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27、想いの強さ
忠也のお店の前のパーキングに駐車して、二人はお店に入る。
「沙百合さん、こんばんは。忠也先輩もう来てる?」
「こんばんは、壱弥君、美優さん。来てるわよ。二階どうぞ」
前回と同じ様に二階の席に通される。
階段を登った先には忠也と棗がいた。
「美優ちゃん、いちご以来だね」
「ま、一か月も経ってないケドね」
忠也と棗が手を上げた。
「こんばんは、忠也さん、棗さん」
「そうそう、内定先潰れちゃったんだって?」
「……うん、そうなの。なんかツイてなくて」
忠也が何でもない事の様に笑う。
「ああ、全然大丈夫だよ。うちの事務やってよ。ちょうどうちも食品会社だし。美優ちゃん簿記2級取ってたっけ?」
「うん、取ってる」
「じゃ、全然大丈夫だ。うち事務職ちゃん達はほぼリモートだから」
「あのね、忠也さんの会社は最終手段の伝手にさせてもらってもいい?」
忠也がキョトンとした顔で訊ねた。
「うん、それは構わないけど、なんで?」
「一回ちゃんと一人で社会に出て、色んな事経験してからじゃないと何もわからないままになりそうだから」
棗が頷く。
「確かに一回外に出とくのもいい経験だとは思う。忠也の会社はちょっと緩いからな」
壱弥が忠也に言った。
「俺も俺の仕事手伝ってって言ったんだけどね」
「は? お前は美優ちゃんとずっと一緒にいたいだけだろ」
「それは否めないね」
「ま、美優ちゃん、ホントにどうにもならなくなったらうち来てくれていいから、いつでも遠慮なく頼ってね」
「ありがとう。そうさせてもらうね」
「美優ちゃんは真面目な子だな。そういう子ほどうちは取りたいんだよね」
そう忠也が言った所で階段を登る足音が聞こえてくる。
「オーナー? ご飯適当に出していいの?」
沙百合がそう忠也を見て訊ねた。
「私は豆腐サラダが良い」
「あら、棗さん、調整入ったの?」
「まだまだ時間あるけど、合わせて行く事考えとかないと」
「わかったわ。ドレッシングは無くていいのね?」
「うん、それでお願い」
「他の人達は?」
忠也が壱弥に聞く。
「お前今日車だよな?」
「うん、美優ちゃん送るから呑めないよ? きっと帆高が航生と穂澄乗せて来るんでしょ?」
「じゃ、航生と穂澄と俺は白だな」
「え? 今日M3は?」
「ブレーキパッド交換してんだよね」
「そうなんだ。今日どうやって来たの?」
「沙百合に乗せてもらった」
「ふ~ん」
「あ、沙百合、じゃあ、今日は6人分任せる。後ワイン適当なのとノンアルのも開けて? それとシードルと」
「了解」
そう言うと沙百合は階段を降りていく。
「ここのシェフって沙百合さんなの?」
「沙百合は主にホール担当だね。厨房は沙百合の旦那の湊士(そうじ)が担当してる」
「そうなの? ご夫婦で切り盛りしてたんだね」
「どっちも俺と棗の同級生なんだよね。元々湊士が料理上手くてさ。俺のリクエストに色々応えて貰ってたら、いつの間にか調理師免許取って来て店作ろうぜとか言い出したんだ」
「嘘だよ? 殆ど強引に免許取って来いって湊士さんに言ってたもん」
壱弥が美優を見て言った。
「なんだよ、それじゃまるで俺がわがままなヤツみたいじゃないか」
「いや、結構わがままだと思うよ? 美優ちゃん、湊士さんもいきなり学生からこの店で忠也先輩に雇われたクチなんだ。だからさ、あんまり他人の通る道みたいなものを気にしなくても人生どうにでもなるから。気負わなくてもいいからさ?」
「……うん、わかった。ありがとう、壱弥君」
4人でワイワイと話をしている内に、階下でドアベルの鳴る音が聞こえてくる。
