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17、壱弥の一面
その後、ロッジに戻った7人は改めて食事を再開し、ケーキを食べ、やっと帆高もワインを口に出来、大いに盛り上がった。
結局男性陣は深酒をしてリビングで雑魚寝という醜態を再び晒してしまう。
女性陣はこうなる事を予期して早々に切り上げて二階の女子部屋に上がり、眠ってしまった。
「ね? こうなるでしょ?」
穂澄が腰に手を当てて呆れながら美優に言った。
「きっと皆楽しくてついつい呑んじゃうんだね」
「皆、バカだからムキになって呑むのよ。サウナのおじさん達と一緒。あいつよりは先にオチない、みたいな変な張り合い」
「まあ、勝負事は燃える。その気持ちはわからなくはない」
「なっちゃんの言う勝負事とは次元が違い過ぎる気がするけどね」
「……なんか、ワインの瓶、いっぱい置いてある……。これ全部吞んじゃったのかな……?」
パッと見た限りでも10本以上は並べられているのを美優は感嘆を篭めて眺めた。
「なんだかんだ、皆呑める方だからね。呑める奴らがこんな状態になってるんだから、相当呑んでるのよ。ホントバカね。さ、私達は朝風呂行きましょ」
ロッジを出て朝霧が立ち込める山道を足元に注意しながら階段を登って露天風呂に向かう。
露天風呂にはやはり誰もおらず、白乳色の湯からは湯気が立ち揺れている。
露天風呂にゆっくり談笑しながら浸かって、朝日が昇って来るのを眺める。
樹々の間から零れる様な橙の光が差し込んで、とっても綺麗だ。空はそれに合わせたようなピンクと紫のグラデーションを湛えている。
少し熱めのお湯だが、冬の外気が頬や肩を冷やして丁度いい。
棗は湯殿の縁に両腕を広げ、その背と共に預けて美優に声をかけた。
「美優ちゃんは私がキックボクシングの選手なの知ってたっけ?」
「うん、知ってるよ。壱弥君から聞いた」
「多分来年の春位かな? また試合があるから、その時は観においでよ。あ、格闘技苦手?」
「ううん、やるのは無理だけど、見るのは平気だよ」
「じゃあ、観に来て! 友達がいる方が気合入るんだよね」
「棗さんはプロなんでしょ?」
「そうだよ。ま、連戦連勝とはいかないけど、ボチボチ勝ってるよ」
「なっちゃん、試合の後顔ボコボコだもんね~。美人が台無しになって面白いのよ~」
穂澄はさも可笑しそうに笑いながら言った。
「顔につけるマスクみたいなのしないの?」
「ああ、ヘッドキャップ? しないよ」
「ええ? 凄いなぁ~……。……壱弥君から聞いたけど、忠也さんがジム立ち上げたり食品会社やってるのって棗さんの為なんでしょ? 忠也さんも心配なんだろうね」
「そうそう。それで私達も一緒に会社経営すっぞ! って強引に引き込まれたのよ。で、それやりながら、自分達の会社もそれぞれ立ち上げてグループ化してるのよ」
「多角経営ってヤツだね。学生からそんな事出来るなんて、ホントに皆凄いね」
「ジムと食品会社が思いの外上手く回ったからね~。栄養管理された手軽な食事が欲しい層の情報を入手するのが容易だったのよ」
「アスリートにとって必要な事は全て揃えてくれたからな。忠也は実質私のスポンサーみたいなものだ」
「そうそう。だからジムのイメージキャラクターなのよね、なっちゃん」
「ああ、棗さんなら綺麗だし看板に出てるといい宣伝になりそうだね。メディアからの取材も凄そう」
棗は広げていた腕を組んだ。
「取材は一切受けてない。私は口下手だから不用意な事を言いそうで怖い。看板の写真も仕方なく撮ったんだ。さすがに世話になりっぱなしで何も協力しないのはいかがなものかと思ってさ」
「多分、断っても忠也先輩、何とも思わなかったと思うわよ?」
「そうか?」
「うん」
「いや、やっぱりこれだけ世話になっているんだから、何か一つくらいは返さないとな」
「ホントなっちゃんって現代に突然降臨した武士みたいな精神してるわよね。大体、なっちゃんトコは忠也先輩の孫を溺愛するお祖父ちゃんみたいな愛情で成立してるんだから、義理もクソもないと思うわよ?」
「……そうなのか?」
「そうよ。まぁたまには肩叩き券でもプレゼントしてあげたら泣いて喜ぶんじゃない?」
「……そうか」
