13、ロッジへ

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13、ロッジへ

 壱弥との水族館デート以降、美優はバイト漬けの毎日を送っていた。  出来る限りこの冬休みにある程度の金額を貯めておきたかったのもあった。  両親が遺してくれたので普通に暮らしていく程度の蓄えはあるけれど、これからきっと色々と入用になるだろうと考え、少しでも足しにしたかったからだ。  クリスマスイヴの昼間まで休みなく働いて、バイト先まで壱弥が迎えに来てくれる約束になっていた。 「神崎さん、毎日入ってくれてありがとね」  バイト先の店長、木之崎翔太が美優を労う。 「いいえ、すみません、クリスマスにシフト入れる人少ないって言ってたのに私まで休んじゃって」  木之崎は美優に笑って言った。 「いつも真面目に働いてくれるし、無理なシフトもこなしてくれるし、助かってるからね。構わないよ」 「はい、ありがとうございます」  この『漫画喫茶はうはう』は地域のチェーン店で、美優が16歳になった年から働いている。  この店長は雇われ店長だが、親が交通事故で亡くなった時にもすぐに病院に向かう様に手配してくれたりと、何かと美優に親切にしてくれる人物だ。 「……すみません」  木之崎と話をしていると、カウンター越しに声がかかる。  黒い伸ばし放題の髪が肩までかかった、美優と同じくらいの身長の男が伝票を持って立っている。 「あ、はい。お帰りですか?」 「……はい……」  伝票を受け取って伝票に記載されたバーコードをスキャンする。 「2650円です」  男は3000円をキャッシュトレイに置く。  美優はその3000円を受け取ってお釣りとレシートをまたキャッシュトレイに置く。 「ありがとうございました」  こういう時、美優は笑顔で接する様に心がけている。  気持ちよくお客さんに帰って欲しいと思っていたし、また利用してもらいたいと思うから。  男は無表情でお釣りを受け取ると、さっさと踵を返して出口へと向かう。  それと同じタイミングで新たなお客さんが入ってきた。 「いらっしゃいませ~……、あれ? 壱弥君?」  男とすれ違って入って来たのは壱弥だった。 「美優ちゃん、あと1時間位でバイト終わるでしょ? その間漫画読んでようと思って」 「そうなんだ。ごめんね、あと少し待ってね。壱弥君、このお店初めてだよね?」 「うん、初めて」 「じゃあ、これに記入してもらうのと、身分証の提示お願いします」 「はい、わかりました」  必要事項を用紙に記入し、運転免許証を美優に手渡しながら壱弥は美優に微笑む。 「運転免許証でいい?」 「うん、大丈夫だよ。コピー取らせてもらうね?」 「うん。どうぞ」  コピーを取って免許証を壱弥に返す。 「これ、返します。ありがとう」 「はいはい」  手際よく席を手配した美優は発行された伝票を壱弥に手渡す。 「はい、そこのカウンターに近い席にしといたけどいい?」 「うん、その方が嬉しいよ」 「じゃ、10番の席ね。ドリンクは飲み放題だよ。そこにドリンクバーがあるから好きな物選んでね」 「うん。じゃ、待ってるよ」  壱弥は10番のブースに入っていく。  木之崎は壱弥の後姿を見送って美優にこっそりと訊ねた。 「神崎さんの彼氏なの?」 「いえ、彼氏ではないですよ」 「えらくイケメンな人だね。友達?」 「幼馴染のお兄さんなんです」 「……へえ。今日は彼と過ごすの?」  木之崎はいつもの人のよさそうな笑顔で聞く。 「ええ、あの人と他の友人達も一緒の予定です」 「そうか。皆でクリスマスパーティとか、学生さんっぽくていいね~」 「学生なの、私だけなんです。他の人は皆社会人の人ばかりで」 「そうなの? 大人に混じって不安じゃない?」 「皆いい人達なんで大丈夫ですよ」  美優は朗らかに笑って木之崎と会話をしつつ、業務をこなしながら勤務時間が終わるのを待った。  終了時間間際になって壱弥の入った、10番ブースの扉をノックする。 「壱弥君? いいかな?」 「どうぞ」  ブースの扉を開けると、壱弥はパソコンを操作している様だった。 「もうそろそろ終わるよ。待たせちゃてごめんね」  壱弥は美優を振り返っていつもの優し気な笑顔を向ける。 「ううん、俺が済ませようと思った用事が早く終わっちゃっただけだから。気にしないで」 「ありがとう。……漫画読んでたんじゃないんだね」 「うん、なんかネットサーフィンしてたらいつの間にか時間経ってた」 「そっか。私上がる時間だけど、お会計、私がする?」 「うん、美優ちゃんにしてもらおうかな」  壱弥はパソコンの電源を落とすと、美優と一緒にカウンターまで進む。  美優は壱弥から伝票を受け取って、バーコードをスキャンする。  ピッという音がすると画面に料金が表示される。  その画面が少しいつもより遅い気がした。 「……あれ? あ、表示された。350円になります」 「なんか画面もたついたね」 「うん、今までこんな事なかったのにな~。店長に報告してから上がるね」 「うん、店の玄関で待ってる」  壱弥は350円を払うと店のドアを開けて出ていく。  美優は木之崎に画面がもたついていた事を報告してタイムカードを押してコートを着て荷物を持ち店を出た。  店の玄関前には白い息を吐き、白いダウンジャケットのポケットに手を突っ込んだ壱弥がいた。 「寒いのに待たせてごめんね?」  美優は壱弥の元に急いだ。 「待ったって、一瞬でしょ? 美優ちゃんはいい子だね」  そう言うと、壱弥は美優の頬に手の甲で優しく触れた。 