22、年明けの一夜

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22、年明けの一夜

 お参りが終わって、二人は帰路に就いた。  刺す様な冬の深夜の冷気を肌で感じながら黄色い月を眺め歩いた。  壱弥はその間も手を離さず、ずっと繋いでいた。  家に帰り着くと風呂に入って歯磨きをして眠りにつく事になる訳だが、壱弥の部屋にはベッドが一つしかない。 「俺ソファで寝るから美優ちゃんはベッド使って」 「え、そんなの悪いよ。私ソファでいいよ」 「いや、シュラフとダウンブランケットで充分暖かいから。心配要らないよ?」 「でも、寝心地悪いでしょ? 私がそっち使うから」 「ダメ。美優ちゃんはベッドで寝て」  その問答が長く続けられて、壱弥が少し意地悪な顔をして美優に言った。 「じゃ、一緒に寝よっか?」  美優はその言葉に詰まってしまう。そして頬はみるみる内に紅く染まっていった。  そんな美優に壱弥は微笑む。 「ね? 俺がソファ使うから。わかった?」  美優は真っ赤な顔をして俯く。  そして勇気を振り絞って言葉を紡いだ。 「…………よ……」 「ん? 何?」 「……一緒に寝よ……?」 「……美優ちゃん、いいの?」 「……うん」  美優は俯いたまま答えた。 「美優ちゃんと一緒に寝るとかご褒美過ぎるんだけど」 「……大袈裟だよ……、壱弥君……」 「大袈裟じゃないよ。ホントに一緒に寝ていいの?」 「……うん」  美優はやはり俯いたまま顔を上げる事が出来なかった。  だが、この手の事は壱弥は絶対に譲ってくれないのを経験的にわかっている美優は、それでも壱弥には自分の慣れたベッドでどうしても睡眠をとって欲しかったので、一緒に寝るという提案はギリギリの譲歩だった。  しかし心臓がドキドキと五月蠅く頬は熱を帯び、これでは自分の方が眠れるかわからない。  ベッドサイドまで寄って、寝る準備を始める。  二人で真っ白なシーツに包まれた羽毛布団を捲りベッドに潜り込んだ。  ひんやりとしたシーツの温度が自分の体温で徐々に温められる。  壱弥はベッドの宮に置いてあったリモコンを手に取って照明の灯りを落とした。 「美優ちゃん、おやすみ」 「おやすみなさい、壱弥君」  常夜灯に目が慣れて来た頃、隣の壱弥が寝返りを打った。  壱弥の方を見ると、自分の方を向いてもう寝息を立てている。  美優は眠ってしまった壱弥の寝顔を眺めて、微笑む。  壱弥の無防備な寝顔は何か可愛らしくて、胸が温められた。  そして安心すると睡魔が襲い、ウトウトと眠りに落ちていった。  …………顔に暖かく眩しい光を感じて目を覚ます。  何かとても暖かく、心地いいものに包まれてる。  その暖かいものに縋りつくように顔を埋めて眩しい光を避ける。  暖かいものは自分の事をぎゅっと抱きしめた。  美優はしばらく目を閉じて、その心地よさに酔いしれる。  微睡みの中、薄く意識を宙に漂わせる様にふわふわとした気分でいたけれど徐々に現実界に戻されていく。  意識がはっきりしてくると、自分が何かに抱きしめられてるのだとわかった。  そしてハッと頭を上げると、壱弥が自分に腕枕をして抱きとめている。  自分もすっかり壱弥の胸に顔を埋めていた。  その状況に一気に体温が上がる。  それでもよく眠っている壱弥を起こすのは忍びなくて美優はただただじっとしていた。  そしてその状況に慣れて来た頃、壱弥が目を覚ます。 「……ん……、あれ、美優ちゃん……おはよう」 「おはよ。壱弥君」  そう返事をすると壱弥はぎゅっと美優を抱きしめた。 「い、いちやくん……?!」  せっかく慣れて来て平常に戻っていた体温がまた上がってしまった。  自分の頭に顔を埋めて目を閉じる壱弥はそのまま動く気配がない。 「……あの、あのね、いちやくん……?」 「……、美優ちゃん、俺、近年稀に見る程珍しく安眠出来た」 「……え? そうなの? 確かにとてもよく眠ってたね」 「子供の頃は普通に眠れてたんだけど、なんか大人になってから眠りが浅くてさ。19位からあんまり熟睡出来てないんだよね」 「そうなの……。眠れないのは辛いね」 「うん。