棗はそのまま何か考え込み始めたので、美優と穂澄で談笑しながら登っていく朝日を眺めた。
露天風呂を出て、ロッジに戻ると相変わらず男性陣はリビングのあちこちで眠っている。
よくよく考えてみたら、美優は初めて壱弥の寝顔を見た。
壱弥はソファのひじ掛けに頭を預け、毛布を被り、腕を組んで眠っている。
きっと昨日の夜食べていたであろうおつまみのピーナッツがテーブルに散らばる様に置かれている。
美優がそれを微笑ましく見つめていたら、荷物を置きに行った穂澄が二階から降りて来る。
「さ、朝ごはん作ろ」
穂澄はキッチンに立って、冷蔵庫の中の材料を漁る。
「あ、帆高が買って来たシーフード残ってるから、これでいいや」
手際よく玉ねぎをみじん切りにして、オリーブオイルをフライパンで熱して、ニンニクを炒める。
この時点で香ばしい、良い香りがしてくる。
「何か手伝うよ、穂澄さん」
美優はキッチンの穂澄の横に立った。
「そ? じゃ、私達の食事は美優ちゃんに任せようかな」
「? それじゃないの?」
「これは二日酔い用メニューよ。別にこれでもいいけど、私達はもっといいモノ食べたいじゃない? 私達のはホテルモーニングにしましょ?」
「ホテルモーニング?」
「クロワッサンとふわふわスクラングルエッグとモッツァレラチーズのサラダとあらびきウインナーにこの二日酔いメニューの魚介のチーズリゾット。とりあえず、玉子割ってスクランブルエッグにしてくれる?」
「うん、わかった」
3人分のスクランブルエッグを炒め、ベーコンとウインナーを焼き、サラダと共にプレートに盛って、出来上がり、キッチンの前のダイニングテーブルに3人分並べる。
棗が使い捨ての紙のランチョンマットとカトラリーを並べた。
「穂澄さん、クロワッサン焼いちゃっていい?」
「今コーヒー淹れ始めたからちょうどいいタイミングね。いいわよ~」
小さめのカップにリゾットを入れ、コーヒーが入った頃、ちょうどクロワッサンの焼けたバターの香りが漂って来た。
「さ、食べましょ?」
「うん」
「だな」
「では、」
「「「いただきます」」」
女性達で楽しく談笑しながら食事をしてると、男性陣も起きて来た。
「うぃ~……、おはよう~……。いい匂いだねぇ~……」
ぼんやりとした忠也がダイニングテーブルの横にやって来て女性達に声をかけた。
「おはよう、忠也さん。二日酔い?」
美優は飲んでいたコーヒーのカップをテーブルに降ろしながら訊ねた。
「うん、こりゃダメだ。俺ちょっと風呂行ってくるわ」
「あ、俺も行く」
「俺も行くわ」
「俺も~」
結局起きて来た男性陣は全員で露天風呂に行く事になった。
「行くなら、ちゃんと水分補給してから行きなさいよ~?」
「へいへい。お茶のペット持っていくか」
帆高はそう言うと冷蔵庫の500㎖のペットボトルを男性達それぞれに一本ずつ手渡した。
「じゃ、行ってくるよ、美優ちゃん」
壱弥は美優にダイニングテーブルで座っている美優の肩に手を置いて言った。
「うん、気をつけていってらっしゃい」
美優は壱弥を見上げて微笑む。
壱弥は名残惜しそうに美優の髪に触れて部屋を出て行った。
外からはかすかに男性達の話し声が聞こえていたが、それも早々に遠のいた。
「……壱弥ってホントに美優ちゃんに惚れてるのね」
「え?! 穂澄さん、何? 突然?!」
穂澄の突然の言葉に美優はびっくりして思わずうわずった声を上げてしまった。
「……、美優ちゃんにこんな事言うべきじゃないんだろうけどさ……。事実だから言っちゃうけど、壱弥ってさ、大学入ってちょっとしてから、エラく女遊びが酷かった時期があってさ?」
「え? そうなの? 女の子と付き合った事ないって私は聞いてたけど」
「うん、それは事実よ? ただただとっかえひっかえしてたのよ。毎晩違う女と出歩いてた」
意外な壱弥の一面に美優は少し驚いた。
「まあ? 如何にも男慣れしてて遊びだって理解してるような女ばっかりと遊んでたみたいだから後腐れなく全員とは終わってると思うけど」
「……そうなんだ……。何かあったのかな?」
「ま、その時が一番あいつ、実家と揉めてた時だったから。色々あったのかもしれないわね」
壱弥のその時の心情はどういうものだったのだろうか?
