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28、過ぎる苦み
美優はバイト先の店長、木之崎に内定先の倒産について相談した。
「そうなんだ……。こんな時期に大変だね。もし決まらなかったら、うちとしては神崎さん真面目だしよく働いてくれるし、4月以降も入ってくれて構わないよ?」
「ホントですか? そう言って貰えると助かります」
デスクの椅子に座る木之崎は少し考える様な仕草をして、改めて自分の前に立つ美優を見上げた。
「もし神崎さんが良ければ、うちの店長候補に推薦しようか?」
「店長候補?」
「うん、他の店舗に行って貰う事になるけど、店長候補として勤めて無事店長になれたら正社員雇用になるんだよ。更に上ならマネージャーも目指せるね」
「そうですか……。接客業はあまり考えてなかった……。資格とか要らないんですか?」
「特には要らないよ。俺なんて普通免許位しかないよ?」
「そっか……。わかりました。ありがたいお誘いで嬉しいです。少し考えさせて貰ってもいいですか?」
「うん、構わないけど、早い方が本部の印象はいいと思うよ?」
「わかりました」
学校の方はあまり期待が出来ないらしくていい話は聞けないけれど、自分の周りにはありがたい話が舞い込んで来て美優は少しばかり安堵した。
もし、最悪就職先が決まらなくても食べて行く事が出来ないと言った様な事はなさそうだ。
そうこうしている内にあっという間に2月がやって来て、学校は休みに入る。
学校からはたまに就職の進捗についてのお伺いの電話が来たが、進展は無かった。
バイトは3日ほど休みを貰って、また壱弥の家に遊びに行く事になった。
バレンタインデーを跨ぐ今回、美優は決意している事がある。
さすがにここまで伸ばしに伸ばした壱弥への返事をする予定だ。
再び、バイト帰りに迎えに来て貰う。
「壱弥君、お待たせ」
「バイトお疲れ様」
壱弥は車を降りて助手席の扉を開ける。
美優から荷物を受け取って、美優を助手席に乗せると扉を閉めてトランクに美優の荷物を仕舞った。
運転席に乗り込んで美優に微笑みかけた。
「ん? なんかいい事あった?」
「……どうしてわかるの?」
「だって、そんな顔してるよ?」
「……あのね、バイト先の店長さんが、店長候補に推薦しようかって言ってくれたの」
「へえ? そうなんだ……」
「あんまり接客業は考えてなかったんだけど、そういう道もあるんだなって思って」
「そうだね。接客なら穂澄のお店でもいいよね」
「……穂澄さんのお店は私には敷居が高過ぎるよ。だってお店の人、皆綺麗な人ばっかりだったもん」
「そうかな? 美優ちゃんの方が可愛いと思うけどな」
「……そんな訳ないよ……」
壱弥があまりにもナチュラルに美優を褒めるので、何か恥ずかしくなる。
「忠也先輩のジムの受付とかもあると思うし、選択肢はいっぱいあると思うよ?」
「……うん。そうだね。 色々選べるなんてホントにありがたいよ。内定先が倒産したって聞いた時はホントに色々悩んだけど、皆に助けて貰えて選択肢まで与えて貰えて、恵まれてるよ」
「そうだね。色々やってみてもいいと思うよ。もう固定で職業決める様な時代じゃないと思うし」
「そうかもしれないね」
「いつでも何でも話してね? 幾らでも相談に乗るから」
「うん、ありがとう、壱弥君」
「じゃ、お昼食べに行こうか?」
「うん」
「今日はちょっと郊外に行って、農家さんのやってるビュッフェに行こうと思うんだ」
「へえ?」
「なんかね、旬の野菜を使ったビュッフェと窯焼きのピザ出してくれるんだって」
「わあ、凄く美味しそう! 楽しみ!」
「うん、そう言うと思ったよ」
壱弥はサイドブレーキを戻し、ギアをパーキングからドライブに入れた。
「じゃ、行くよ?」
「うん、よろしくお願いします」
「はは。美優ちゃんはいつもそうやって改まってお願いするよね。凄く可愛い」
「……だって、自分は運転出来ないし……、壱弥君に乗せて貰ってる訳だから……」
「美優ちゃんを乗せるのなんて俺にとっては当たり前の事だから、お願いもお礼も要らないのに」
そう言って笑いながら壱弥はアクセルを踏み込みハンドルを切り始めた。
「……でも、やっぱり、私はありがたいなって思うから」
「そう思ってくれて嬉しいよ。……きっと、俺は美優ちゃんのそういう所も大好きなんだ」
「……ありがとう……」
車は幹線道路を走り抜けて、どんどん山の方へと進んで行く。
山の中腹に田んぼが連なり、幾重にも折り重なる様に田んぼや畑が山を埋めている。
