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10、知らない事
壱弥を家に迎えて以降、壱弥は何か忙しくなったらしく、会えなかった。
毎日欠かさずメッセージのやり取りはしたが、誘われる事はなかった。
一か月もすれば学校での壱弥との噂も落ち着き、落ち着いた頃には期末試験が始まり、成績は普通の美優は追試を受ける事もなく、試験休みを迎える事になった。
「美優、クリスマスどうすんの?」
紗雪が前の席の椅子に後ろ向きに座って美優に訊ねた。
「一応予定はあるよ」
「え、もしかしてあのイケメンさん?」
「……うん」
「え~! いいじゃん!」
「紗雪は彼氏と過ごさないの?」
「モチ、過ごすよ!」
紗雪は嬉しそうにそう言うとスマホを開いて見せる。
「ホラ、これこないだ遊園地行った時撮ったの」
いつも写真で見る彼氏と紗雪が遊園地にある電飾された恋人の鐘の前で抱き合って写真に納まっている。
「いいね。あそこの遊園地、今こんなイベントやってるんだね」
「そうそう! 美優もあのイケメンに連れて行ってもらえば?」
美優は苦笑いして紗雪に答えた。
「でも私達恋人じゃないから」
「え~? 付き合ってもらえばいいじゃん! あんなイケメンなかなかいないよ?」
「そうだね、確かにカッコいい人だよね。でも幼馴染でお兄さんみたいな人だからさ」
「別にちょっとだけでも付き合ってもらったらいいんじゃない? だって美優、中学の時に一回彼氏いただけなんでしょ?」
「うん」
「3年間男っ気も全然なかったし、あんなイケメンだったら自慢にもなるし」
「う~ん……、そういうので付き合うのはちょっと……」
「美優はお堅いな~。そんなんじゃいつまで経っても彼氏出来ないよ? あ、彼ピからメッセ来た!」
紗雪はスマホのメッセージを確認すると、席を立った。
「じゃ、私帰るね!」
「うん、またね」
「じゃあね~」
紗雪はコートを羽織りながら教室を出て行った。
美優はそれを見送ると、自分もゆっくりと帰り準備を始める。
用意を全て終え、教室を出ようと席を立った時、スマホの着信音が短く鳴った。
スマホを確認すると壱弥からのメッセージだった。
【明日からお休みでしょ? 今夜ってバイトあるの?】
【今日は無いよ】
【じゃ、今から会えない?】
【大丈夫だよ】
【じゃ、学校の前まで迎えに行く。後5分位で着くよ】
美優は急いで教室を出て、校門の前まで駆ける。
壱弥の車はまだ着いておらず、車道を眺めながら待った。
壱弥の白い車がやって来て、校門の前の車道につけた。
「お待たせ、美優ちゃん」
運転席の窓から顔を出した壱弥がいつもの優しい笑みで美優に手を上げた。
「久しぶりだね、壱弥君」
美優も久しぶりに会う壱弥の笑顔に何かホッとするような気持で微笑んで応えた。
運転席から降りた壱弥は助手席に回り、ドアを開ける。
「乗って?」
「うん、ありがとう」
今日は帰りが遅かったので下校の生徒はまばらだ。
それでも壱弥は目立つので、どうしてもまばらな生徒達の視線を集めてしまった。
あまり意味がないとはわかっていてもどうしても頭が下がってしまう。
俯いて助手席に乗り込む。
運転席に乗り込んだ壱弥がそんな美優に気が付く。
そしてまたしても座席から身を乗り出して、美優に上半身を向けた。その体勢で美優の顔を下から覗き込んだ。
「どうしたの? 美優ちゃん」
美優は焦って壱弥に言った。
「あの、その体勢やめて? お願い、前向いて?」
「? なんで?」
「あの、前に髪の木の葉取ってもらったでしょ? あれ見られてて、キ……っキスしてたって、思われちゃって……」
壱弥はキョトンとし、ややあってくつくつと笑い出した。
「!! ……笑い事じゃないよ?!」
「……っ、ごめんごめん。……なんか、高校生らしいなって思って……。懐かしいなぁ、そういうの」
「……結構噂になっちゃって大変だったんだから……」
美優は少し拗ねた様に壱弥を上目遣いで見た。
「そっか、ごめんね」
壱弥は優しく笑うと拗ねた美優の頭を優しく撫でた。
「じゃ、今日はお詫びも兼ねてちょっといいトコに行きたいんだけど、どう?」
「? いいトコ?」
「うん、食事もそこでしようと思うんだ。付き合ってくれる?」
「うん。……遅くなるなら、着替えたいな。私のお家に寄ってくれる?」
「もちろん。じゃ、行こうか」
「うん」
壱弥は車を走らせて美優のマンションの前につける。
「じゃ、待ってる」
「うん、ごめんだけどちょっとだけ待ってね」
「ゆっくりでいいよ」
美優は早足でエレベーターまで歩む。
こんな時、エレベーターは大概の場合別の階にあって焦れる。
やって来たエレベーターに乗り込んで鞄から鍵を出しておく。
自室のある階に辿り着いたらまた早足で自室まで歩む。
部屋の鍵を開け、自室に入ると一目散にクローゼットの前に向かい、その扉を開く。
今日の壱弥の服装は黒のテーラーズジャケットに白いカットソー、黒い細身のパンツだ。
