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29、小さな証明
お昼は野菜を堪能し、少し足を延ばした先の山にはリフトで頂上まで行ける観光スポットがあるので、そこに寄った。
この季節のリフトは寒かったが、頂上は見晴らしもよく、その寒さに耐えた甲斐はあったと思う様な絶景が広がっていた。
頂上から下っていくと色々と名所があったので、それを巡る。途中足湯に立ち寄り温まったりしながら車まで戻る。
結構な距離を歩いて戻ったので、真冬だというのに少し汗ばんだ。
夜は壱弥の部屋で何かを作って食べる事になったので、近所のショッピングモールに寄って食材を買う。
「じゃあ、今日は俺が作ろうかな。パスタでもいい?」
「うん、いいよ。明日は私に作らせてね」
「うん、美優ちゃんの手料理楽しみだな」
「大したものは作れないから、あんまり期待しないでね?」
「美優ちゃんが作ってくれるんだもん、美味しいに決まってるから期待しちゃうよ。今日のは何のパスタがいい?」
「う~~ん……、壱弥君の得意なパスタがいいな」
「俺の得意なの? 俺、簡単なのしか作れないけど……ペペロンチーノが好きでよく作るよ?」
「じゃ、ペペロンチーノがいいな」
「そんな簡単なのでいいの? 俺は楽で助かるけど」
「そんな事ないよ。じゃ、私はサラダとスープ作ろうかな」
「ホント? じゃ、お願いしようかな」
「簡単なコンソメスープとかでいい?」
「うん、それでいい。楽しみだな」
今日のショッピングモールの食料品売り場は売り子さんが試食や試供品を配っている。
呼び止められては試食をして、押し切られてついカゴに入れてしまう。
なんだかんだと買い物は軽く3日間の食料分位にはなってしまった。
二人は買い物袋を車のトランクに積んだ。
「こんなに買い込んじゃったら3日間どこにも出かけなくてもよさそうだね」
「そうだね。もう少し暖かい季節だったら弁当持ってどっか行けるんだけどね」
美優は残念そうに言う壱弥に微笑みかける。
「それはまた、春頃の楽しみにしておこう?」
「うん。春はやっぱり桜かな?」
「桜もいいけど、木蓮の咲いてる並木道がこないだの山上公園にあるよ?」
「へえ、そうなんだね。木蓮もいいね」
「ただ、木蓮は散るのが凄く早いの。あっという間だから時期が難しいんだよね」
「そっか、美優ちゃんは見た事あるんだね」
「うん、毎年あそこは春も行ってたから、運のいい年は見られたよ」
「俺も今年見られるかな?」
「どうかな? 今年は無理でもきっといつか見られるよ」
「……今年だけじゃなくて、その次もずっと一緒に見に行ってくれる?」
壱弥はいつもの様に優し気な笑顔を浮かべていたが、どこか表情に伺う様な色が浮かんでいた。
「……うん」
美優が笑顔で小さくそう答えると、壱弥は嬉しそうに破顔した。
「ずっと一緒にいてくれるんだね。すごく嬉しい」
荷物を積んで車に乗り込み、壱弥の部屋に帰る。
相変わらず壱弥の部屋は広々としていて、生活感がなく、色に乏しい。
「入って?」
壱弥は正月に買った美優の白いスリッパを大きなシューズボックスから取り出し、薦めた。
「ありがとう。お邪魔します」
「どうぞ」
「壱弥君、こんなに部屋広かったらお掃除大変じゃない?」
美優はずっと疑問に思っていた事を訊ねてみた。
「ああ、基本的に自分でするけど、大体週一位でハウスキーパーの人に入ってもらってるよ」
「そうなんだ」
「ジム行ってる間に部屋と風呂とトイレの掃除してもらってるんだよね。必要なら呼ぶ感じだから必ずって訳じゃないケド」
「広い部屋だとそういう事も大変だよね」
「お掃除ロボット買おうかちょっと悩んでるんだよね」
「私の部屋だと狭いし家具も多いから不向きだけど、壱弥君の部屋は多分相性いいと思うよ?」
「そうなんだね。……じゃあ、買ってみよっと」
二人は部屋に入ると買って来た食材を冷蔵庫に仕舞い始めた。
壱弥はそのついでにコーヒーを淹れ始める。
「片づけたらちょっと一息入れようか?」
「うん」
「美優ちゃん、お掃除ロボット買おうと思ってたの?」
「うん、私のじゃなくて、叔父さんにお礼を兼ねてプレゼントしようかなって思って。叔父さんの奥さんが赤ちゃんがいるから掃除が大変だって言ってたから」
「それで色々調べてたんだね」
「うん、そうなの」
「で、買ってあげたの?」
「ううん、まだだよ」
「そっか。じゃあ、明日電気屋さんでも行く?」
「そうだね。明日は特に何も決めてないもんね。付き合ってくれる?」
「うん、もちろん。俺も一回現物見てみたいし」
片づけ終わった美優は自分の大きな鞄を前回と同じ様にクローゼットに仕舞いカウンターキッチンの前のチェアに腰かけた。
壱弥がその前にカフェオレの入った美優のカップを置いた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
自分のブラックコーヒーの入ったカップは手に持ってやって来て、美優の隣に座った。
「ねえ、美優ちゃん?」
「ん? なあに?」
壱弥はカウンターに頬杖をついて、美優の方を見た。
「誕生日のプレゼント、何がいい?」
「え?」
「だって、もう一か月切ったよ? 美優ちゃんの誕生日」
