肌が荒れていますもの。さぁ、よろしいかしら。今夜の夜会で、クレア様が一番の姫君になられる様に腕を振いますわよ?侯爵もどんなにお喜びになるか。」  侍女長の気合の入ったひと言で、私は裸同然の姿にされても恥ずかしがる暇もなく、磨き立てられていった。そして数日前に伯爵家の屋敷で採寸を取られたおかげで、身体にぴったりした深い海色の美しいドレスを身につけていた。 まるでヴォクシー閣下の瞳の様なその色は、私の銀の髪と淡い水色の瞳を引き立てた。侍女達は興奮が冷めやらぬ様に私を飾り立ててくれた。それは17歳の社交界デビューを、お母様の喪中で果たせなかった事を不意に思い出させた。 当時私は、貴族の若い令嬢としてはどちらにも胸が引き裂かれる気持ちだった。そんなあの頃を気持ちを思い出しながら、まるで今日がデビューの代わりになる様な気持ちになって、予想もつかない人生を面白く思った。 実際、社交界で人気らしいヴォクシー閣下の虫除けとしてそれを果たすのは、誰も経験しない事なのではないかしら。  「クレアお嬢様、何か不備がございましたか?」 侯爵家からついて来てくれた侍女が、心配げな表情で夜会から逃げ出してしまった私の側にやって来た。 「いいえ、少し人が多過ぎて驚いてしまって。もう戻りますわ。」 すると侍女は私の髪やドレスをサッと整えると、優しい笑顔で鏡の中の私に囁いた。 「美しいですわ。クレア様が今夜の夜会で一番輝いてらっしゃいます。侯爵もとても満足げにしていらっしゃいましたもの。きっとご自慢に思っていらっしゃるに違いありません。」 私は微笑みだけ返すと、一人夜会へと戻って行った。確かにダミアンは私を放ったらかしで満足している事でしょうね。私はダンスリストを腕から持ち上げると、並ぶ名前を暗記した。こうなったら、ダミアンの虫除けとしてせいぜい目立ってあげましょう。  夜会会場に到着すると、一際目立つダミアンが周囲を令嬢達に囲まれながら、辺りを見渡していた。私と目が合うと少し瞳を険しく歪めて、ゆっくりと近づいて来た。 「何処に逃げ出したかと思ったが。」 私は微笑みだけで返事をすると、ダンスリストを見せて言った。 「ダミアン様と踊った後は、こちらの方々とダンスをした方が良いのでしょう?ダミアン様の連れが他の殿方に人気の方が、ご令嬢の良い虫除けとして活躍できそうですもの。人気のない相手をエスコートしたのでは、ダミアン様の沽券に関わりますわ。私、頑張りますわね?」  ダミアンはしばらく私をじっと見つめていたけれど、興味なさげに顔を背けて言った。 「好きにしたまえ。では、ファーストダンスは私が相手だ。」 丁度音楽が鳴り出して、私達が踊り始めると、チャールズが側で可愛らしい令嬢とダンスを踊り始めた。次々にステップを踏み始める貴族を見ていると、想像通り爵位の順にファーストダンスは始めるみたいだった。  私は実はダンスは嫌いじゃない。領地では家庭教師がダンス好きだった事もあって、勉強に疲れるとダンス、何かとダンスだったせいで、目を閉じても踊れる。 私は周囲を眺めながら、ステップを踏んだ。指先をぎゅっと握られて、私はダミアンを睨んだ。 「痛いですわ。用があれば囁いて下さい。」 するとダミアンは微笑みながら奥歯を鳴らして囁いた。 「よそ見ばかりしていては、虫除けにならない。親密に見せてこその虫除けではないか。」 私は不機嫌な声とダミアンの優しい微笑みが一致しない事に妙に可笑しくなって、思わずクスクスと笑い出してしまった。きっと緊張し過ぎて、心が決壊してしまったのかもしれないわ。 「ダミアン様は、本当、最高におかしな方ですわね。ああ、顔は変でもダンスはお上手ですわ!」 そう笑う私にますます目をすがめて微笑むので、私は本当に笑いを堪えるのが辛くて死ぬかと思ったわ。
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