「ホント可愛いよね、美優ちゃんって」  やっと会えた恋人に向ける様な熱の篭もった視線を向けられ、美優は赤面して俯いた。 「や、やめて? そんな、別にかわいくないよ……?」  壱弥はそんな美優の反応にクスリと笑った。 「そうやってすぐに顔赤くして、照れちゃう所なんかホント可愛いよ?」 「……そ、そんなコト……ないよ……」  美優は壱弥のこういう甘い所にも戸惑っていた。  何せ今までの人生、地味に目立たず暮らしてきた美優はこんな風に男の人から言われた事などなかった。  元カレですら、こんな風に熱烈に自分を褒め称えてくれた事なんてない。  こんなに甘く優しく扱われ慣れていないのでどんな風に反応すればいいのかわからないのだ。  それ以上何も言えず、更に俯いていると、頭を撫でられる。 「ごめんごめん」  顔を上げるといつもの優し気な顔にやはり優しい笑みを浮かべた壱弥がいた。 「さ、行こっか」 「……うん」  店のパーキングに壱弥の車は停められている。  車に乗り込み、発進させる。 「美優ちゃんの家寄らなくて大丈夫?」 「大丈夫。持ち物全部持って来てあるから」  いつも持っているよりも大きめの鞄に色々と詰め込んできた。  お泊りの準備はばっちりだ。 「俺達直接ロッジに行く事になってるから、このまま向かうね?」 「うん、よろしくお願いします」  車は順調に進み、高速に乗り県を2県ほど跨ぐ。  その途中、若干の渋滞があり、二人は会話をしながら渋滞をやり過ごす。 「あのね? 今更なんだけど……聞いていい?」 「なに?」 「このクリスマスのパーティの費用って割り勘なんじゃないの? 私いくら出せばいいのかな?」 「ああ、こういう催し物は大概、忠也先輩が全部出す事になってるから」 「え?! どうして?!」 「……なんでだろう? いつの間にかそういう風になってたな~……。……まあでも、俺忠也先輩の店とか色々出資したりしてるし、お金落としてるからいいんじゃない? よくわかんないけど」 「……そ、そんなアバウトで大丈夫なのかな……?」 「忠也先輩ってさ、ああ見えても凄腕の実業家でさ? 結構大きめのスポーツクラブやってたり、健康食品の会社立ち上げたり、色々やってるんだよね」 「へえ……」 「で、そのスポーツクラブの傘下のフィットネスジムとか利用させてもらったりしてるし、食品会社の冷凍の弁当も結構買ったりしてるし、まあ、多分、そういうのの還元なんだと思うんだよね」 「そうなんだ……」 「俺も出してないし、気にしなくていいよ。寧ろ空気読んで奢られた方がいいと思う」 「そっか……。わかった」 「大体、そのジムも食品会社もそもそもが棗先輩の為に立ち上げたしね」 「え、そうなの?」 「うん。ジムは棗先輩のトレーナーとか理学療法士とか整体師とか棗先輩自身とかの要望を全部聞いて作った施設が元になってるし、食品会社は専属の栄養士さんとか調理師さん囲い込む為に作った会社だし」 「そうなんだね……。凄いね、忠也さんって」 「そうだね。こだわり出したらとことん突き詰めちゃうんだろうね。車にしてもワインにしても料理にしても。棗先輩に最高の環境を与えようと思ったんだろうと思うよ」 「そっかぁ。忠也さんは棗さんの事本当に大切なんだね」  壱弥は少しずつクリープで車を走行させる。 「そうみたいだね。棗先輩ってさ、実は忠也先輩のお店でまともにご飯食べた事ないんだって。ほら、食事制限あるでしょ?」 「そうだね、キックボクシングの選手だもんね。今日はどうするのかな?」 「さすがに今日は飲み食いするんじゃない? 前のクリスマスは食べてたよ」  話してる内に車は渋滞を抜けて速度を上げていく。 「進み出したね」 「うん、思ったより早く抜けられた」  二人はその後も穏やかに会話をしながら車を走らせて、高速を降りた。 「市街地抜けたら山道に入るよ。気分悪くなりそうだったら言ってくれたらいいからね?」 「うん、でも壱弥君の運転全然振られないから酔ったりしないと思う」 「そ? だったらいいけど」  壱弥は市街地の幹線道路を走っていく。  その途中にある大型スーパーのパーキングに入っていった。 「ちょっと買い物するから付き合って」 「うん。何買うの?」 「材料」 「? なんの?」 「そうだな~……、何作ろっかな~」  美優は小首を傾げて壱弥に問う。 「作る?」 「料理。男が一人一品作るルールなんだ、この手の催し物全般」 「ええ? そうなの?」 「うん、なんかいつの間にかそういうルールになってた」  二人は車から降り、店の入り口に向かった。 「皆料理出来るんだね、凄い」 「まあ、皆実家出てるし、多少はね。そうだなぁ~……、多分メインのローストチキンとかは忠也先輩が焼くだろうし、帆高はパスタになるんだろうな~。航生が一貫性なくて読めないんだよね……。よし、俺は手抜きしてカプレーゼとアヒージョにしよっと」 「カプレーゼならトマトとモッツァレラチーズだね。オリーブオイルも?」 「多分、調味料は忠也先輩が持って来るから大丈夫だと思う」  店内に入って、あれこれ思索しながら材料を買う。 「飲み物って買っておかなくていいのかな?」 「ああ、多分飲み物も忠也先輩が色々揃えてるよ」 「忠也さんって本当に面倒見良いんだね」 「人の面倒見るっていうより、自分が気になっちゃうんだと思うよ。そういう性分なんだろうね」 「そっかぁ~……。本当にこだわりの人なんだね~」  材料を買い込んだ二人は再び車に乗り込む。  そして山道を走り、車は目的のロッジに辿り着く。
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