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講談1・お力(7)
読者の嗜好に合わせた流行作家ならいざ知らず、自らを作品に投射する、ぶつける、あるいは作品と自分を同等視するような純文学的な作家であるならば、その傾向はなおさらです。すれば(張り扇一擲!)、矛盾する云い方ですが、一葉は自分で作品を書きながら他ならぬその自分の作品から、自分が責められるというアンビバレントな現象を催されることになりはすまいか。
(PS:中途ですがこの辺りの一葉の葛藤する様子は、当「エブリスタ」誌に既掲載の拙著「一葉恋慕・大森編」の10ページ~12ページをご覧ください)確かに…初期の作品「埋れ木」などを見れば主人公のお蝶から作者・一葉は責められそうな気が致します。お蝶は、絵師である兄様・籟三の為に我が身を金満家に差し出しますがのちにそれを恥じて自害して果てます。さても…このようなお蝶の設定は往時の男たちの目からすれば謂わば女性の鏡であり、女は斯くあるべしというものに他なりません。然るにそれを書いておきながら現実の一葉は金策に汲々として居、あちらで借金をし、こちらで借金をし、どうかすればお蝶同様に我が身を売るような事態にまで及んでいたやも知れません。それらの我が実態を認識しつつも友人・知己の手前では、また自らの作品上に於ては一葉は〝お蝶然〟としていなければならなかったのです。これでは…書いた作品と比して一葉は自嘲を禁じ得ず、自暴自棄に陥ることもあるいは、あったことでしょう…。
さて、ではその一葉が自己投射をした、こちら「にごりえ」のお力です。ようやくまたお力に戻ってまいりました。へへへ。えー、それで、こちらお力の方にはアンビバレントな要素は最早ありません!一葉はお力の中に偽らざる自らを曝け出し、どうかするともう居直ってさえいるようです。
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