「……こんな郊外に来る事なかったな……。車って色々世界が広がるね」
「そうだね、公共交通だと行ける所に限界があるからね。幾らでもどこへでも俺が連れて行ってあげるよ?」
「……でも、私も運転出来る様になりたいかな。車は持てないだろうけど」
「この車で練習したらいいよ」
「そんな、傷つけたりしたら大変だからいいよ」
「別に車位直せばいいから大丈夫だよ」
「でも……」
「そんな遠慮してたらいつまで経っても上手くならないよ?」
「……そうかな……。うん、そうかもしれないね。じゃあ、免許取ったら少しだけ運転させてね?」
「もちろん」
車は更に進み、山を抜けて広々とした田園風景が広がっている。
今はもう稲刈りも野焼きもすっかり終えて、田んぼは冬の休耕期に入っているので寒々し気な景色だ。
田園風景の中の道の脇に小さなパーキングが見えて、壱弥はそこに車を停める。
「ここから少し歩くんだ」
「うん」
車を降りて二人は手を繋いで歩き出す。
「壱弥君、どうしてこんな所知ってるの?」
「たまにバイクで走るからかな。さすがに今の季節は寒いからあんまり乗らないけど」
「そっか……。壱弥君はバイクの方が好きなんだよね?」
「うん、そうだね。あれ? 俺そんな事言ったっけ?」
「うん、帆高君と話してる時に言ってた。バイクの方が性に合うって」
「……美優ちゃん、そんな事も聞いてくれてて、憶えててくれてるんだね。ありがと」
繋がれた手に少し力が篭められる。
「お礼言われる様な事じゃないよ。ただ聞いていてなんとなく憶えてただけだから」
「聞き流して忘れる様なレベルの事を憶えててくれるんだもん……。そんなの嬉しいに決まってるよ」
壱弥は愛おし気に美優を見つめて、繋いでる手を持ち上げた。
そして美優の指背に優しく口づけする。
「……壱弥君、恥ずかしい……」
「誰も見てないよ?」
それでも美優はやはり恥ずかしくなって俯いてしまう。
視界には畦道が長く続いていて、壱弥に手を引かれて進んで行く。
「ここだよ」
美優はその言葉に弾かれる様に顔を上げる。
少し先に茅葺屋根の木造の2階建ての大きな家がある。
その門前には大きな一枚板の看板に『田舎の家 案山子』と可愛らしい素朴な文字が彫られていた。
庭先にはテラス席が何席かあって、大きな窯がある。
その家の玄関前で明るい声が自分達を迎えてくれた。
「いらっしゃい。ご予約されてますか?」
歳の頃は40代前半と言った感じのエプロン姿にジーンズの女性がにこやかに話しかけてくれる。
「はい、少し早いんですけど、12時に予約した鈴志野です」
「え~っと、はいはい、鈴志野さんね、奥のテーブル席どうぞ」
その家の造りは全く昔ながらの木造民家そのものなので軒先があり、そこから靴を脱いで家に上がった。
美優達が上がった軒上には玉ねぎが吊るされている。
その珍しい田舎の光景を美優は好奇心を持って見つめた。
店の中には、既にチラホラとお客さんが入っている。
親子連れやカップル、年齢層も客層も様々だ。
そして案内された居間の窓際にあるテーブル席に座って裏庭を見渡すと、鶏小屋や山羊の小屋がある。
そのもっと向こうには牛が囲われ繋がれている。
メニューを見てみると、山羊乳のチーズを使ったピザなどがある。
「この山羊のチーズって、あの裏庭の山羊から搾ったのかな?」
「ここ結構お客さん入るらしいから全部賄えるのかな? 多分一頭分じゃ無理なんじゃないかな?」
「そっか、そうだよね」
先程の女性がお水の入ったデカンタとコップをトレイに乗せメニューを持って美優達のテーブルにやって来た。
「初めて来られたお客様?」
「はい、初めてです」
「うちは90分であの客間にある中央のテーブルの上の物は食べ放題のビュッフェスタイルだから。飲み物は後からどくだみ茶が出るよ。ピザはこのメニューから一人2枚が料金に入ってて、追加は1枚500円ね」
「わかりました」
「ピザ決まったら声かけて下さいね」
「はい」
女性は足早に勝手口から厨房に戻って行き、美優達はメニューに書かれたピザの品目を眺めた。
「あのね、私この山羊のチーズのピザ食べたいな」
「じゃ、一枚はそれに決まりだね。俺はこのスモークサーモンのピザがいいな」
「あ、いいね、それも美味しそう」
「じゃ、2枚目はこの下の果物のピザにしようか。俺は葡萄のピザにしよう」
「じゃあ、……私は林檎のピザにする」
忙しそうに駆け回る女性に声をかけて、ピザを注文すると二人は客間の中央にあるテーブルに向かう。
季節の野菜を中心にした総菜が並んでいる。
「やっぱりこの季節は根野菜中心だね。美味しそう」