今まで会った時は大きめのパーカーだったので、今日は少し畏まった所に行くのかもしれない。
だったらば、やはりこの間穂澄に見立ててもらったものの中から選ぶのが良いだろう。
畏まった場所に合いそうな服で今日の壱弥の隣に並んでも違和感のないコーデを2組ほど選んでベッドの上に置いてみる。
見比べてみて、少し甘めだがピンクベージュのバックリボンのシアーブラウスと白いタイトスカートの組み合わせを選ぶ事にする。
それに合わせて一緒にコーデされた、小さめの白い鞄と白いパンプスを箱から出して合わせてみる。
普段の自分が着ない様な服で少し戸惑うけれど、こんな機会にしか着る事もないだろう。
それに別のコーデとの着回しに白いコートを選んでもらったので、それを着て、急いで部屋を出た。
エレベーターを降りて車に向かうと壱弥は車を降りてガードレールに腰だけ凭れ掛かる様にして座っていた。そして空を見上げている。
「ごめんね、お待たせしました」
「早かったね」
美優に声をかけられて、空から目を離し美優に視線をやる。
「それも可愛いね。よく似合ってるよ」
「ありがとう。これはこないだ穂澄さんにコーデして貰ったヤツだよ」
「そっか。こんなに可愛い美優ちゃんを見られたから穂澄に感謝しないとね」
そう言いながら、助手席のドアを開ける。
「さ、乗って?」
「ありがとう」
美優はコートを脱いで助手席に乗り込んで座席に座る。
壱弥は運転席側に回りドアを開けて車に乗り込む。
「今日はね、和食にしようと思うんだ」
「ホント? 私和食も大好きだよ」
「うん、こないだそう言ってたから」
壱弥はギアをドライブに入れる。
「ご飯までに時間あるから、いいトコ、行っこか」
「どこに行くの?」
「水族館」
「水族館?」
「……家族でよく行ったんでしょ? 水族館。SNSに書いてた」
「……うん」
「また行きたいなって書いてたから。俺と一緒に行って欲しい」
「……うん」
水族館は交通のアクセスが良かったので、頻繁に家族で出かけた場所の一つだ。
もうルートやショーの大まかな時間まで憶えている位馴染みがある。
そんな家族との思い出の詰まった場所を壱弥と一緒に歩くのは何か不思議な気分だった。
壱弥はハンドルを握りながら、ふと思い出したように言った。
「あ、そうだ。美優ちゃん」
「? なあに?」
「クリスマスの事なんだけどさ、なんか皆でパーティーするぞって強制参加になっちゃったんだけど、いいかな?」
「いいよ、全然。賑やかになりそうだね」
「俺としては美優ちゃんと二人きりが良かったんだけどね」
「でもきっと私だけといるより皆でいた方が楽しいよ?」
「俺はそれは絶対ないけどね。なんかね、忠也先輩が山のロッジ借りたって言ってた。だから泊りになると思う。そこで花火したりするんだってさ」
「冬なのに花火するの?」
「ああ、なんかそういう常識に全然囚われないんだよね、あいつら」
美優はクスリと笑う。
「へえ! 面白いね!」
「ロッジ、温泉も湧いてるらしいから、のんびり入れると思うよ。この季節だから空いてるし」
「そうだよね、ロッジなんて多分夏が一番盛況だよね」
「そうなんだ。それにちょっと走ると山の頂上から夜景が見渡せて綺麗なんだ。それも皆で見に行こうって」
「夜景か~。すごく楽しみっ」
二人でクリスマスの予定を話している内に、車は水族館に辿り着く。
パーキングに駐車して、車を降りる。
「ここのパーキング、こんな風になってたんだね、知らなかったな」
車を持っていなかった神崎家はパーキングには入った事がなかった。何度も来ていて知らない事は殆どないと思っていた水族館もこうして知らない事があるのだと、美優は思った。
「壱弥君といると、色んな知らない事が知られて楽しいよ」
美優は壱弥を振り返って微笑んで言った。
そんな美優の横に並んで、手を繋ぐ。
「そう? 俺も美優ちゃんといられると知らない事いっぱい教えてもらえるから楽しいよ」
「ええ? 私といたってきっと何も身になる事なんて教えてあげられないよ?」
「ううん。美優ちゃんだけ、なんだ」
壱弥は繋いだ手を持ち上げて、美優の手の甲にキスを落とす。
「!! いちやくん……っ?」
「美優ちゃんは俺にとって本当に特別なんだ」
壱弥は美優の手の甲に自分の額を押し当てて、目を閉じた。
壱弥があまりもの切実な声音で呟くように言うので、少し心配になる。
「……壱弥君……?」
壱弥はそのままじっと沈黙している。
自分の手の甲で壱弥の表情は窺い知る事は出来ない。
でも、何かこのままでいなくてはいけない気がして、美優は壱弥を見つめてじっと待った。
しばらくすると壱弥が美優の手を降ろす。
「ごめん、ありがと。美優ちゃん」
壱弥はいつもの優し気な笑顔で美優に言った。
「うん」
「さ、行こっか」
「うん」
壱弥と美優は顔を見合わせて笑い合うと手を繋いで水族館の入場口に歩いて行った。
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