やはり軽い挨拶の声が聞こえてくると、足早に階段を登る複数の靴音が聞こえてくる。
一番最初に上がって来たのは穂澄だった。
「美優ちゃん! 大変だったわね? でも大丈夫。うちの会社でも、うちの店でもどこでも来てくれて構わないから!」
「こんばんは。ありがとう、穂澄さん」
「まあ、会社潰れるなんてあるあるだから。どんまいだよ?」
穂澄の後ろから上がって来た帆高が声をかける。
「うん、ありがとう」
次に階段を上がって来た航生が美優に言った。
「うちの会社入ればいいじゃん。てか、忠也先輩に誘われたでしょ?」
「うん、航生君、誘ってもらったよ」
「でしょ? ならうち来るんだ?」
「ううん、先ずは自分で色々当たってみてダメだったらって事になったの」
帆高がやはりキョトンとして美優に訊ねた。
「え? なんでなんで?」
「いきなりあんまりにも恵まれた環境に行っちゃったら、ちゃんと社会性身に付きそうにないでしょ?」
「ああ、そういう事か。別に大丈夫だと思うけどね、美優ちゃんなら」
航生が笑いながら言った。
「俺達なんて学生時代からいきなり会社立ち上げたから他の会社なんて知らんけど、なんとかなってるよ?」
「そうよね~? 何とでもなるよ?」
「セミナーとか会社で行かせてもらえるよ?」
「うん、そういう風に言ってもらえる所があると安心出来るから、それだけでありがたいよ」
「まあ、一旦外の世界を知っておくのもいいと思うよ? 私も合気道やって空手やってたからこそのキックボクシングだし」
「何年か外で経験積んでうちに来てくれてもいいし。まあ、そうじゃなくても別にいいんだけどね」
皆があまりに明るく温かく、自分を励まし受け入れてくれる事に美優は内心泣き出しそうなくらいホッとしていた。
今日の放課後、あれだけ絶望的な気持ちで帰路に就いた自分からは想像できない位、心は軽くなっている。
レールから外れる事はなんら問題ではないと言ってくれる皆が頼もしくてその明るさに救われた。
別に何かが進展した訳ではないけれど、でも、皆が居てくれるというだけでこれからの厳しい就職活動を頑張れそうだ。
そうして話している内に沙百合がサラダを運んでくれる。
それを合図に皆席に座り、会食が始まる。
食事は楽しく進み、美優も大いに笑い、楽しみながら食事が出来た。
きっと今日壱弥が連れ出してくれなければ、一人で食事も摂らずにボンヤリテレビを眺めて泣いていただけかもしれない。
そして、壱弥の車で送ってくれた帰り道。
「ねえ、美優ちゃん。俺コーヒー飲みたい。コンビニ寄っていい?」
「わかった。それは私がご馳走する」
「うん、ありがと。じゃ、この先のコンビニ入るね」
少し遠くに光るコンビニの看板を見つけた壱弥は、そのコンビニのパーキングに入っていく。
車を駐車してコンビニに入ってマシンのコーヒーを二つ購入し、イートインスペースでそれを飲む。
「いただきます」
壱弥はそう言ってコーヒーに口をつける。
少し熱そうなのを冷ましながら飲む仕草が微笑ましい。
美優も自分のミルクのたっぷり入ったコーヒーに口をつける。
熱いのでふぅふぅ息を吹きかけていると壱弥もまた、そんな美優を見て微笑んでいる。
壱弥の視線が恥ずかしくなって話を誤魔化そうと笑って見せた。
「熱いね」
「うん、熱い。でも美味しいよ。ありがとう」
「どういたしまして。こんなの大した事じゃないよ。……あのね、ホントにありがとう、壱弥君。壱弥君のお陰で色々救われた」
「ん? どうして?」
壱弥は疑問を表情に乗せて首を傾げる。
「……もし今日来てくれなかったら、きっと私、ずっと沈んでたと思うの。でも壱弥君が来てくれて、皆の所に連れて行ってくれたから、ホントに励まされたの」
「……そっか。ならよかった」
