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24、幸福な事
三が日参りを終え、ショッピングモールで買い物を済ませて皆で壱弥の部屋に上がり込む。
「お邪魔しま~す」
穂澄は靴を脱ぎいつも出される客用スリッパを勝手に大きな作り付けのシューズボックスから出す。
それに続き、帆高も同じ様にスリッパを取り出し、航生の分も出してやった。
「お、サンキュー」
壱弥の部屋にはあまり彩りがない。
客用のスリッパも灰色のシンプルなものだ。
美優はそれを見てあまり鮮やかな物を選ばなくてよかったとホッとする。
「お、美優ちゃんは新しいの買ってもらったのか。可愛いね、それ」
帆高が美優の履く白いスリッパを見止めて言った。
「うん……」
なんだか照れくさくなって俯く。
「照れる事ないのに。美優ちゃんって誰かと付き合った事ないの?」
「中学の時に一回だけ付き合った人がいたけど、すぐに別れたよ」
「へえ? どうして別れたの?」
「……特に理由はないかな。なんとなく自然消滅しちゃった」
相手の告白で付き合い始めたが、別れ話は特になかった。いつの間にか話をする事も無くなっていき、特に別れの挨拶もなく中学を卒業して、今はもう全く何の繋がりもない。
「そっかぁ。中学生くらいってそんなもんなのかね? 俺、中学の時は勉強ばっかしてたからわからんわ」
「そうなの? 帆高君、すごくモテそうなのに」
「そんな事ないよ? 俺、告白されて付き合った事ってないもん」
「そうなんだ……」
「そういえば、航生と穂澄は中学から付き合ってたっけ?」
壱弥が穂澄の方を見て訊ねる。
穂澄がソファに座って早速祝い酒を開けながら言った。
「そうよ~? 中二頃だったかな? もちろん航生が告って来たのよ?」
「そうそう。俺が告った。最初断られたんだけど、しつこく迫ってドン引きされて、諦めてくれて、付き合ってもらってるんだ」
航生がまるで他人の恋模様を語る様に言う。
「ホントしつこかったんだもん。絆されるわよ、あんだけ迫られたら。付き合ってからも航生に愛想尽かされる事もなく、現在に至るのよね」
「そうなんだね。でもそんなに長く付き合ってたら色々あったりしないの? 喧嘩したりとか」
航生がぶんぶんと首を横に振る。
「穂澄と喧嘩しようなんて絶対思わないよ? そんな事したら完膚なきまでに言い負かされるのわかってるし」
航生の言葉に壱弥と帆高も頭を縦に振った。
「穂澄と言い合ったってこっちの痛い所抉られて終わるだけ」
台所からふせちと買って来たおつまみの準備をしながら壱弥は同意し、
「そうそう。勝ち目のない戦はしたって意味ない。後の世に凄惨な戦いの惨状を伝えるだけだ」
帆高もダウンキャビネットから手慣れた様子で紙コップと紙皿、割りばしを用意しながら同意した。
「そっかぁ……」
男性三人の反応から察して、これ以上は触れてはいけない話の様な気がして、曖昧な返事をしておいた。
航生が買って来た二本の内の一本の日本酒を冷蔵庫に仕舞い、アイスバケットに氷を詰めて買って来たワインを入れる。
何か手伝おうと壱弥のいる台所に向かおうとしたら、穂澄に声を掛けられる。
「美優ちゃんはこっち」
穂澄の方を振り返ると自分の横のソファの座面を叩いていた。
「え、でも……」
穂澄は満面の笑みで美優に言った。
「いいのいいの。こういう時は大人しく男子に任せる。なんか知らないけどいつの間にかそういうルールになってるの。だから座って待ってましょ」
「……うん」
なんだか申し訳ない気持ちで一杯だったが、とりあえず穂澄に従っておく。
座っていると帆高がテーブルの上に人数分の紙皿と紙コップと割りばしを置く。
航生がアイスバケットをテーブルの上に置き、壱弥がふせちと買って来たツマミをテーブルに置いた。
「準備出来たよ。雑煮は後でいい?」
壱弥がそう言うと穂澄が答える。
「どうせあんた達呑み出したら動きゃしないでしょ? 私と美優ちゃんで作るからいいわよ」
「じゃ、任せるよ」
全員、適当に席に着いて美優はお茶の入った紙コップをそれ以外は日本酒の入った紙コップを高く掲げた。
「じゃ、ことよろ~」
穂澄がそう音頭を取ると皆がコップに口をつけて宴会が始まった。
「へえ、これがふせちか。あんまおせちと変わらんじゃん」
帆高がふせちを覗き込んでそう言った。
「鯛とかその辺のが無いみたいだよ」
「お、海老普通にあるんだ。海老とか如何にもめでたそうなのに」
「多分、背中が曲がるまで長生きしましょうって意味だから入っててもいいんだと思うよ」
「そうなんだ。美優ちゃん詳しいね」
「なんかそんな事聞いた事あるなって」
本当は両親が言ってたが、なんとなくそう言い出せなかった。
皆で楽しく集まっているのにしんみりさせてしまったらと思うと両親の事は言えない。
そう思って笑ってると、いつの間にか横にいた壱弥が美優の手を握った。
壱弥を振り返ると壱弥はこちらを向かずに右手に持った紙コップに口をつけていた。
「この酒結構美味いね」
壱弥が誰にともなく感想を述べる。
「うん、なかなか奮発しただけあって結構イケる」
帆高も日本酒を口に含んで味わった後、壱弥に同意する。