「そっか……、そうだね。でも私、何も要らないよ? お祝いしてもらえるだけで充分だもん」
美優はカップを両手に包むように持って壱弥に笑う。
「そう? だったら、穂澄に相談して、超高い洋服一式用意してもらおうかな?」
壱弥は少し意地悪く笑った。
「え?! そんなの困っちゃうよ」
「でしょ? だったら美優ちゃんの欲しい物、言って?」
「ええ……? そんな……、それも困っちゃうよ……」
美優は本当に困り果てて壱弥を見つめた。
「じゃ、俺、勝手に指輪とか用意しちゃうけどいい?」
「指輪?」
「うん、俺とお揃いのペアリングとか?」
あまりにも壱弥が満面の笑みで言うので、多分本当に高額の指輪を買ってしまうだろうと思った美優は色々と考えを巡らせた。
「……あの、ね?」
美優は少し遠慮気味に壱弥を上目遣いで見る。
「ん? なに?」
「……じゃあ、欲しい物、お願いしてもいい?」
「うん、もちろん」
「私ね、手袋がね、そろそろほつれてきたりしてて、新しいのが欲しいの。だから手袋がいいな」
壱弥はにっこりと笑った。
「わかった。じゃあ、それも明日一緒に買いに行こうか?」
「……ありがとう、壱弥君」
壱弥に任せていたら、きっととんでもなく高額のプレゼントが平気で贈られるのは想像に難くない。
だったら、自分がプレゼントした手袋をお返しに貰うというのが無難な線だろう。
しかも明日一緒に行くなら、値段も自分で相応の物を選べる。
「どんな手袋がいいの?」
「うん、家からバイト行く時に自転車乗るから暖かいのがいいんだけど、いつも着てるコートに合うのがいいなって」
「ああ、あの水色のコート? あのダッフルコート可愛いよね」
「うん、お母さんと買い物に行った時に一緒に選んでもらったの。凄く気に入ってるんだよね」
「そっか。あのコートにはきっと白い手袋が似合いそうだね」
「今の手袋も白いんだけど、汚れも目立つから今度は黒いのにしようかなって思うんだ」
「黒か。美優ちゃんがくれた俺の手袋も黒だから、お揃いにしない?」
「う~~ん、あの手袋普段使いにするのは私には贅沢な気がしちゃうな……」
「別にいいじゃん。毎年俺がプレゼントするから」
「そんなの気が引けて余計に使えないよ」
美優はカフェオレの入ったコップを軽く呷った。
壱弥も同じ様にブラックコーヒーの入ったカップに口をつける。
「ま、とりあえずそれも見に行ってみようか。明日もデートだね。さ、一休みしたしペペロンチーノ作ろっかな」
「あ、じゃあ、私もサラダとスープ作るね」
壱弥の部屋のキッチンは二人で作業しても充分な広さがある。
なので、美優はパスタを茹でる壱弥の横でレタスをメインにパプリカ、キュウリ、ミニトマトを切ってボウルに盛り付け、最後に試食で押し切られた生ハムを乗せた。
壱弥は茹で上がりそうなタイミングでオリーブオイルでニンニクと鷹の爪を炒め始める。
美優はコンソメスープに細かく切った玉ねぎとベーコンを入れる。
ニンニクの炒められた良い香りが部屋を漂っている。
壱弥は手慣れた様子でオリーブオイルに細かく刻んだイタリアンパセリとパスタを投入して、ゆで汁を入れながら絡めていく。
その間に美優は皿を電子レンジに入れて温める。
温まった皿に完成したペペロンチーノを盛り付け、カウンターテーブルにランチョンマットとカトラリー、完成した料理を並べて、二人は席についた。
「うん、まあ、上手く出来たと思うよ?」
美優は自分に笑顔で言う壱弥に笑いかけながら応える。
「絶対美味しいヤツだよ、嬉しい」
「じゃ、食べよっか?」
「うん」
「じゃ、いただきます」
「いただきます」
壱弥と美優はパスタをフォークに巻き取って、口に運ぶ。
一口食べるとニンニクの香りも鷹の爪の辛味も塩気も丁度良く、その美味しさに美優は目を見開いた。
「うん、壱弥君、凄く美味しいよ! ホントにお料理上手なんだね」
「これは好きで作り慣れてるだけだよ。ホントにしょっちゅう作ってるんだもん。多少は上手くなきゃね」
「でも、味を決めるセンスが無かったらこんなに上手く作れないと思うんだ」
「最初の頃はホント何度も失敗してさ。味が薄かったりしていまいちだったんだよね。でも、ゆで汁を減らして塩気を多めにしたら解決したんだ」
「へえ、そうなんだ。それって誰かに教わったの?」
「ううん、試行錯誤した結果」
「やっぱり凄いよ、壱弥君。料理のセンスがあるんだと思うよ?」
壱弥は少し照れたように笑い、指先で頬を掻いた。
「美優ちゃんは褒め上手だなぁ。俺、そんな風におだてられたら料理めちゃくちゃ頑張っちゃうよ?」
「そんな事ないよ? ホントに思った事言っただけだもん」
本当の事を言えば、少しだけ思惑はある。
無能だと実家から切り捨てられたという壱弥。
その壱弥が決して無能ではないと証明して見せたい。
壱弥自身はその事を何とも思っていないと言っているけれど、美優はなんとなくそれが悲しくて悔しい。
どんな些細な事でもいい。壱弥が無能であるはずがないと美優は確信していたし、それを何よりも壱弥自身にわかっていてもらいたかった。
いつも余裕のある優し気な笑顔を浮かべる壱弥が珍しく少し照れた表情をその笑顔に乗せてパスタを口に運ぶ様子を、美優は微笑んで見つめた。
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