でも薬使うのもなんかやだし、放置してたんだ」 「睡眠外来とか行ってみた?」 「ううん。行ってない。でも行かなくてもいいや。美優ちゃんがいれば解決だ。一緒にいてくれればよく眠れるみたいだし」 「ええ? でも私、ずっと一緒に眠ってあげられないし……」 「いいよ。たまにでもぐっすり眠れるなら」 「ダメだと思うよ? ちゃんと病院行った方がいいよ? 毎日ちゃんと眠らないと体力保たないよ?」 「だったら、美優ちゃんが毎日一緒に寝てくれたらいいんじゃない?」 「ええ?! そ、そんな訳にはいかないでしょ?」 「ははは、冗談だよ」 「もう、揶揄わないで?」  少し拗ねた表情で壱弥を見上げると、その表情は本当に愛おし気で幸福感に満ち溢れていた。 「……壱弥君……」  その表情を見上げていると自然とその名を呼んでしまった。  壱弥はまるでそれが合図かのように美優の額にキスを落とした。  美優はその壱弥の表情や行為を真っ直ぐに受け止める事が出来ずに、やはり目を逸らす様に下を向く。 「……はあ……。美優ちゃんが俺の腕の中にいる。凄い幸せでどうにかなりそうだ」  壱弥は更にぎゅっと美優を抱きしめる。 「えっと……、壱弥君? 私、そろそろ起きようかと思うんだけど……」  壱弥は再び瞳を閉じて美優の髪にその顔を埋めた。  何も答えてくれないので、仕方なく黙ってそのままされるがままになって、長い時間二人はそのままでいた。  美優もその内壱弥に抱きしめられている事に心地良さを感じて、瞳を閉じて壱弥の体温を感じてたが、壱弥のスマホが振動している事に気がついて、声をかけた。 「壱弥君? スマホ鳴ってるよ?」  それでも壱弥は何も言わない。 「あの、壱弥君? 電話だと思うよ? 出なくていいの?」  美優は壱弥を見上げると、壱弥は本当に不満そうにスマホの方を見た。 「はあ……。今日行かないって言えばよかった……」  そうため息混じりに呟くと、離れ難そうに美優を放して起き上がり、スマホのあるソファの前のテーブルまで歩いた。  スマホを取り上げてスワイプする。 「はい?」 『はいじゃないだろ? さっさと出ろよ。もう迎えに出ていいのか?』 「ねえ美優ちゃん?」  壱弥はスマホから聞こえる帆高の声を無視して美優を見た。 「え? 何?」 「今日無しにしちゃダメ?」 「……私、皆でお参りもしたいな……」  ここで壱弥の要望を聞いてしまうと、一日中ベッドで抱きしめられそうで怖かった。  そんな事をされてはきっと自分の心臓が保たない。 『壱弥? 聞こえてんぞ? お前な〜? いくら美優ちゃんが可愛くてもちょっとは家から出ろよ』  どうやら帆高にも聞こえていた様で状況を察した様だった。 「昨日の夜出た。……でも美優ちゃんが行きたいって言うから行く」  壱弥は美優の方を振り返って訊ねた。 「もう来てもらっても大丈夫?」 「うん、私は構わないよ?」 「帆高? じゃあ待ってるから迎え来て?」 『わかった。そっち40分くらいで着くと思うから用意しとけよ?』 「うん。じゃ」  壱弥は電話を切って大きなあくびをし、その後思い切り伸びをしてから美優を見て言った。 「……はあ、まだ美優ちゃん抱いて寝たかったな〜」 「壱弥君……、そういう言い方されたら恥ずかしくなっちゃうからやめて……?」  まだベッドの中の美優は羽毛布団を抱きしめて紅潮する顔を隠した。 「……ホント美優ちゃんは可愛いね。大好きだ」  布団を抱きしめて顔を隠す美優の横にやって来て、膝をつく。 「ね? 顔見せて?」  隠せていない耳元に囁きかけられる。  壱弥の声が耳元で聞こえただけでなく吐息まで感じ、美優は更に顔を赤くした。 「……ダメ……」 「……やっぱりこのまま押し倒して抱きしめて寝ちゃおうかな?」 「……ダメ。 帆高君達、来てくれるんでしょ? 用意しなきゃ」  ちろりと布団から少しだけ顔を出すと、壱弥はなんとも言えない色気を醸しながら美優を見つめていた。 「うん。用意、しよっか?」  壱弥はやっぱり耳元で囁くように言って、今度は美優の頭を撫でる。 「俺、シャワー浴びて来るけど、美優ちゃんもシャワー浴びる?」  その言葉は耳元から聞こえず普通の距離感で平常の声でかけられたので、美優は布団から顔を離した。 「ううん。