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講談1・お力(6)
(観客の拍手に)いやー、どうもどうもどうも。盛大な拍手をありがとうございます。しかし我ながら本当にいい声だ。榎本美佐江も真っ青(つぁお)の歌謡講釈師、私(わたくし)であることです。ねえ?ん?何?…「いいぞお!おか…」わっ、また。シっ、黙って。お客さん、あんたさっきからうるさいな。あんたまさかストーカーどもの回し者じゃないでしょうね。ホントにもう…。ま、いいですけどね(空咳)。えー、それでそのお力ですが、他の酌婦と違ってなぜ彼女ばかりがこうも鬱屈が強いかですが、それは〝自分への思い入れが強すぎたからだ〟と私は見ます。そう云う分けは、お力の姿に作者・樋口一葉が自己投射をしていると見るからです。一葉ほど自分の心の在り方と人生との一致に意を尽くした作家は滅多におりません。人と云うものはは斯くあるべし、人生は斯くあるべしを常に念頭に置いて、自らの作品もまた、さ(そのように)あるべしと…そう〝したかった〟分けです。然るに!(張り扇一擲)一葉の貧窮の人生は周知の通りで、一銭一円の金の為に彼女は日々どれほど心を悩ませたことでしょうか。それは一葉が詠んだ短歌「とにかくも超えるを見ましうつそみの世わたる橋や夢の浮き橋」に痛いほど表れております。どうかしますと、久佐賀義孝なる人物に彼女一葉は身を売ったと、そう後世の評論家たちに勘繰られてさえおります。えー、ですから、この「にごりえ」の主人公お力こそは作者・樋口一葉が自己投射をしている姿なのであり、謂わば樋口一葉そのものなのです。一葉がどれほど高尚な作品、小説や和歌を現わそうとしても、どうしても、そこには儘ならない自らの困窮した実生活が、それに懊悩する心根が出てしまいます。
【いつのまに降出ぬらむさよ更て虫の音しめる道の村雨 by 樋口一葉 ※但し私が些か狂歌作りをしています。この絵は from pixabay, by Margie Manifold によるものです。↓ ところでこの和歌と絵をここに置いた分けは上記本文の通りで、一葉の心身に及ぶ困窮ぶりが作品に出てしまう…ということですね。只でさえ暗い人生の道程を行くのに、さらにまた不本意と鬱屈の涙雨が降り始めたことだ…という意味合いにおいて、ここに置きました】
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