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講談1・お力(4)
しかしいったいなぜそこまで鬱屈を…と我々は思いますが、要は、実家が貧しくて、酌婦にまで落ちぶれてしまった自分がお力は不本意なのでであり、仕方がないことと頭では分かっていても、心がそれを咀嚼できなかった分けです。しかしつらつら思いまするに、そんなことは別にお力に限らず他の酌婦たちにしたって概ね大同小異のことでしたでしょう。なぜお力のみこうも…?なのですが、実は、ここからの講釈が他では聞けない当ストーカー亭ならではの醍醐味と相なる次第です。なぜそう豪語できるかと申しますと、その分けは2つありまして、1つはただいま皆様方の前でこうして講釈仕(つかまつ)っている私、この三遊亭私(わたくし)がお力然としているからでして…えー、云われる前にちょっと云っときますがね、ここでまた「おカマあ!誰がお力だ。このお。気持ち悪いぞお!」なんて云っちゃダメですよ。私が云っているのは飽くまでも中身です。お力の心とシチュエーションが余りにも私そっくりであればこそ、このように云えるのです。換言すれば樋口一葉のこの名著「にごりえ」を身で読めたからこそ、以下の迫真の講釈と相なる次第。どうぞお含み置きください(空咳)。えー、それで…このような魂が身から抜け出てしまうほどの強い鬱屈…を現わしまするに名句、俳句が一句ございまして、それは〝悪中(わるなか)に我のみ放(ほ)られて実存や〟と云うのです。私が私をどう定義し、主張しようとも私の普段の現実はただチンピラストーカーどもに囲まれて居、毎日毎日きゃつらの罵りや苛みを受けるだけの存在でしかない。きゃつら曰く「プータあ!」「死ねーっ!」「こいつ、まだ生きてるよ」「まだ居るよ」等々。これを20数年間に渡って聞かされ続け、そしてこいつらの囲みから逃れられません。なぜかと云うにこいつらを使ってストーカーをやらせている人物(即ち真犯人)が不動産業の金満家で、その財力と業界のネットワークを駆使して、私がどこに転居しようとも必ずこいつらを隣住させてくるのです。これ、本当のことです(この辺りのことは他の章、小噺・浪曲コーナーをご覧ください。そこに詳説しています)。
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