壱弥は自分の手元にあるコーヒーをじっと見つめて呟くように言った。
「あのさ、美優ちゃん?」
「なぁに?」
壱弥は手元のコーヒーから目を離して、美優を見た。
「俺、美優ちゃんの事、真剣だからさ? もし美優ちゃんが俺に決めてくれるなら、結婚したっていいんだよ?」
美優はその言葉に驚く。
「え?!」
壱弥の眼差しはとても冗談とは思えない程真剣な色を放っていて、美優は驚きの言葉以外は紡げなかった。
「別に就職決まらなくても、全然大丈夫。もちろん忠也先輩達の会社もあるけど、俺と結婚するって選択肢もあるよ。俺は一生美優ちゃんと一緒にいるつもりだから」
「え……? だ、だって……、付き合ってもいないのに?」
「うん、そんな順番どうでもいいよ。俺は美優ちゃんと一緒に居られるなら肩書なんて何でもいいんだよ」
美優は、壱弥のそのあまりにも真剣な様子に目が離せなくなった。
「あの、でも……」
美優は戸惑う。
壱弥の気持ちが自分に向いている事はもちろん承知していたが、壱弥の想いがそこまで真剣だったとは思っていなかった。
美優の考えていた事はただただ付き合うという事で、その先の未来についてはあまりに遠い事だと思っていたので考えてはいなかった。
どう答えていいのかわからずに戸惑いを表情に乗せて壱弥を見つめてしまう。
壱弥はそんな美優をにっこりと微笑んで美優の頭を優しく撫でる。
「ごめんね。戸惑っちゃうよね。でも、これが俺の本音だから。俺、一緒に生きるなら美優ちゃんがいいんだ。そういう気持ちでいるって事だけ知っておいて?」
「……どうして、私の事……なんでそんな風に想ってくれるの?」
美優はコーヒーの紙カップをテーブルの上に置いて、それを見つめながら呟いた。
壱弥はそんな美優を眺めながら微笑む。
「そんなの、美優ちゃんが凄く可愛くていい子だからに決まってるでしょ?」
「……あのね、私そんないい子なんかじゃないよ? 今日だってホントは壱弥君に取り縋っちゃいそうだったから、最初嘘ついたの」
「でも、美優ちゃん、結局自分で頑張るって言ったよ?」
「……それは……壱弥君が励ましてくれたからで……」
「ええ? 俺、頼ってって言ったのに美優ちゃん頼ってくれないじゃん。俺は、美優ちゃんがこのまま就職せずに俺と結婚してくれたら一番いいのになって思ってるよ?」
壱弥が笑い含みながら美優の頭を更に撫でた。
「……それでもやっぱり自分の足で立とうとする。そういう子なんだよね、美優ちゃんは」
「そんな事ないよ……。今日も壱弥君が居なかったら私、今こんな風に穏やかな気持ちで過ごせてなかった。いつも誰かに支えて貰ってるし助けて貰ってるよ」
「それは美優ちゃんがいい子だからだよ。そうじゃなかったら誰も助けたりしないよ」
美優の膝で握られた手に壱弥はそっと触れる。
そしてそっと美優の耳元に唇を寄せる。
「俺の気持ち、憶えておいてね?」
そのあまりにも甘い囁きに美優の頬は一気に紅潮した。
壱弥の方を見ると、いつもの優しい笑顔とは何か違って、何とも言えない色香が醸し出されている。
壱弥は美優の髪を一房手に取ってそれに口づけた。
「俺は本気だから」
美優はそのいつもとは違う壱弥の雰囲気に息を飲んでしまう。
そしてそんな壱弥に何も声をかける事が出来ず、ただ黙ってされるがままになってしまった。
壱弥は美優から手を離して、いつもの優し気な笑顔に戻って言った。
「さ、帰ろっか」
「……う、うん……」
壱弥は美優の手を引いてコンビニを出た。
外に出ると冬の冷気が頬を刺す様に撫ぜるけれど、美優の頬の紅潮は全く引く様子がなかった。
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