「そうだね、一人だとこんなに野菜食べる事ないからありがたい」
「ホント。品数がこんなに揃えられないんだよね。あ、その白菜とツナの炒め物美味しそう」
「お、ホントだ、美味しそうだね。このおからのサラダも美味しそう」
二人は各々少しずつ総菜を皿に取って自分達の席へと戻った。
「じゃ、いただきます」
壱弥が料理を前に手を合わせた。
美優も同じ様に手を合わせる。
「いただきます」
二人は軽く会話をしながら食事を進めていった。
素朴な田舎料理は素材が生かされた品の良い味で美優はどこか懐かしさを感じた。
ゆっくりと箸を運んでいるとピザがやって来る。
ぷっくりと膨れたピザをピザカッターで切ってやるとさくっと良い音を立てた。
一切れを手に取るとたっぷり乗せられた蕩けたチーズが長く尾を引く様に伸びた。
「ふふ、チーズ伸びちゃうね」
「うん、俺、チーズの蕩けたの大好きなんだよね」
「私も」
二人は手に取ったピザを口に運んだ。
「焼き立てヤバいね。超美味い」
「ホントに美味しいね。生地もチーズも絶品だね」
熱いチーズに気を付けながらピザを食べ進めていると壱弥が美優に訊ねた。
「そういえばさ? ご両親の事故の件は話進んでる?」
「うん、なんとか和解交渉で済みそうだよ」
「そうなんだ、面倒な事になったら大変だなって思ってたから、先ずは一安心だね」
「うん、壱弥君に色々アドバイス貰えなかったら今頃大変だったと思う。ありがとう」
「これからはアドバイスだけじゃなくてずっと一緒にいるから」
「うん……。ありがとう。心強いよ」
実際、弁護士からの進捗報告は良いもので、やっと相手方とも具体的な話が出始めていると言った所だ。
事故当初の事を思うと、考えていたよりもずっと早い進展と言っていいだろう。
「心配したけど、良い方向に行ってるみたいで良かった」
「うん、私も心配だったんだけど、弁護士さんが凄く頑張ってくれてるの。壱弥君が紹介してくれたあの弁護士さんが更に紹介してくれたんだよね」
「事故に強い人紹介してくれたって言ってたからね」
SNSでやり取りしていた頃に壱弥が美優に紹介した弁護士は債務整理に精通した弁護士だったので、交通事故に強い弁護士を紹介してくれた。
その手腕は確かで、思っていた以上の成果をスピーディーにあげてくれている。
美優はその進捗を壱弥にも語って聞かせた。
「お陰で叔父さんにも負担かけずに済んでるし。ホントにありがとう、壱弥君」
「美優ちゃんの役に立てたなら良かったよ。交渉事なんてさっさと終わる方が心労も少ないし、早く終わるといいね」
「うん、ホントにずっとそういうの抱えてるとなんだか落ち着かないんだよね。でも壱弥君、弁護士さんの知り合いもいたりして、顔が広いんだね」
「ああ、あの人は元々実家の顧問弁護士さんの息子さんで俺も色々相談に乗って貰ったんだよね」
「相談?」
「うん、実家勘当された時の書類関係とか? 債務整理と相続関係が絡んでややこしいの全部丸投げしたんだよね」
「そっか……」
美優は壱弥が実家の話をする時、何か苦い物を感じてしまい、曖昧な返事しか出来なくなる。
壱弥を無能だと切り捨てた壱弥の実家は、きっと自分にはわからない世界に存在している場所で、そんな場所で生きて来た壱弥の半生を思うと、なんとなく切ない気持ちに襲われる。
そんな場所の話を自分が聞いても壱弥にとって何の慰めにもならないだろうと思うからだ。
「そんな顔しなくても大丈夫。俺、ホントに実家の事はどうでもいいから」
「……壱弥君は実家から勘当されて、悲しい気持ちにはならなかったの?」
「うん、どっちかって言うと、清々したよ」
そう、壱弥は嘘偽りのない眼差しで何のこだわりもなくこんな風に言うので美優は余計に何か物悲しい気持ちに苛まれる。
「こうして美優ちゃんと居られる今が幸せ過ぎて勘当されて良かったって心から思うよ」
いつもの優し気な笑顔で壱弥はサラリと言う。
そのタイミングで葡萄のピザと林檎のピザが運ばれて来る。
「お待たせしました、葡萄と林檎ね」
「ありがとうございます」
壱弥はピザカッターを手に取ってテーブルに置かれたピザに刃を通す。
「さ、食べよ?」
やはりいつもと同じ様な優し気な笑顔で美優にピザを薦めた。
美優の中に少しの苦みの乗った感情が過ぎったけれど、それを振り切る様に壱弥に笑いかけてピザを手に取ってそれを頬張った。
ピザは焼けた林檎の甘みが口の中に広がって、心に過ぎった苦みを忘れさせてくれた。
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