11、神様の特等席

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11、神様の特等席

 入場券を購入して、入り口に並ぶ。  その間も壱弥は繋いだ手を離してくれなかった。  その内指を絡めて手は繋がれていて、傍から見れば二人は恋人同士に見えるだろう。 「あのね……? 壱弥君……? 手、離さない?」  壱弥はにっこりと笑って美優に言った。 「俺、だいぶ嫉妬深いんだよね。美優ちゃんが誰かにナンパされたら腹立つからダメ」 「ナンパなんかされないよ? 一度もされた事ないんだから」 「でもさ? 美優ちゃん、日に日に可愛くなってるって自覚ある?」  壱弥は少し拗ねた様に言う。 「ええ? なってないよ? ずっと変わってないよ?」 「いいや。会う度に凄く可愛くなってる」  壱弥は繋いだ手の指先にきゅっと力を篭めた。 「だから今日初めてナンパされるかもしれないでしょ? しっかり手は繋いでおかないと」 「……大丈夫だと思うんだけどな……」  美優は困り顔で笑い、呟く様に言った。 「全然大丈夫じゃないからね? だから手は離さない」  そう言ったきり、前を向いてしまった壱弥は聞き入れてくれそうにないので、美優は密かに小さく溜息を吐いた。  壱弥を振り返る人がたくさんいて、その横で手を繋いでいる自分がどう思われるのか考えると、身の竦む思いだ。  もし壱弥が普通の容姿で、普通の財力で、普通の育ちをしていたなら、美優もここまで自分を卑下する事はなかっただろう。  壱弥の着ている物や乗っている車、持ち物、皆との会話でなんとなくわかった育ちなどで自分とは違う世界の人なのだと感じている普通に育ってきた美優としては、この格差を埋めるのはきっと並大抵の事ではないだろうと思う。  自分はきっと一緒にいてもおんぶに抱っこで、壱弥の世話になるばかりだ。  親を亡くし、寄るべき所のない自分はきっと壱弥に甘えてばかりになってしまって、決して対等ではいられない。  今の段階でもそうなのに、付き合ったらもっと甘やかされるのだろう。  それは美優にとって何か踏み込んではいけない場所の様な気がして、戸惑っていた。  親を失って、一人で生きていこうと覚悟を決めなければいけなかった美優には、壱弥はあまりにも甘すぎる存在で、踏み込む事が怖かった。  今ここで壱弥に甘えてしまったら、自分の心が雪崩の様に壱弥に傾いてしまいそうだった。  そんな事を考えてると、また繋いだ手に力が篭められた。 「美優ちゃん? どうしたの?」 「え? あ、なんでもないよ?」 「……なんか顔が沈んでる」 「そんな事ないよ? 大丈夫」  壱弥はそんな美優の頭を空いた右手で優しく撫でた。 「美優ちゃん、何か色々気を回してる時、よくそういう顔するよね。何も気にしなくていいんだよ? 今はただ楽しもうよ。ここ詳しいって言ってたでしょ? 俺に色々教えて」 「……うん、あのね、この時間ならもうちょっとでアシカのショーが始まると思うの」 「ホントに? 俺実は水族館って初めてなんだよね。アシカのショー見たい!」  二人はあちこちにある展示された水槽の魚や海の生き物を見ながら、アシカのショーのコーナーに入っていった。 「一番前にいると水被っちゃうかもしれないんだよね」 「そっか、今日はちょっと困るな~。じゃあ後ろの方で見ようか」 「うん」  半円状になった観客席の後ろの真ん中辺りに二人は座ってショーが始まるのを待った。  次第に人が集まり始め、観客席はほぼ満員の状態になる。  美優の隣には乳飲み子を抱っこひもで胸に抱いているお母さんと3歳位の男の子が座った。  美優はその赤ちゃんに話しかけている男の子を見つめて微笑む。 「……美優ちゃんは子供が好きなの?」 