私は顔洗うから洗面台使わせて?」 「うん、じゃ、トイレ横にあるから使って。タオルも置いてあるの勝手に使っていいから。じゃ、シャワー浴びて来る」  そう言うと壱弥はバスルームに入っていき、しばらくするとシャワーの水音が聞こえてきた。  美優はその間に洗面台に行き、顔を洗う。  壱弥が出て来るまでに着替えを終えたいので急いだ。  顔を洗うととりあえず着替えてしまって、その後歯を磨いて、いつでも出かけられる様に準備を整えた。  準備が整ったタイミングで壱弥が浴室から出て来る。 「着替え持って行くの忘れちゃった。お見苦しくてごめんね」  上半身だけ裸の壱弥がバスタオルで頭を拭きながら言った。  少し目のやり場に困ってしまったけど、美優はソファに座って壱弥に笑った。 「ううん、気にしないで準備してね」  美優は壱弥に笑いかけると、壱弥の家に着いてからしばらく触っていなかったスマホに目をやり、出来るだけ壱弥の方を意識しない様にした。  服を着た壱弥は再びバスルームに入っていく。しばらくするとドライヤーが駆動し始めて剛風の巻き起こる機械音が聞こえ始める。  ホッとした美優はスマホの画面に注視した。  穂澄からのメッセージが何件かあって、昨日の夜からちょこちょこと来ている。 『壱弥、無理やり迫ってない? しんどくなったらヘルプしてね?』  壱弥の友達全員とクリスマスから何度かメッセージのやり取りをしていたが、特に穂澄は壱弥との関係を心配してくれている。 『おはよう。ずっと連絡くれてたのにごめんね。壱弥君、そんな人じゃないから大丈夫だよ』  返信するとすぐにスマホの着信音が鳴る。 『普段ならそうなんだけど、美優ちゃんの事になるとなんかいつもと違うから心配になるのよ。何もないならよかった。もうちょっとで着くから』 『心配かけてごめんね。待ってます』 『心配かけてるのは壱弥よ』  怒りが表現されたスタンプと共に送られてきたメッセージに微笑む。  他にも帆高からも来ていた。 『壱弥にちゃんと準備する様に言っといて? 美優ちゃんの言う事なら聞くだろうから』  それにはお願いを表現するスタンプが添えられていて、それにも微笑む。 「美優ちゃん、お待たせ」  いつの間にかドライヤーの轟音は終わっていて、壱弥が後ろに立っていた。 「可愛く笑ってる。誰から?」 「穂澄さんと帆高君だよ。壱弥君に準備する様に言っておいてって。スタンプが可笑しかったの」 「どうせ穂澄は余計な事言うでしょ?」 「え? そんな事ないよ?」 「こないだもさ? 忠也先輩から深刻な声音で電話あったからなんだろうと思ったら、棗先輩に離婚されるんじゃないかとか言い出すんだ」 「ええ?! そんな事ないでしょ?」 「俺もそう言ったんだ。そしたら、棗が肩叩き券渡してきたんだって言ってさ? なんか初めてモノもらったとかで嬉しいけど不安になったとかなんとか。なんか泣き言言ってるしどうでもいいからどうせ穂澄がなんか言ったんでしょ? って言って電話切ったんだ」 「……それは、うん。確かに穂澄さんが言った。でも、きっとそういう意味じゃなくて……」 「なんとなく流れはわかるよ。でも棗先輩って真面目で愚直が過ぎる人だから、そういうのわからないんだよ」 「……なるほど……」  壱弥は呆れ顔でジーンズのポケットの中に財布とスマホをねじ込んだ。 「言動には気をつけて欲しいもんだよ。美優ちゃんにも俺の事色々言ってると思うけど、あんまり相手しなくていいから。……ま、でも俺の事で相談したい事あったらあいつが一番知ってると思うケドね」 「そうなの?」 「あいつの洞察力は凄いと思うよ。よく見てる。見てるから色々察してるんだろうなって事も多いよ。多分俺達全員の事ちゃんと把握してんのは穂澄だと思うよ? ……美優ちゃんもう出られる?」 「うん。準備出来てるよ」 「そろそろ着く頃だ。出て待ってよっか」 「うん」    壱弥は玄関に向かい、靴を履いた。  美優は持ってきてあった小さな荷物を持って壱弥の後を追って玄関に向かって靴を履く。  そして壱弥は玄関の扉を開き美優の肩を抱く様にして出て行った。
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