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30、一欠片の過去
次の日、二人は電車で繁華街に出向き、家電を見て回りお目当てのお掃除ロボットのデモを見て、その性能を色々と吟味した。
「お掃除ロボットいいね、あれ買おう」
「ホント、結構ちゃんと吸引するしいいね。今日買うの?」
「うん、今日帰ったらネットで買う」
「そうなの?」
「持って帰るの重そうだし、ネットの方がいいかなって」
「あ、そっか。確かにそうだね」
その間も壱弥はいつもの事の様に手を繋ぐ。
「さ、次は美優ちゃんの手袋探しに行こうか?」
「……ホントにプレゼントなんて要らないんだよ? 壱弥君、いつも色々してくれてるのに……」
「じゃ、俺の趣味で贈った方がいい?」
壱弥はいつもの明確な強い意思のある時の笑顔で美優に訊ねた。
美優は急いで首を横に振る。
「そうでしょ? 俺が贈りたいんだから、気にせずに受け取ってくれればいいんだよ?」
「……うん。ありがとう、壱弥君」
美優としては何かにつけて金銭的に負担をかけてる自覚があるので、あまりにも高額な物は受け取れない。
しかし壱弥は美優に高額の物を贈りたがる。
というよりも壱弥自身が金銭的な面に頓着していないのだろう。
壱弥と関わっている内に壱弥の価値観はなんとなくつかめて来たが、壱弥は自分の気に入った物を必要な分だけ持てればいいという考え方なのだろう。
そして壱弥にとっては美優にまつわる全ては、必要な物に該当するというだけの事なのだ。
どうやらその際かかった金額には一切頓着していない。
必要な物を必要なだけ買っているだけなのだから、壱弥にとっては何の問題もないのだが、与えられるだけの美優にとっては大変な事だ。
その事について思いをこらしながら壱弥と手を繋いで繁華街のショッピングモールに入って行き、壱弥は迷う事無く一流ブランドの立ち並ぶエリアに美優を連れて行く。
「黒いのがいいんでしょ? まずここから入ろうか」
壱弥は美優の手を引いて、何の戸惑いもなく、有名ブランドの店舗に入って行く。
年若い美優はこんな風にブランド店に入るのは初めての事で困惑する。
「あ、あの、壱弥君? 私ね? もっと」
「すみません。女性物の手袋見せて貰えますか?」
壱弥は美優の言葉に応える事なく店のブランドを着飾った女性店員に声をかける。
「畏まりました。少々お待ち下さい」
女性店員は陳列されている手袋を数双、丁寧な手つきでテーブルの上に置いた。
「こちらでございます」
壱弥はにこやかに笑う女性店員に一瞥もくれる事なく美優の方を向いて手袋を手に取った。
「これ暖かそうだね。でも黒がいいんだっけ? すみません、これの黒ってありますか?」
「はい、少々お待ち下さい」
女性店員はバックヤードに入って行く。
「あのね、壱弥君? 私ね、もっとこう手軽に使える価格帯の物が欲しくて……」
「なんで? 普通に使えばいいよ。また来年も贈るんだから。ていうか必要な物なんだからそんなに畏まる事ないと思うけど」
「自転車に乗る時に使うものだから……」
「これじゃ何か問題ある?」
「……無いけど……、こんな高級ブランドの手袋汚しちゃったら……」
「じゃ、2双買う?」
「え?! なんでそうなるの?!」
「だって。汚れが気になるんなら、洗い替えで2双買えばいいんじゃない? とりあえずはめてみれば?」
「え、でも……」
美優が返事に窮していると女性店員が黒い手袋を何双か持って戻って来た。
「この手袋はめてみてもいいですか?」
「どうぞ。是非お試し下さい」
流れ的にはめない訳にはいかなくなってしまったので、甲の部分に大きくブランドロゴの入った物を薦められたのでそっとはめてみる。
やはり高級ブランドの手袋は肌触りも良く、はめやすく、縫製も良い。
「うん、似合ってるよ。これなら穂澄に選んで貰った服にも合いそうだね」
「大変お似合いですよ、お客様」
確かに美優もデザインも可愛く汎用性があって、はめ心地の良い手袋で大変に気に入った。
しかし、値段がきっとかなり高い部類の物だろう。
「あの、凄く気に入ったんだけど……」
「ホント? じゃ、これにしようか。これ包んで下さい。ギフトで」
「畏まりました」
壱弥は殆ど有無を言わせず話を進めてしまった。
きっと美優が遠慮している事を察してさっさと決めてしまったのだろう。
早速女性店員はカウンターの向こうで包装を手掛けている。
「あの、壱弥君? 私……」
「もう、包装しちゃってるから受け取ってね?」
壱弥はやはりあの、明確な意思を持った時の笑顔で美優を見つめた。
「……あの……、私ね?」
「お返しとかそんなのどうでもいいから」
壱弥は美優の肩を掴んで正面を向かせた。
そして美優に言い含める。
「美優ちゃんは金銭的な事気にしがちだけど、俺が無一文になったら一切会ってくれなくなるの?」
「そんな訳ないよ」
「そうでしょ? 俺さ、ホントに出せるから出してるだけなんだ。無理なんてしてないし本当に贈りたい物を贈ってるだけなんだよね。だから、そういうの気にしないで美優ちゃんも受け取って欲しいんだ」
「……でもね……? それは壱弥君の今まで頑張って来たものに対する対価でしょ? 私にそれを使って貰うのは何か違う気がするの」