「う~ん……、なんかね、叔父さんの所に赤ちゃんが生まれたの。その子と同じ位かな~? って思っただけだよ」 「そうなんだ。だから叔父さんに迷惑かけたくないって言ってたんだね」 「うん。事故の交渉も手伝ってもらったけど、その間奥さん一人で赤ちゃん見る事になって、本当に悪い事したなって思って。お父さんとお母さんの永代供養も叔父さんに手配してもらったし、自分では何も出来なくて本当に申し訳なかったよ」 「叔父さんはお母さんの弟さんだったっけ?」 「うん。そうだよ。あれ? そんな事話してたかな?」 「うん、前に聞いたよ」 「私、壱弥君には何でも話しちゃってるね。なんかごめん」 「ううん。全然構わないよ。何でも聞くから話してね」 「うん、ありがとう」 「あ、ショーが始まるみたいだね」 「ホントだ」  舞台の上にツナギを着て長靴を履いたお兄さんが現れる。  そしてアシカの名を呼ぶと、滑る様にアシカがやって来た。  美優にとっては何度も見たアシカの芸だったが、壱弥は本当に初めてらしく、アシカの繰り出す技を食い入る様に見つめていた。  その間もずっと手は握られていて、壱弥の興奮が手の平から伝わって来て、なんだか壱弥を可愛く感じてしまう。  いつも優し気に笑い、大人の余裕を見せている壱弥が、隣の3歳位の男の子と同じ様な顔でアシカのショーを見つめている様は微笑ましくて仕方なかった。 「美優ちゃん、アシカって賢いんだね。多分犬よりも賢いんじゃないのかな?」 「ホントだね。犬よりもずっと芸が多い気がするね」  次々と芸を披露していくアシカの最後の演目、遠距離からの輪っかのキャッチになる。  お兄さんとの息の合ったコンビネーションでどんどん投げられる輪っかを自らの首に幾重にもかけていく。  最後の輪っかは高く宙に舞い、それを首を伸ばして器用にキャッチしたアシカは自分で前足をパタパタと叩いて拍手した。  観客はそれに歓声を上げて同じ様に拍手する。  壱弥と美優も拍手した。 「ホント凄いね、アシカって」  拍手しながら壱弥が言った。 「うん、凄かった」  美優も拍手をしながら壱弥に答える。  ショーが終わって観客が立ち上がり、会場を出ていく。  席の真ん中辺りにいた二人は他のお客さんが捌けるまでその場に座って待った。 「美優ちゃん、お父さんとお母さんとこのショー見たの?」 「うん、何度も見たよ」 「……俺達も何度も一緒に来たいな」 「……うん」  美優は複雑な笑顔で答える。  壱弥は美優の右手にそっと触れて、また手を繋ぐ。  辺りに人がいなくなり、二人は立ち上がる。 「さ、次はどこがいい?」  壱弥は美優に訊ねる。 「水族館の真ん中に大きな水槽があるんだ。そこのマンタが見応えあるよ」 「マンタか。いいね、早く見に行こう?」  展示物をゆっくり見物しながら、二人は大きな水槽まで歩いて行った。  途中にはペンギンがガラスの向こうで気持ちよさそうに泳いでいたり、ラッコが貝を貰ってお腹の上でコンコンと割っていたり、大きなセイウチが水辺で首を伸ばして佇んでいたり、カワウソが忙しそうに水槽の中を駆け回っていたりした。  そんな全てを壱弥は熱心に見ていた。  大きな水槽に辿り着いた二人は、薄暗い照明の中を、手を繋いでそこに留まってじっと眺めた。  優雅にマンタが縦にも長い水槽の中を遊泳している。  他にも照明に照らされた魚群達がキラキラとした光彩を放って、整列して泳いでいる。  美優はいつも思う。  本来、この光景は人間が見られるものではない。  海の奥深くの特別な風景で、これは本当は神様の特等席なのではないかと。  この水槽の前で父親に抱っこされて眺めていた時からずっと思っている事だ。 「……なんか、凄いね、海の中って」  壱弥が沈黙を破って呟いた。 「……どうして?」 