「俺、飲みやすいのより辛口の方が好きなんだよね。これ、辛口でいいや」
航生がそう言うとくいっと紙コップの中身を飲み干した。
「私、日本酒はちょっとでいいわ。ワイン開けよ」
穂澄も紙コップの中の日本酒を飲み干すと早速テーブルの上のアイスバケットからワインボトルを取り出す。
ワインオープナーでコルクを瓶の口から引き抜くとポンッと小気味よい音が鳴った。
自分の紙コップにワインを注ぎ入れ、味わう。
わいわい各自喋っていると、穂澄のバッグからスマホの着信音が聞こえてくる。
「……なっちゃん達じゃないかしら?」
立ち上がってバッグからスマホを取り出した穂澄は、片手でスワイプして画面を開く。
「やっぱり。今どこ? だって。壱弥、ここ呼んでもいい?」
「別にいいよ」
穂澄は手早く返信すると、あちらからもすぐに返事が返ってくる。
「何? もう終わったの? 実家詣で」
帆高が穂澄に訊ねた。
「さあ、なっちゃんが今どこって聞いてきたから壱弥んちって送ったの。来るっていうから、どうぞって言っただけ」
「相変わらず棗先輩は素っ気ないよな。絵文字とか使ってるの見た事ないもんな」
「実家詣でしたなら忠也先輩はもう出来上がってる可能性高いね」
「え、M3棗先輩が運転すんの? 大丈夫なん?」
「酔っぱらってる忠也先輩よりは大丈夫なんじゃないの? 酔ってるし怖くないわよ」
「いや、絶対酔い醒めると思う……」
そう酒の肴に笑い話をしながら、ふせちを摘まみ、その他のツマミを食べながら賑わっていると、玄関チャイムが鳴る。
壱弥が立ち上がり、ドアホンに向かった。
「はい?」
『よ。壱弥』
玄関ホンの画面には忠也と棗が映し出されている。
壱弥はそれを確認すると解錠ボタンを押した。
しばらくするとドア前のチャイムが鳴る。
壱弥は玄関と部屋を仕切る扉を開けて玄関口へと歩いていく。
しばらくすると忠也と棗が室内に入ってきた。
「皆、ことよろ~」
忠也が片手を上げて挨拶すると帆高と航生は紙コップを掲げた。
「「ことよろ~」」
穂澄と美優は紙コップこそ掲げはしなかったが、二人と同じタイミングで挨拶した。
「「ことよろ~」」
皆が喪中の自分を気遣って新年の挨拶におめでとうの文言を入れない。
皆の心遣いに感謝した。
「で? 実家詣ではどうだったの?」
その言葉に忠也が溜息を吐く。
「相変わらず、お義父さんきっついわ~。棗をキックボクシングから引退させろって陰で言われてさ?」
棗はそれを腕を組んで怒りを滲ませながら言った。
「あのバカ親父の言う事は放っておけばいい」
「なっちゃんのお父さん、過保護だもんね~。なっちゃん3人兄弟の末っ子長女だし可愛くて仕方ないのよ」
「はっきり言って針の筵だから、吞まされても全然回らんわ」
「実家詣でやめればいいのに」
壱弥が他人事の様に提案した。
「バカ、お前、そんな事したらどんな嫌がらせを受けるかわかったもんじゃないよ?」
「ああ、真守兄さんはしつこく電話してくるだろうし、舁兄さんはしつこくメッセージ送って来るな」
「しかもそれ、全部俺にだけだから。で、それに耐えかねて行けば、お義父さんからねちねち嫌味言われるのは目に見えてる。素直に行った方がまだましだ」
「はは。相変わらずだね、真守さんも舁先輩も」
「あの人達もさっさと結婚してくれりゃいいのになぁ」
「二人ともそんな気配すら無いな」
「結婚したってなっちゃんに対する偏愛は変わらないと思うわよ? ま、妹がこんなに美人なんじゃ選ぶ女もハードル上がっちゃうのはわかる気がするけど」
「あの二人も学生時代はそれなりに恋人はいたんだ。でも毎回私への執着に彼女の方が引いて別れるって流れになって、社会人になった今じゃ全然見る影も無くなった」
一人っ子の美優はお兄さんが欲しかったのだが、この会話を聞いて、いい事ばかりでもないんだなと少し思い直す。
自分の父親は棗の父や兄達ほどではないにせよ、かなり自分の事を心配していた。
バイトが遅くなる時は迎えにも来てくれたし、門限も結構厳しかった。遅れても特別怒られる事もなかったが、一週間くらいは拗ねてしまう、そんな父親だった。きっと兄がいたら同じ様に心配してくれていたのかもしれない。
そして、今の苦境を一緒に乗り越えようとしてくれていたのかもしれない……。
それでもやっぱり兄弟欲しかったな……と心の中で呟いた。
繋がれている右手に力が篭められた。
繋がっている先の壱弥を見てみると、やっぱりこっちは向いていないけど、きっと自分が少し寂しい気持ちになった事を察してくれたのだろう。
皆がわいわいと談笑する中、美優は壱弥を見て微笑む。
自分には兄弟はいないけど、こうして支えてくれる人がいるのだから、恵まれている。
血の繋がりがある訳でもないのに、慮ってくれて親身になってくれる人達。
そういう人達と出逢えて一緒に居られる事は何よりも幸福な事だ。
そう思うとなんとなく感極まって泣きそうになったけれど、更に右手を捉える壱弥の左手はきゅっと強く握られた。
その力強さは美優の涙を止めたし、一人で放り出された訳ではないんだと、言ってくれているような気がして、美優を安堵させた。
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