「そっか……。美優ちゃんはそんな風に考えるんだね。ありがとう、嬉しいよ」
美優は思う。
壱弥が金銭的に恵まれているのは実家からの手切れ金だ。
それは壱弥を無能だと切り捨てた時に支払われたものだ。
美優にとってみれば、それは壱弥が自分の為に使うべきものだと思うし、そうでなければならないだろう。
美優が享受していいものではないし、そしてそこには少しばかりの悔しさもある。
「俺さ、美優ちゃんと居ると本当に幸せなんだ。だから、ちょっとでもお礼がしたいんだ」
「……私も壱弥君といると幸せにして貰えるよ?」
「うん、だから美優ちゃんも俺に色々してくれるんだよね?」
「……うん」
「同じ気持ちなんだよ」
「……うん」
「だからさ? とりあえずそういうのは気にしないで気持ちを受け取ってくれない?」
「……うん」
「うん、いい子だね」
そういうと壱弥は美優の頭を優しく撫でた。
そして心から優しく笑う。
「お客様、お待たせいたしました」
包装を終え、ブランド名の入った紙袋を壱弥に手渡す。
壱弥はそれを受け取ると会計を終わらせて、店を後にする。
「はい、じゃこれ、お誕生日のプレゼント」
「ありがとう、壱弥君。大切にするね」
「来年もプレゼントしたいからガンガン使ってね?」
「うん……、でも、これは大事にしたいな。だって、初めて壱弥君から貰った誕生日のプレゼントだもの」
「そっか、ありがとう」
「どうして壱弥君がお礼言うの? 私が凄く感謝の気持ちで一杯なのに」
「その気持ちを持ってくれてる事にありがとうって思うんだよ。そうだ、美優ちゃん?」
二人は手を繋いで歩き出す。
「……なあに?」
「誕生日の当日はテーマパークのオフィシャルホテルに泊まろうか?」
「え?」
「前にSNSでワイルドスタジオのホテル泊まりたいって書いてたでしょ?」
「え? 確かに書いてたけどそんなの何かの記事読んでなんとなく思った事書いただけだよ?」
「いいじゃん、行こうよ。俺も行きたい」
「……わかった。でも割り勘で行こうね?」
「やだよ。俺が全部出すに決まってるじゃん。大体美優ちゃんの誕生日祝うのに割り勘なんてあり得ないでしょ?」
壱弥は少しむくれた表情で美優を見た。
「でもね? さすがにテーマーパークは高過ぎるよ。私、壱弥君の誕生日の時どんなお返ししていいかわからないよ」
「またご飯作ってくれたらそれだけで充分だよ?」
「ほら、全然釣り合ってないんだもん」
「美優ちゃん……、ホントにわかってないよね……」
「? 何を?」
「俺がどれだけ美優ちゃんの事好きか」
「!?」
「多分、美優ちゃんが思ってるよりもずっと俺は美優ちゃんの事が好きなんだよ?」
壱弥があまりにも真剣な表情で美優を見るので、美優はやはり恥ずかしくなって頬を紅く染める。
「それだけ好きな子が自分の為だけに頑張って料理してくれたんだ。この位のお返し当然なんだよ」
「……壱弥君……」
「ね? 俺に少し位お返しさせて?」
壱弥は握った手に力を少しだけ篭めた。
「……わかったよ……。ありがとう、壱弥君……」
「ホント? やった! 美優ちゃんと初テーマパークだ」
「……壱弥君、テーマパークも行った事ないの?」
「ううん。小さな遊園地に凄く昔に行った事があるよ? 地域の遊園地みたいなとこ」
「え? そうなの?」
「うん、昔母親が連れて行ってくれたんだ」
「……そっか」
その事を語る時の壱弥の表情が少しだけ無表情になったのを見て取った美優は、それ以上は何も聞けなかった。
楽しい筈の思い出だろうに、壱弥の表情はそれを楽しく思い出してる様には感じられなかった。
「さ、手袋も買ったし、そろそろ帰ろうか?」
「そうだね。今日は私が作る番だね。ちょっと頑張っちゃおうかな」
「え、そうなの? 嬉しいな」
「だって、壱弥君、こんな素敵な手袋プレゼントしてくれたし、精一杯お返ししたいんだもん」
「ありがとう、美優ちゃん。そんな所も大好きなんだよ」
壱弥はいつもの優し気な笑顔で美優を見つめた。
美優もそんな壱弥に笑顔で応える。
手を繋いで繁華街の大きな店舗と店舗を繋ぐ歩道橋の上から見える夕日が二人を赤々と照らし出して、地面には長い影が引いている。
大きな夕日に照らされた壱弥の横顔はとても機嫌が良さそうだ。
先程見せたどこか無表情で無機質な顔つきはもう見る影もない。
美優はこうして壱弥と一緒にいても実は知らない事の方が多いんだという事を実感する。
いつか壱弥に全てを聞かせて貰えるといいなと胸に秘めた思いを抱えながら、壱弥を見つめる。
「ん? なあに?」
そんな美優に気が付いた壱弥は美優に優し気に微笑む。
「ううん、何でもないの。壱弥君、お料理出来上がる前からご機嫌なんだもん。なんだかプレッシャーになっちゃうよ」
美優が少し呆れた様にそう言うと、壱弥は答えた。
「美優ちゃんが作るものなら何でも美味しいよ。しかも俺の為だけに作ってくれるんだもん。幸せが過ぎて辛い位だよ」
「大袈裟だよ、壱弥君ったら」
大きな夕日を背景にして二人は家路を急ぐ。
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