美優にはきっと想像も出来ない様な苦しい想いをしていたのかもしれないと思うと、何か少しだけ胸の奥に苦いモノが過ぎった。
「そういう男だからさ? 誰かが自分に想いを寄せても何とも思わないんだなって理解してたんだけど、美優ちゃんだけは特別みたいね」
「……そうなのかな?」
「あんな甘い顔して女の子と接してる壱弥なんか見た事ないもの」
「……そうだな。あの時も酷かったしな」
棗がクロワッサンを千切りながら少し考える様に言う。
その言葉を受けて、穂澄も少し考える様なそぶりを見せた後、意を決した様に話し始める。
「……実は高等部の時に帆高と付き合ってた子がさ、壱弥の事好きになったとかなんとか言い出したのよ」
「ええ?! それは凄く大変そう……」
「壱弥がその子に言ったのは、『帆高から俺に靡いて相手にされると本気で思ってんの?』っていつもの笑顔で、でもそれはそれは冷たく言い放ったのよ。公衆の面前で」
そう言った穂澄は一旦コーヒーを飲んで一拍置き、続きを話し始める。
「女の子は帆高から壱弥に靡いた尻軽女だって噂になっちゃって、学校中で針の筵みたいになっちゃって結局学校辞めちゃったし、そりゃもう酷い事になったわ」
「……それは、その子、ちょっと可哀想な気が……」
「うん。悪い子じゃなかったのよ? むしろ良い子だった。な、だけに本気で壱弥に惹かれたんだと思うのよ、その子も」
その時のそれぞれの想いを考えてみる。
帆高は自分の付き合ってる子が壱弥に惹かれていくのをどんな気持ちで見てたのだろうか?
その子はどんな気持ちで二人に接していたのだろうか?
壱弥はその子に想われた事に気が付いた時、どう感じたのだろうか?
きっとそれぞれが想いや優先すべき大事な現実の中で色々思いが交錯した事だろう。
「何が言いたいかって言うとさ? 人の好意とかそういうものを慮るなんて事ないし、誰かに想いを傾ける様な事も無かったのよ、本当に。だから、美優ちゃんには心から惚れてるんだな~って思ってさ」
そう言った穂澄はサラダのレタスをフォークで刺して、そのまま何か考えているようだった。
美優はその穂澄の言葉で壱弥の自分に対する気持ちが真剣な事をまた一つ実感した。
「……ねえ。美優ちゃん?」
穂澄はフォークの先のレタスの方を何やら考え込んで眺めている。
「何?」
「壱弥とは小さい頃に出逢ってたのよね?」
「うん、私は小学校1年生だった」
「壱弥はその時6年生でしょ?」
「うん、そうだね」
「……それ以来会ってなかったの?」
「うん、夏休みの期間だけ遊んでもらって、それ以来会ってなかった。再会したのはホントにこの間だよ?」
穂澄は美優のその言葉を聞いてやはり考え込む。
美優はそんな穂澄をキョトンと見つめた。
見つめられている事に気が付いた穂澄は美優に笑った。
「……ああ、何でもないの。このクロワッサン美味しいでしょ? ココロノベーカリーって泊市駅の近くのパン屋さんのヤツなのよ」
「へえ、聞いた事あるけど食べた事なかったんだ。評判になるのわかるよ」
美優は穂澄の考え込んだ内容に少し興味があったが、穂澄が話を逸らしたのが分かったので、敢えてその疑問は忘れる様にした。
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