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自転車(空気入れ)泥棒(11)…実際の話
裕福で生活に余裕のある皆様方にしますれば「たかが自転車の空気入れごときで」と一笑に付されましょうが、しかし格差の底に住む者にとってはその「たかが自転車の空気入れごとき」で、生活が立ち行かなくなることもある分けでございます。これはまっこと「自転車泥棒」と同じ次第なのですが往時と違うのは今が「(超)格差」と「(超)執拗さ」の世界になっていることでしょう。これまで縷々と語りました国内外における大事件の数々、9・11とかに於て、真相と真犯人が追求されることはまずありません。なぜならこれらの仕手筋が超権力者であり超資産家であるからです。彼らは事の次第を偽装しそれをそのまま飲めとマスコミや人民に要求致します。そしてマスコミや人民はそれぞれ唯々諾々とこれに従い、あるいは騙されます。それですから皆様、これがつまり先の「(超)格差」のいまの世ということでございますよ。斯様な大事件でもそうなのですから「自転車空気入れ泥棒」やストーカーの事実など、あなた、警察や世間はそもそも相手にもしませんし、仮に三遊亭私ことわたくしが訴え出たとしても、警察はストーカー親分や団地オーナーの云うこと(つまり偽装工作)をこそ「はいはい、ご説ごもっとも」と、粛粛と受け奉るに違いないのです。これはもう当たり前田のクラッカーです。
でありますから、1948年作品「自転車泥棒」当時にはまだしもあったであろう、人々の常識や良識におけるコンセンサスなどまったく顧みられない、ピンは各国大統領や独裁者、あるいは超金融資本家から、キリはこのストーカー親分である不動産の金満家に至るまで、あたかも〝彼らの云うがまま、偽装するがまま〟の現世界である分けです。まさに「(超)格差(弊害)」の世です。
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