「いつも海を見てたけど、海の中の生き物の事なんて真剣に考えた事なかったなって思ってさ。こんな風に海の中を見られるのって、実は奇跡だよね」 「……うん。なんか神様の特等席みたいだなって思うんだ」 「神様の特等席か。……いいね、それ」  壱弥は水槽を見上げながら握られた手に少しだけ力を篭めた。  群れを成し整列して泳ぐ魚達をかいくぐる様にウミガメが前足をひらひらと器用に使いながら優雅に泳いでいく。  そのカメに邪魔された魚群は整列を乱され急いで群れを追いかける。  一匹のマンタが身を翻してターンし、その後をもう一匹のマンタが追いかける。  まるで空を遊ぶ様に長い尻尾が翻された平たい身体の後を追う。  ゆったりとしたその様を二人は飽く事無く眺めていた。  長い時間、二人は神様の特等席で過ごし、どちらからともなく、顔を見合わせた。  壱弥が美優を見つめて言った。 「また、来ようね。俺、ここは好きだ」 「うん。私もここ、好きだよ」  微笑み合って、やはりどちらともなく、歩き出す。  少し疲れた二人は併設されたカフェに入る。  お茶は自分がご馳走する約束だと押し切って、美優が出す事になった。 「俺はコーヒーにしようかな」 「じゃ、買って来るね。壱弥君は座ってていいよ?」 「いや、一緒に行くよ」  壱弥はしっかりと美優の手を握った。  カウンターまで行き、店員のお姉さんにブラックコーヒーとカフェオレをオーダーする。  財布を取り出す時にやっと壱弥は手を離してくれた。  コーヒーとカフェオレを受け取ると、二人は一番端のテーブル席に座った。 「……ねえ? 美優ちゃん」 「なあに?」 「美優ちゃんはもしかして、人目を気にしてる?」 「……そんな事ないよ? どうして?」 「誰かと関わる時、なんか沈んだ顔するから」 「…………」  美優は何か見透かされた気がして、俯いてしまう。 「……何か引っかかってる事があるなら、ちゃんと言って?」 「……何でもないよ?」 「嘘だ。ダメだよ? なんでも一人で抱え込もうとするの良くないよ?」  壱弥にはどうも隠し事は出来なさそうだ。なので言えそうな所を言う。 「……壱弥君がカッコいいから、かな……」 「……? それってどういう意味?」 「壱弥君、カッコいいから色んな人に見られるでしょ? だからなんか恥ずかしいなって思っちゃって」  美優は困り顔で無理やり笑ってみた。 「……ああ、そういう事か。美優ちゃんもしかして、俺の隣にいるの相応しくないとか思ってない?」  壱弥のこの一言にドキリと心臓が跳ねた気がした。 「……やっぱり。そんな事気にしてるのか」 「……でもね? もっと美人の女の人が隣にいる方が絵になると思うし……」 「美優ちゃん? 俺がもし顔に大きな消えない傷付けたら、納得する?」  その言葉に美優は頭を上げて、壱弥を見る。 「ダメだよ、そんな事!」 「俺、自分の見た目なんて心底どうでもいいと思ってる。正直何とも思わない女が寄って来て、鬱陶しいとさえ思ってるんだ」  壱弥は真剣な眼差しで美優を見つめる。 「もし俺の容姿が邪魔して美優ちゃんに選んでもらえないなら、俺は幾らだって顔に傷位作るよ?」 「ダメだよ?! 絶対そんな事しないでね?!」 「だったら、絶対に周りの目とかいう、本当に下らない理由で俺を拒否しないでね?」 「……わかったよ……」  壱弥はカフェオレを両手の平で包む様にテーブルの上で持つ美優の手を右手で包む。 「絶対、約束だからね?」 「うん、約束する……」  壱弥の手の平からとても強い意志が伝わる様で美優は心は複雑に揺れる。    辺りに閉館を知らせる、定番の曲がなり始めた。
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